歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

栃木県那珂川町・那須官衙遺跡 古代の道路跡発見

2011年03月06日 | Weblog
 那珂川町教育委員会が発掘調査をしている那須官衙遺跡で2日までに、正倉から南へ150m離れた場所で、古代の道路跡(幅8・5m)が見つかった。奈良から平安時代にかけて整備され、正倉付近を通っていることから、幹線道路の一つとみられる。
 瓦や須恵器片も数点出土した。
 現地説明会が6日(日)午後1時半から開かれる。
[参考:2011.3.3下野新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2009.8.28那須官衙遺跡 大規模な区画溝を確認、政庁の区画か
 2008.11.22 那須烏山・さくら市 長者ケ平遺跡と東山道、タツ街道 国史跡に国文化審が答申

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福井県・越知山 泰澄ゆかりの地から奈良時代の須恵器片発見

2011年03月06日 | Weblog
 越前町教委は3日、同町大谷寺の越知(おち)山(標高612m)山頂付近で、奈良時代中期の須恵器片1点を発見したと発表した。越知山は同時代の白山信仰の祖、泰澄(682-767)が14歳で修行を始め、また晩年を過ごした山として知られ、また、持統天皇9年(695)に泰澄が開山したとの伝承がある。 日野山や文殊山など泰澄が修行したという話が伝わる県内の山では、これまで8~9世紀の須恵器が見つかっているが、越知山では発見されていなかった。
 同山山頂付近の殿池から流れる小川沿いで破片を見つけた鯖江市の男性が、昨年10月に町教委に持ち込んだ。町教委が周辺の調査を行い、新たに鎌倉から明治時代までの越前焼や磁器など計9点を採集した。
 須恵器片の大きさは縦8・5cm、横5・6cm、厚さ7~11mm。形状から甕(最大径約35.5cm)の一部とみられる。使われている土の鉄分が多いため表面に黒い斑点があり、表面は窯の中で薪の灰がふりかかったものが溶けてガラス化した薄緑色の自然釉がかかっており、奈良時代中期の西暦740年から760年ごろ、越前町の佐々生、樫津地域の高温窯で焼かれた須恵器と焼き方や土、自然釉の色などが似ているため、この窯で焼かれたとみられる。
 当時、山は神聖な場所とされ、一般の人たちは登らなかった。甕は水や食料を保存するのに使われていたことから、山岳修験者などが寝泊まりする宿坊が山頂にあった可能性が高いとしている。
 今回見つかった須恵器の年代は740~760年ごろと推定され、「泰澄和尚伝記」で泰澄が白山から越知山に戻ったと伝わる758年にも近い。
[参考:福井新聞、朝日新聞、産経新聞、毎日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2008.08.18 立山・剱岳山頂の錫杖頭 制作年代特定できず

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栃木県市貝町・頼朝塚古墳群 古墳時代終末期の一辺18mの方墳を確認

2011年03月06日 | Weblog
 栃木県埋蔵文化財センターは市貝町市塙の頼朝塚古墳群の発掘調査で、小貝川上流の芳賀郡ではこれまで確認されていない古墳時代終末期(7世紀)の方墳1基を確認したと発表した。
 頼朝塚古墳群は市貝町役場の北東約500mの山中にあり、6世紀から7世紀の古墳12基の存在が確認されていた。
 今回調査したのは12号円墳と13号方墳。方墳は縦横18mで盛り土の高さ約50cm。横穴式石室?の南側から瓶や坏などの須恵器の破片が見つかった。
 円墳も終末期の造営と思われ、直径は約20m。外周に溝があり北側の溝から割った須恵器の瓶1点が出土した。
 現地説明会が6日(日)午前10時30分からと午後1時30分からの2回開催される。
[参考:下野新聞、とちぎ県文化財センターHP]

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