津市教委は6日、同市美杉町上多気の多気北畠氏遺跡第31次発掘調査で、室町時代後期(16世紀中頃)のものとみられる刀装具の栗形(くりかた)などが出土したと発表した。県埋蔵文化財センターによると、栗形の出土は県内で初めてで、発掘で出土するのは全国的にも珍しいという。
今回発掘調査が行われているのは、国史跡「多気北畠氏城館跡」東側の城下町のうち、石列で計画的に区画されたとみられる部分。
出土した栗形は金属製。ほかに、刀装具の鋳型や鋳造に使われた小さな容器「取瓶(とりべ)」や、鍛冶で送風に使う「鞴(ふいご)」の破片、土師器の鍋や皿などの日用品も見つかった。16世紀中ごろの建物跡も確認され、当時刀の装具が作られていたことが分かるという。
市教委生涯学習課は「城下町に、刀装具を生産する工房のようなものを構えていたことを裏付ける貴重な資料」としている。
北畠氏は南北朝時代に伊勢国入りした。伊勢国司として同市美杉町に本拠地を置き、室町から戦国時代にかけて伊勢国を支配し、城下町を築いた。
発掘調査は1996年から始められ、中世城館では国内最古となる石垣や建物跡を確認している。
川を挟んでその東側に位置する多気北畠氏遺跡は、2006年度から調査が進められている。
現地説明会は10日午後1時半から行われる。問合せは、津市埋蔵文化財センター多気北畠氏遺跡調査分室。
[参考:読売新聞、毎日新聞]
栗形(くりかた)
刀の鞘口(さやぐち)近くに付け、「下げ緒」を通して刀を帯からの脱落を防止するためもの。栗の実に似ているため栗形と呼ばれるようになった。栗は当て字で「刳り形」が語源とも。角や金属製が多い。
北畠氏
村上源氏久我系の中院通方1189-1239)の子・北畠雅家を始祖とする。雅家の3代後に親房が生れ、その跡は長男・顕家(1318-1338)、三男・顕能(?-?)らが生れる。伊勢(多気)北畠氏は顕能を祖とする。
[関連:福島県霊山寺]
今回発掘調査が行われているのは、国史跡「多気北畠氏城館跡」東側の城下町のうち、石列で計画的に区画されたとみられる部分。
出土した栗形は金属製。ほかに、刀装具の鋳型や鋳造に使われた小さな容器「取瓶(とりべ)」や、鍛冶で送風に使う「鞴(ふいご)」の破片、土師器の鍋や皿などの日用品も見つかった。16世紀中ごろの建物跡も確認され、当時刀の装具が作られていたことが分かるという。
市教委生涯学習課は「城下町に、刀装具を生産する工房のようなものを構えていたことを裏付ける貴重な資料」としている。
北畠氏は南北朝時代に伊勢国入りした。伊勢国司として同市美杉町に本拠地を置き、室町から戦国時代にかけて伊勢国を支配し、城下町を築いた。
発掘調査は1996年から始められ、中世城館では国内最古となる石垣や建物跡を確認している。
川を挟んでその東側に位置する多気北畠氏遺跡は、2006年度から調査が進められている。
現地説明会は10日午後1時半から行われる。問合せは、津市埋蔵文化財センター多気北畠氏遺跡調査分室。
[参考:読売新聞、毎日新聞]
栗形(くりかた)
刀の鞘口(さやぐち)近くに付け、「下げ緒」を通して刀を帯からの脱落を防止するためもの。栗の実に似ているため栗形と呼ばれるようになった。栗は当て字で「刳り形」が語源とも。角や金属製が多い。
北畠氏
村上源氏久我系の中院通方1189-1239)の子・北畠雅家を始祖とする。雅家の3代後に親房が生れ、その跡は長男・顕家(1318-1338)、三男・顕能(?-?)らが生れる。伊勢(多気)北畠氏は顕能を祖とする。
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