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遠江国分寺跡/磐田市 七重の塔の間取り判明 僧坊跡?の柱跡が出土

2009年01月23日 | Weblog
 磐田市教委は21日、遠江(とおとうみ)国分寺跡発掘調査の報道向け成果説明会を同市見付の現地で開いた。
 本年度は七重の塔跡と講堂跡を中心に発掘が行われた。
 塔中心の「心柱」の周りに4本あった「四天柱」のうち1本の位置が確認され、柱が17本あった塔の基礎部分の間取りが判明した。心柱の礎石と建物外周南東の「側柱」の礎石が現存するが、今回はその中間を30cmほど掘って調べたところ、四天柱の礎石の下に敷かれた根石が確認された。四天柱の礎石は持ち去られたとみられるという。
 塔跡ではこのほか、地面を一部2m以上掘ったところ、「版築」を厚さ2m近くにわたり行っていることが分かった。遠江国分寺は819年に火災に遭ったという記録があるが、塔跡の土中からは焼土や炭化物は確認されなかったため、市教委は「国分寺全体が焼失したとは考えにくい」としている。
 講堂跡では、現在の基壇復元位置より南に約2・5mずれた位置にあり、基壇外装は金堂と同様に木材で施工されていたことが分かった。
 そのほかに、僧房跡とみられる場所から南北に柱の跡が3カ所見つかった。各地で出土した僧房跡は東西に長い例が多いため、遠江国分寺も東西に長い建物だった可能性が高い。聖武天皇が741年に出した「国分寺建立の詔(みことのり)」で、国分寺には僧20人を置くことが定められており、遠江国分寺でも修行僧が暮らしていたとみられる。
 市教委は24日、発掘現場を一般公開し、現地説明会を開く。説明は午前10時半からと午後1時半から。問合せは文化財課へ。
[参考:1/22静岡新聞、1/23毎日新聞]

2008.1.16磐田市・遠江国分寺跡 国分寺跡としては全国2例目の燈籠跡の遺構を発見
 磐田市教育委員会は、市役所北側にある国特別史跡「遠江国分寺跡の2007年度発掘調査の成果を発表した。国分寺跡としては兵庫県播磨国分寺跡に次ぐ2例目で、燈籠の下部で竿と呼ばれる部分の一部(木片)が発見された。その他、回廊跡で暗渠(あんきょ)排水路の木樋遺構、中門跡では門を建てるための足場の柱穴3基を確認。
[参考:静岡新聞・中日新聞]

2007.1.24 遠江国分寺跡 金堂の木製基壇外装と火災焼失跡が判明
 金堂が建てられていた周辺から焼土とともに焼けて赤くなった瓦が多量に出土して、火災で焼失していたことが判明した。火災があった時期は定かではないが、平安時代の歴史書「類聚国史」には819年に遠江国分寺が火災で焼失した、との記述があるという。出土した瓦は、模様から創建時期に近い奈良時代の物が主体とみられる。
 また、金堂の基壇を覆っていた外装は、西、北、南の縁から炭化した板材が見つかったことから「木製基壇外装」であることも明らかになった。現在、国分寺・国分尼寺で木製基壇外装と分かっているのは、遠江国分尼寺(同市)と三河国分寺(豊川市)だけという。
[参考:静岡新聞]


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