歴歩

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朝来市・池田古墳 完全な形の水鳥形埴輪が初出土、累計23体に 埋葬の祭礼に使用か

2011年03月02日 | Weblog

 (写真は「発掘された日本列島2010」で展示された池田古墳出土水鳥形埴輪)

 兵庫県立考古博物館は2日、朝来市和田山町平野の池田古墳(全長141mの前方後円墳、5世紀前半)から、ハクチョウなどを模した水鳥形埴輪(高さ48cm、幅21cm、長さ44cm)が初めて完全な形で出土したと発表した。 他の7体とともに、古墳中央東側にあるくびれ付近の「造り出し」に沿って出土した。 水鳥形埴輪は葬送の祭礼に使われたとみられるという。
 他の埴輪と比べ精巧につくられており、土の色が茶色っぽく、黒雲母などが含まれていることなどから、但馬で作られたものではなく、大和・河内の工人が作った可能性があるとしている。 巣山古墳(奈良県葛城市)で見つかった水鳥形の埴輪とよく似ているという。
 2009年10月時点で、水鳥形埴輪が15体見つかっており、今回新たに見つかった8体を含めて累計23体となった。 応神天皇陵とされる誉田御廟山古墳(大阪府羽曳野市)の15体を上回り最多となった。
 ほかに、兵庫県で初めての蓋形木製品(埴輪)が出土した。
 現地説明会が3月5日(土) 13:30に開かれる。
[参考:時事通信、共同通信、兵庫県立考古博物館HP]

完全な水鳥形埴輪が初出土=葬送に使用か、全国最多に―兵庫・池田古墳(時事通信) - goo ニュース

過去の関連ニュース・情報
 2010.11.9 池田古墳 後円部北側外縁部の葺石が見つかる
 2010.6.28 「発掘された日本列島2010」を見て
 2009.10.30 池田古墳 墳丘東側の造り出しから第2段目葺石部までを調査中、11月3日に現地説明会
 2009.2.20池田古墳 水鳥形をした子持ちの鳥形埴輪出土
 2008.12.20 池田古墳 現地説明会 12/23

2011.12.3追記
 朝来市教委は、池田古墳で後円部から円筒形埴輪の破片十数点が出土したと発表した。
 周濠の端は確認できなかったため、周濠の規模を確定することができなかた。
 現地説明会が3日(土)午前11時から開かれる。
[参考:毎日新聞]
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岐阜市・岐阜城下町遺跡 斉藤道三の城下町遺構を初確認

2011年03月02日 | Weblog
 岐阜市教育委員会は1日、岐阜城下町遺跡(岐阜市松ヶ枝町)の発掘調査で、戦国武将斎藤道三が、後に岐阜城となる稲葉山城があった稲葉山(現・金華山)の麓に築いたとされる城下町の遺構が初めて確認されたと発表した。
 16世紀中期の斎藤道三の時代に築かれた武家屋敷の一部とみられる掘立柱建物の跡や井戸、屋敷の庭園に使ったとみられる石組み遺構、武家屋敷の敷地を区画する幅約5mの溝などが確認された。今回確認された地下約1mの遺構の上層には、火災によって焼けた土や炭の層が約10cmの厚さで堆積していた。消失した建物のものと思われる炭や、中国・明時代の青磁や白磁、瀬戸・美濃産陶器など同時代の陶磁器の破片も土中から発見された。 信長家臣の太田牛一が記録した「信長公記」には、永禄10年(1567)信長が美濃に攻め入り、城下町に火をつけたという記述があり、今回の発見はこの記述の裏付けとなった。
 またこの直後、ポルトガル宣教師ルイス・フロイスが信長と面会するため訪問しており、1569年に書かれたイエズス会への報告書の記述とも符合しているとする。
 現地説明会は5日(土)午前10時から12時まで開催される。 同時に「信長公居館発掘調査」の現場一般公開も行われる。
[参考:共同通信、読売新聞、岐阜市HP]

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羽曳野市・峯ヶ塚古墳 前方部の南西隅と周濠の一部を確認

2011年03月02日 | Weblog
 羽曳野市教委は1日、峯ケ塚古墳(5世紀末、前方後円墳)で前方部の南西隅と周濠の一部を確認したと発表した。
 墳丘の裾部分から円筒埴輪の破片、周濠からは転がり落ちた葺石がそれぞれ見つかった。
 5日午前10時から午後3時まで現地を公開。フェンスで囲まれ、普段は立ち入れない墳丘内も見学できる。
[参考:産経新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2008.10.25峯ヶ塚古墳 周濠南側内堤に土塊を用いた盛土

峯ヶ塚古墳 (羽曳野市軽里2丁目)
 周辺には仁賢陵古墳や白鳥陵古墳の大型前後円墳が多く築かれている。
 墳丘長96m、後円部径56m、前方部幅74mの前方後円墳。二重の周濠と堤をもつ。昭和49年に国の史跡に指定。
 5世紀末から6世紀初頭に築かれた、大王陵クラスの古墳とみられる。
 これまで9回の発掘調査が行われ、なかでも第4次調査では後円部の主体部が調査され、幅広の竪穴式石室か竪穴系横口式石室の一部と豪華な副葬品が発見された。阿蘇産凝灰岩の石棺が納められていたとみられ、石室内部には金銅製の魚形の飾りを付けた太刀15本以上や挂甲・馬具・ガラス玉や管玉など3,000点を越える副葬品が発見された
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