歴歩

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隠岐・西ノ島・黒木山横穴墓群遺跡 銀の和銅開珎が出土

2008年06月17日 | Weblog
町教委は16日、黒木山横穴墓群遺跡(7世紀末~8世紀初頭、島根県隠岐郡西ノ島町大字別府)の6つある横穴墓の1基(奥行き5.5m、幅2.3m)から、銀製の和同開珎(かい・ちん)1枚が見つかったことを発表した。
和同開珎は和銅元年(708)に銀製と銅製の製造が始まったが、銀銭は708年5月から発行され翌年8月に廃止された。
製作期間が短かったことから、銅銭よりも希少価値が高いとされる。銅銭は全国で4800点以上が出土しているが、銀銭の出土例は全国で46枚。離島では初めてで、近畿より西での出土は松江市大草町の出雲国府跡に続く2枚目。
出土した和同開珎は直径2・45cm、重さ6・29g。
同じ横穴墓から2人分と見られる人骨の一部や鉄製の小刀、赤貝の貝殻、桃の種子なども見つかった。
 県文化財課によると、当時の隠岐は朝廷に食材を献上した御食国(みけつくに)として知られ、平城京周辺では隠岐から運んだアワビやイカなどの荷札として使った木簡が出土している。
 専門家の意見として次のようなものがあげられる。
隠岐と朝廷の結びつきの深さを改めて示す資料だ。
朝廷へ献上物を持参した役人かその関係者が都で銀の和同開珎を入手し、死後に副葬品として埋葬した。
都では当時、市場が成立しており、朝廷などに納めた海産物の余りを売った対価として得た可能性がある。
貨幣というよりも魔よけ的な意味合いが強いのでは。
埋葬者は有力者か漁師のリーダークラスの可能性がある。

 町教委は、出土品を西ノ島ふるさと館で一般公開する。日時は未定。
[参考:山陰中央新報、中国新聞、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、産経新聞]

備考:
 黒木山横穴墓群遺跡の近くには、後醍醐天皇が隠岐に配流された時の行在所と伝えられる黒木御所跡がある。約1年間滞在の後脱出し、建武中興を起こしたと言われる。
 黒木御所跡の名称を持つ場所は、他にも佐渡(順徳天皇)、硫黄島(安徳天皇)、十津川(護良親王)にある。
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