歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

常陸太田市・日向遺跡 「日奈田」と書かれた墨書土器が出土

2011年03月10日 | Weblog
 茨城県教育財団は9日、常陸太田市亀作町日向(ひなた)の「日向遺跡」から、遺跡名にもなっている地名(字名)「日向」を裏付ける「日奈田」と書きれた平安時代の墨書土器(茶碗)が出土したと発表した。 外部から持ち寄られたと思われる「緑釉陶器」なども多数見つかった
 遺跡は、昨年6月から調査が続いており、古墳時代前期から平安時代の遺跡と見られ、今回調査で古墳時代中期の古墳1基と、竪穴住居跡約140軒が重なり合う大規模集落跡を確認した。
 古墳は、墳丘部直径30mにも及ぶ大型で、円墳か前方後円墳と想定される。横穴式石室を持つ古墳1基の存在も明らかとなり、遺跡周辺にいくつかの古墳が築かれていた可能性があるという。
 現地説明会が12日(土)午前10時半からを開かれる。
[参考:産経新聞、毎日新聞]
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奈良市・西大寺赤田横穴墓群 土師氏一族の墓か 亀甲形など陶棺7基が出土

2011年03月10日 | Weblog
 奈良市教委埋蔵文化財調査センターが10日、奈良市西大寺赤田(あこだ)町の古墳時代後期(6世紀後半~7世紀中頃)の赤田横穴墓群で、亀甲形陶棺6基と小型陶棺1基が見つかったと発表した。近隣には大和朝廷で埴輪作りをした土師氏(菅原氏・秋篠氏)の居住地があり、一族夫婦や兄弟姉妹の墓の可能性が高いという。
 昭和58年に横穴墓2基が出土した地点の西側に隣接する約1千㎡を調査した。 東西約30mで、縦に並ぶ大小15基(長さ8~3・5m)の横穴墓が新たに確認され、実際に発掘した7ヶ所のうち5ヶ所で赤や緑で彩色された陶棺7基が出土した。
 陶棺3基は埋葬当時のほぼ完全な状態で出土した。 墓群中央付近の5号墓からは、表面が格子状の模様で装飾した亀甲形陶棺(長さ2m~2m10cm、幅45cm~60cm、高さ60cm)が2基並んで見つかった。 底部に円筒形の脚が数十個付いていた。棺は土で埋まり、副葬品の土器や壺15点がそばにあった。 北側の1基(長さ2・2m、幅と高さ0・7m)は6世紀後半の造営で、同形としては最古級とみられる。
 長さ1・1mの小型陶棺の下には、6世紀の埴輪の破片が敷いてあった。
 土師氏の技術者集団(工人)が技術力誇示のため彩色や細工を施したとみている。
 現地説明会は13日(日)午前10時から開かれる。近鉄大和西大寺駅の北西約1.2km。
[参考:共同通信、産経新聞、朝日新聞]

備考: 赤田の読み
 奈良市のHPで得られる情報では(1件)のみ、赤田横穴墓群(あこたおうけつぼぐん)としている。(20094.27)  ただし赤田町は「あこだちょう」と呼ぶらしい。
コメント (1)
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観音寺市・平塚古墳 石室や墳丘規模が明らかに 13日に発掘調査現地説明会

2011年03月10日 | Weblog
 観音寺市大野原町大野原の県指定史跡「椀貸(わんかし)塚古墳・平塚古墳・角塚古墳」の保存・活用を図るため06年度から調査をしている同市教委は、昨年度までの調査で椀貸塚古墳は、墳丘37・2m、石室全長14・7m、玄室空間容積約70㎥であることを確認し、石室全長では四国最大規模であることなどが分かったとしている。
 今年度は、平塚古墳の範囲確認調査を行っている。 同古墳は7世紀初め頃には四国最大級の横穴式石室を有し、県内最大の円墳とされている。 今回の調査で、石室全長や墳丘の規模などが明らかになってきたという。
 現地説明会が、13日(日)午後1~3時に開かれる。
[参考:毎日新聞、観音寺市HP]

過去の関連ニュース・情報
 2009.9.25 観音寺市・椀貸塚古墳 横穴式石室の羨道の一部を確認
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牧之原市・宮下遺跡 平安時代末から鎌倉時代初期の県内最大規模の「柱穴内礎石建物跡」が見つかる

