和歌山県文化財センターは9日、昨年8月に日本最大の縄文時代後期前半(約4000年前)の大型竪穴式建物跡が確認された中飯降遺跡(かつらぎ町)の1号竪穴のすぐ西隣に位置する場所で、同時代、同規模の建物跡が新たに2つ見つかったと発表した。
場所を移して建物を建て替えた可能性があるという。
今回見つかった2号竪穴は長軸16m、短軸推定約14mの楕円形で、面積160㎡。3号竪穴は大部分が調査区外で範囲未確定だが、ほぼ同規模とみられる。
1号竪穴は円形で、面積約150㎡以上と推定される。
現地説明会は11日午後1~3時に行われる。
[参考:毎日新聞、共同通信]
さらに2つの大型建物跡 和歌山、縄文後期(共同通信) - goo ニュース
2008.7.24 掲載分
和歌山県かつらぎ町・中飯降遺跡 4000年前の西日本最大の竪穴建物跡
23日和歌山県文化財センターは、かつらぎ町・中飯降(なかいぶり)遺跡で、縄文時代後期(約4千年前)の建物跡が2基見つかったことを発表した。
建物の一つは直径約14mの円形、出土部分の面積は約90㎡だが建物の面積は推定約150㎡で、内側に直径約2m(最下層は直径0.5m)、深さ約1.1mの柱穴3カ所がほぼ等間隔に並んでいた。柱穴のうち2カ所には、柱を安定させるため敷き詰めていたとみられる石(長さ20~30cm)も多数見つかった。石の状況から、直径約40cm、長さ約4mの柱を用いていたと推定される。建物跡地の中央には赤く焼けた炉のような跡も残っていた。調査区外にあと1、2本程度の柱穴があると想定される。
住居跡から祭祀にかかわる出土品が見つかっていないことから、集落の集会所のような場所として使われていたと考えられる。
他の1つは直径約4~5mで、面積約15~20㎡の大きさだった。
同時に出土した縁帯(えんたい)文様の土器片や鏃などの石器などから縄文時代後期の遺構と見られる。
大型の竪穴住居跡は、青森市の三内丸山遺跡(縄文時代中期)で長さ約32m、幅約10m(長方形)、床面積約270㎡が国内最大級で、豪雪地帯など寒冷地集落で共同作業を行うために作られたとする説が有力であり、西日本には大型のものは存在しないものと考えられていた。
県文化財センターは、26日午後1時半から現地説明会を行う。
中飯降遺跡は和歌山市の東約30km、紀の川右岸(北側)にある。同遺跡の西隣(紀ノ川下流側)には西飯降遺跡があり縄文時代の石棒、西飯降II遺跡では縄文時代~古代にかけて縄文土器・弥生土器・土師器・須恵器・石器が出土している。
さらに西の丁ノ町・妙寺遺跡では、縄文時代後期の直径約4mの竪穴住居跡3カ所が見つかっている。
[参考:共同通信、朝日新聞、産経新聞、紀伊民報告、財)和歌山県文化財センター]
西日本最大の竪穴建物跡 和歌山、ムラの集会所か(共同通信) - goo ニュース
場所を移して建物を建て替えた可能性があるという。
今回見つかった2号竪穴は長軸16m、短軸推定約14mの楕円形で、面積160㎡。3号竪穴は大部分が調査区外で範囲未確定だが、ほぼ同規模とみられる。
1号竪穴は円形で、面積約150㎡以上と推定される。
現地説明会は11日午後1~3時に行われる。
[参考:毎日新聞、共同通信]
さらに2つの大型建物跡 和歌山、縄文後期(共同通信) - goo ニュース
2008.7.24 掲載分
和歌山県かつらぎ町・中飯降遺跡 4000年前の西日本最大の竪穴建物跡
23日和歌山県文化財センターは、かつらぎ町・中飯降(なかいぶり)遺跡で、縄文時代後期(約4千年前)の建物跡が2基見つかったことを発表した。
建物の一つは直径約14mの円形、出土部分の面積は約90㎡だが建物の面積は推定約150㎡で、内側に直径約2m(最下層は直径0.5m)、深さ約1.1mの柱穴3カ所がほぼ等間隔に並んでいた。柱穴のうち2カ所には、柱を安定させるため敷き詰めていたとみられる石(長さ20~30cm)も多数見つかった。石の状況から、直径約40cm、長さ約4mの柱を用いていたと推定される。建物跡地の中央には赤く焼けた炉のような跡も残っていた。調査区外にあと1、2本程度の柱穴があると想定される。
住居跡から祭祀にかかわる出土品が見つかっていないことから、集落の集会所のような場所として使われていたと考えられる。
他の1つは直径約4~5mで、面積約15~20㎡の大きさだった。
同時に出土した縁帯(えんたい)文様の土器片や鏃などの石器などから縄文時代後期の遺構と見られる。
大型の竪穴住居跡は、青森市の三内丸山遺跡(縄文時代中期)で長さ約32m、幅約10m(長方形)、床面積約270㎡が国内最大級で、豪雪地帯など寒冷地集落で共同作業を行うために作られたとする説が有力であり、西日本には大型のものは存在しないものと考えられていた。
県文化財センターは、26日午後1時半から現地説明会を行う。
中飯降遺跡は和歌山市の東約30km、紀の川右岸(北側)にある。同遺跡の西隣(紀ノ川下流側)には西飯降遺跡があり縄文時代の石棒、西飯降II遺跡では縄文時代~古代にかけて縄文土器・弥生土器・土師器・須恵器・石器が出土している。
さらに西の丁ノ町・妙寺遺跡では、縄文時代後期の直径約4mの竪穴住居跡3カ所が見つかっている。
[参考:共同通信、朝日新聞、産経新聞、紀伊民報告、財)和歌山県文化財センター]
西日本最大の竪穴建物跡 和歌山、ムラの集会所か(共同通信) - goo ニュース