岩国市教委は24日、中世の豪族が築造したとされる同市川下地区の「加陽和泉守(かやいずみのかみ)居館跡」の追加調査を終了した。
今回の追加調査で2・4m間隔に並ぶ柱を立てたと見られる礎石4個を新たに発掘。約46㎡(南北9・6m、東西4・8m)と推測された建物の規模が約96㎡に広がった。
居館跡は最大で南北約160m、東西約140mとみられている。
加陽和泉守は、戦国武将・毛利元就(1497~1571)に仕えた人物。元就が1555年、現在の岩国市玖珂町にあった鞍掛城を落城させた前後に、館に移り住んだとされる。
[参考:中国新聞、2010.10.1加陽和泉守居館跡 建物跡の礎石(板石)を新たに確認]
今回の追加調査で2・4m間隔に並ぶ柱を立てたと見られる礎石4個を新たに発掘。約46㎡(南北9・6m、東西4・8m)と推測された建物の規模が約96㎡に広がった。
居館跡は最大で南北約160m、東西約140mとみられている。
加陽和泉守は、戦国武将・毛利元就(1497~1571)に仕えた人物。元就が1555年、現在の岩国市玖珂町にあった鞍掛城を落城させた前後に、館に移り住んだとされる。
[参考:中国新聞、2010.10.1加陽和泉守居館跡 建物跡の礎石(板石)を新たに確認]