2011年03月10日 | Weblog
 牧之原市教委は9日、同市坂部4439の宮下遺跡から、平安時代末から鎌倉時代初期に建てられたとみられる、上屋を支えるため柱穴に礎石を入れた「柱穴内礎石建物跡」が見つかったと発表した。
 北西区域から中央にかけて南北8m、東西20mに及ぶ大きさで県内最大規模。 発掘された礎石の埋め込まれた穴(直径約40cm)は2~2・6mおきに配列されていて、約50基を確認した。
 また、建物跡の東側には、南北方向に流れる幅約3・5mの溝に、横幅2mほどの橋がかかっていたとみられる6本の橋脚が見つかった。 溝の中からは、皿などの墨書土器と、長さ75cmの六角形状で、墨で梵字や年号が書かれた木簡卒塔婆、男の顔が描かれた呪符(じゅふ)木簡も発掘された。 宗教色の強い拝殿のような特殊な建物とも考えられとみられる。
 宮下遺跡(6513㎡)は、牧之原台地南部丘陵の坂口谷川中流西側の標高10mほどに位置する。 1972年の調査で、隣接する若宮八幡宮(現在の坂部神社)との関連が推測できる「土・中・若」とかかれた小皿の「墨書土器」が出土し、平安末期から鎌倉初期の遺跡と推定されている。
 現地説明会が12日(土)午前10時半と午後1時半に開かれる。
[参考:静岡新聞、中日新聞、朝日新聞、毎日新聞]

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福岡県大刀洗町・高樋辻遺跡 弥生中期の墓地群が見つかる 甕棺墓、土壙墓、木棺墓など約150基

2011年03月10日 | Weblog
 福岡県三井郡大刀洗町教委は9日、同町高樋の高樋辻(たかえつじ)遺跡から、弥生時代中期の墓地群が見つかったと発表した。甕棺墓が54基、土壙墓や木棺墓が計62基出土しており、発掘中を含めると計約150基に上る見通し。
 遺跡は大刀洗川左岸の丘の頂部(標高約18m)にあり、2009年に甕棺が見つかった。
 甕棺墓は弥生時代、福岡県西部から佐賀県にかけての地域で埋葬の主流。 二つの甕を合わせて、甕の口を粘土で固めて棺にした様子が分かる状態で出土したものもある。 高樋辻遺跡では、直径80cm、高さ80cmほどの素焼きの甕棺が用いられている。中には、高さ40cm未満の子供用とみられるものも含まれていた。骨はなかったが、一部に歯が残っていた。 副葬品が見つかっていないことから、一般民衆の共同墓地だったらしい。
 現地説明会が12日(土)午前10時半から開かれる。
[参考:西日本新聞、読売新聞]

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大垣市・荒尾南遺跡 県内最古、弥生時代の組合せ式箱形木棺が出土

2011年03月10日 | Weblog
 岐阜県文化財保護センターは9日、大垣市荒尾町から桧町に広がる荒尾南遺跡の縄文時代晩期から古墳時代前期の河川跡縁辺部で、弥生時代の木棺墓群を発見し、そこから組合せ式箱形木棺9基を確認したと発表した。 木棺としては県内最古であり、弥生時代のものとしても初めて。東海3県では2009年に平手町遺跡(名古屋市北区)から出土した舟形の木棺に次いで2例目となる。 なお、古墳時代前期の木棺は大垣市・曽根八千町遺跡(そねはせんまちいせき)で出土している。
 発見した木棺墓9基は、底板、側板、小口板がそれぞれ残っているもの2基、小口板のみ残っているもの1基、小口板の痕跡のみ確認できたもの6基であった。 蓋板はなかったが、底板、側板、小口板がそれぞれ残っている2基は、長さ約1.5m、幅約42cm。 片方の木棺墓からは、管玉3個、少量の赤色顔料、土器片などが出土した。 ともに、人骨は出土しなかった。
 その他の木棺墓からも土器の小破片が出土した。出土した土器の年代や発見した土層の堆積状況から、木棺墓はおよそ弥生時代中期以前に造成されたと考えられるとする。
[参考:読売新聞、岐阜県HP(教育委員会文化財保護センター)]

備考: 昨年11月13日(土)に行われた現地説明会では、2基の組合せ式箱形木棺が出土しており、長辺170~190cm、短辺50~55cmとしていた。 さらに、今年2月14日(日)に赤坂総合センター (昼飯町)で行われた発掘調査報告会では9基の木棺が発見されたことが報告されている。

過去の関連ニュース・情報
 2010.11.10 荒尾南遺跡 掘っ立て柱建物跡3棟、倭鏡、銅鏃が見つかる
 2010.7.6 平手町遺跡 昨年2月に見つかった舟形木棺はヒノキ製
 2009.11.11 荒尾南遺跡 弥生-古墳前期の遺跡としては岐阜県内屈指の規模を確認 11/14に現地説明会
 2009.2.21 平手町遺跡 日本最古(約二千年前)の舟形木棺が出土
 2008.11.11 荒尾南遺跡 現地説明会 11/15
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