歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

鈴鹿市八重垣神社遺跡 沈線紋系の壺型土器が出土

2008年06月20日 | Weblog
 鈴鹿市考古博物館は19日、同市十宮町の八重垣神社遺跡から、2千数百年前の弥生時代前期の壺型土器が見つかり、ほぼ復元できたと発表した。
 最大径13・6cm、高さ15・7cmで、壺の胴の膨らみ部分から底の部分にかけて、へらで彫った矢羽あるいはすだれ状の文様が刻み込まれた沈線紋系の土器で、四日市市尾平町の永井遺跡で見つかった鉢形の土器に次ぐが、ほぼ完全に復元できたものとしては県内初という。
 今回出土した壺は、石川県を分布の中心とする北陸系で、おそらくそちらから持ち込まれたらしい。愛知、岐阜、長野、石川県で10カ所以上の遺跡から出土例がある。弥生時代前期の地域間交流を示す好資料である。
 弥生時代前期は、九州から稲作が伝わってきた時代で、この時期の土器は本格的な水田稲作農耕の担い手が残したものと思われる。
 注)弥生時代でも後期になると、沈線紋系土器は口縁および胴部最大径付近に突起をつけるようになるが、今回の出土品にはなさそうである。
 使用目的は、火にかけた跡はないが煮炊きに使ったと推測している。
 ほかにも古墳時代前期の竪穴住居跡、古墳時代と弥生時代の溝が16条、大量の弥生土器や土師器、須恵器と石鏃、石斧、木製品などが出土している。
 また、弥生時代前期・後期そして古墳時代後期の溝,弥生時代後期の方形周溝墓・土器棺墓などが検出されています。
発掘調査は、今年2月から始め7月中旬ごろに終わる予定。
 県内の弥生時代前期の大規模な遺跡は、鈴鹿市・上箕田遺跡、津市・納所(のうそ)遺跡、明和町・金剛坂遺跡がある。
八重垣神社遺跡は、上箕田遺跡などに匹敵する大規模な集落遺跡であることが分かったという。
 28日午前10時から、現地説明会を開く。
[参考:中日新聞、朝日新聞、毎日新聞]
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千種川流域の上郡町・中山13号墳 隣接の15号墳と一体を確認

2008年06月20日 | Weblog
 町教委は県史跡として円墳と登録されている中山13号墳は、隣接する15号墳と一体の前方後円墳であることを調査で確認したことを発表した。
後円部の直径28m、前方部の長さ29m、全長57mと推定される。
 築造時期は06年度からの調査で、13号墳のすそ部分に後円部と前方部をつなぐくびれ部分の列石が出土し、長方形の石を縦にして並べる列石の構築法から、3世紀後半から末の古墳時代前期前葉とみられる。
 千曲川流域では赤穂市の蟻無山(ありなしやま)1号墳(約52m)を上回り最大となる。
 現地説明会は21日午前10時~正午
古墳の所在場所:赤穂郡上郡町高田台2丁目
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岩手・徳丹城跡で出土した7世紀の木製兜は「鉄兜」の見せかけ

2008年06月20日 | Weblog
奈良・元興寺文化財研調査で判明
岩手県矢巾町の国指定史跡徳丹城で井戸跡から出土した木製兜は、戦いの際に鉄製兜に見えるように作った「偽の鉄兜」だったことが元興寺文化財研究所(奈良市)の調査で分かった。
 今回、同研究所が作成した兜のデータを元に、富山県南砺市の彫刻家の協力で復元品を作成した。作成された木製兜に黒漆を塗ると、縦長の鉄の板をつなげて作った当時の鉄兜とほとんど見分けがつかなくなった。
 出土した兜は保存処理をされ、今年の4月に矢巾町歴史民俗資料館で一般公開された。
発見の経緯
2006年6月、徳丹城で井戸跡からほぼ完形品の木製兜が出土した。井戸水をくむ水おけとして転用されていた。徳丹城が機能していた9世紀前半ごろのものとみられると考えられていた。
2007年8月、放射性炭素年代測定法により、兜の素材・トチノキは7世紀前半、漆は7世紀後半と判定された
年代特定により、古墳時代から中世までの武具史の空白を埋める資料になった。
[参考:毎日新聞]
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