市川市国府台の「国府台遺跡」で、古代・下総国(千葉県北西部周辺)「国府」外郭の可能性のある柱列跡と溝跡が出土した。
出土した柱列跡は東西約10mで、木柱を立てていた柱穴(直径60~70cm)が約1・5m間隔で並んでいた。木柱は、国府外郭の可能性があり、板塀、または萱葺きの塀などの支柱だったとみられる。柱列跡の南側約6mには平行して、幅約1m、深さ60~70cmの溝跡も出土した。木材などの出土物はないため、奈良・平安時代のどの時期かは不明。
柱列跡の付近では、廃棄されたとみられる大量の軒丸瓦の破片が出土した。瓦の様式は、同遺跡北東にある下総国分寺跡周辺で出土した瓦と合致し、同じ所で焼かれ共有していた可能性がある。
同国府はこれまで、遺構の出土例が少なく、全体像は謎に包まれたまま。
今回の調査地点近くの北西では、以前の調査で同様の柱列跡が確認された。線をつなぐことで、わずかではあるが、国府の輪郭が浮かび上がり、国庁は出土遺構の北側にあった可能性が高くなったとする。
[参考: 読売新聞]
出土した柱列跡は東西約10mで、木柱を立てていた柱穴(直径60~70cm)が約1・5m間隔で並んでいた。木柱は、国府外郭の可能性があり、板塀、または萱葺きの塀などの支柱だったとみられる。柱列跡の南側約6mには平行して、幅約1m、深さ60~70cmの溝跡も出土した。木材などの出土物はないため、奈良・平安時代のどの時期かは不明。
柱列跡の付近では、廃棄されたとみられる大量の軒丸瓦の破片が出土した。瓦の様式は、同遺跡北東にある下総国分寺跡周辺で出土した瓦と合致し、同じ所で焼かれ共有していた可能性がある。
同国府はこれまで、遺構の出土例が少なく、全体像は謎に包まれたまま。
今回の調査地点近くの北西では、以前の調査で同様の柱列跡が確認された。線をつなぐことで、わずかではあるが、国府の輪郭が浮かび上がり、国庁は出土遺構の北側にあった可能性が高くなったとする。
[参考: 読売新聞]