歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

港区・増上寺 江姫のひ孫・奈阿姫の写経「紺紙金泥浄土三部経」を発見

2011年03月09日 | Weblog
 今朝の読売新聞の文化面で表題の記事が掲載されていた。 他にもと探してみると、7日の朝日新聞にもあったし、江戸東京博物館のHPにも3月15日から開催される企画展「芝 増上寺 ~秀忠とお江の寺」(3/15~5/29)の新発見資料として載っていた。
 1月末に、江戸東京博物館「江 姫たちの戦国」展で、次回の企画展「芝 増上寺 ~秀忠とお江の寺」のパンフレットをもらっていた。それを見返してみると、浄土三部経・尊光法親王(1645-1680)筆・大本山増上寺蔵と記され写真が載っている。 それが、尊光法親王でなく、奈阿姫筆と分かったわけである。
 奈阿姫は江姫のひ孫に当る。(下記参照)
 江姫(崇源院、徳川秀忠継室、1573-1626)→千姫(天樹院、豊臣秀頼正室のち本多忠刻正室、1597-1666)→勝姫(円盛院、池田光政正室、1618-1678)→奈阿姫(慈雲院、本多忠平正室、1634-1697)と続く。
 増上寺の「紺紙金泥浄土三部経」は奥書(おくがき)から、千姫が父・2代将軍徳川秀忠の供養のため施主となり、千姫の孫・奈阿姫が一人で書き写したものだったことがわかった。寛文五年(1655)に作られ、秀忠の廟所・台徳院に奉納された。
 千姫は、その翌年に亡くなった。
 そこで、奈阿姫は千姫を弔うために、千姫の菩提寺である茨城県常総市の弘経寺(増上寺別院)に紺紙金泥浄土三部経を書写し奉納している。 常総市HPでは、寛文年間(1661~1673)に書写されたものであるとしている。
[参考:読売新聞、2011.3.7朝日新聞、江戸東京博物館HP、常総市HP、1992.5.1浄土宗新聞]

備考:
■ 浄土三部経(阿弥陀経)とは、『仏説無量寿経』・『仏説観無量寿経』・『仏説阿弥陀経』から成る。 
■ 奈阿姫は、池田光政の長女として生まれる。承応3年(1654)7月に、本多忠平に嫁ぐ。子が出来なかった。
■ 豊臣秀頼と側室・小石の方(成田助直の娘)との間に生まれた、同じ名前の奈阿姫(天秀尼、1609-1645)がいる。豊臣秀頼の正室・千姫(天樹院)がこの奈阿姫を自らの養女とした。大坂夏の陣(1615)による大坂城落城後は、出家し、「駆け込み寺」あるいは「縁切り寺」といわれる鎌倉の東慶寺に入り、その後、20世住持となる。東慶寺のHPでは、1616年、7歳のときに寺に預けられたとしている。

写真は東慶寺(鎌倉)の庭園に咲くミツマタ(三椏)2004.4.1撮影


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大津市・関津遺跡 鎌倉時代の梁発見

2011年03月09日 | Weblog
 滋賀県文化財保護協会が9日、大津市関津の関津遺跡(せきのついせき)内の琵琶湖に注ぐ川跡で、アユなど川を遡上する魚を捕った鎌倉時代の「梁」とみられる漁具がほぼ完全な形で出土したと発表した。200本以上の木の杭が川底に打ち込まれていた。
 水の流れを完全に堰き止めることをせず、部分的に流れを遮り、魚を捕りすぎないようにしていた。中世から湖の資源を守る漁法があったことを示す貴重な事例としている。
 現地説明会は12日(土)午前11時から開かれる。
[参考:産経新聞、中日新聞、NHK滋賀]
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大和郡山市・筒井城 13世紀の大型の井戸跡を発見

2011年03月09日 | Weblog
 奈良県大和郡山市教育委員会が9日、戦国武将・筒井順慶(1549-1584)の居城だった筒井城が、筒井氏が文献に登場する以前、遅くとも13世紀から約300年間にわたって城郭として存続していたことが発掘調査で分かったと明らかにした。
 城跡の中心的な場所で、13世紀中頃の筒井城の前身施設とみられる堀を埋めた厚さ40~50cmの盛土の整地面で、直径0.9m、深さ2m以上の大型井戸が見つかった。 一緒に出土した土器からみて、いずれも13世紀後半に掘り、14世紀前半までに埋め戻したとみられ、井戸の規模から邸宅用ではなく、城郭用とみられるとする。
 これまでの調査で14世紀末~16世紀末ごろまで存続していたと考えられていた。
 過去の関連ニュースで、
 筒井城の創築時期は不明だが、僧侶・満済(まんさい、1378~1435)が残した「満済准后日記」』(まんさいじゅごうにっき)に永享元(1429)年の条に、筒井館と記載されるのが初見である。当時の主は筒井順覚(?~1434)。
 としているので、筒井順覚の時代のものかもしれない。 筒井順覚の名前は、「東大寺薬師院文庫史料」の中で、至徳二年(1385)・11月11日 筒井順覚等連署置文案にて現れる。
 現地説明会は12日(土)午前10時~正午に開かれる。
[参考:産経新聞、奈良新聞、『東京大学史料編纂所報』第13号]

過去の関連ニュース・情報
 2010.3.12 奈良県大和郡山市・筒井城 破城令により堀の埋め戻し跡が出土
 2009.2.26 大和郡山市・筒井城跡 14世紀末から15世紀前半頃の『畝堀』が出土
 2008.9.25 伊賀市・上野城趾 筒井定次時代の土塁発見
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阿賀野市・山口遺跡 唐三彩の弦楽器のミニチュア(玩具)の破片が出土、国内初

2011年03月09日 | Weblog
 新潟県埋蔵文化財調査事業団は9日、阿賀野市の山口遺跡で、「唐三彩」(618~907年)の玩具が出土したと発表した。唐三彩の玩具出土例は、国内で初という。 、遣唐使が土産として持ち帰った可能性があるとしている。
 昨年10月、同遺跡の9世紀前半(平安時代前期)の地層の穴から見つかった玩具は、唐の弦楽器「古琴(こきん)」を模したとみられるミニチュアの破片(縦2.5cm、横3.5cm)で、資料などから全長15cm程度だったと推定されるとしている。 このほか、壺のミニチュア玩具の一部とみられる破片も見つかった。
 山口遺跡は、阿賀野川右岸の沖積地の自然堤防上(標高約6m)に立地する。2008年度に発掘調査が実施され、これまで、弥生・古代・中世の遺構・遺物が出土している。
 昨年秋には、高床式倉庫と考えられる奈良時代から平安時代にかけての建物跡などが見つかり、当時の行政区域である沼垂郡(ぬたりぐん)(現在の阿賀北地域)の物資の集積場だったとみられとして、現地説明会が開催された。
[参考:時事通信、産経新聞、読売新聞、毎日新聞、新潟県埋蔵文化財調査事業団HP]
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