九州歴史資料館(福岡県小郡市)は15日、京ケ辻遺跡(同県みやこ町有久)で、古墳時代中期(5世紀頃)に須恵器を作っていた「工人」のものとみられる集落跡が見つかったと発表した。 国内で須恵器が作られ始めた5世紀前半の工人集落跡が出土するのは九州初。
見つかった集落は直径約100mの範囲に広がり、16棟の竪穴式住居跡、4棟の掘立柱高床倉庫跡、調理用の土師器など数百点とともに、高坏や壺など40点以上の須恵器が見つかった。 これらは、京ケ辻遺跡の北東約1kmにある居屋敷遺跡(いやしきいせき、同町徳永)の窯跡で1989年に見つかった須恵器と形や色合いがよく似ており、また窯跡と集落跡の距離が近いため、居屋敷遺跡で須恵器を作っていた技術者の集落の可能性が非常に高いとしている。
また、京ケ辻遺跡にはかまどの跡があり、朝鮮半島の伽耶地方の遺跡と共通しているという。
[参考:西日本新聞、毎日新聞]
見つかった集落は直径約100mの範囲に広がり、16棟の竪穴式住居跡、4棟の掘立柱高床倉庫跡、調理用の土師器など数百点とともに、高坏や壺など40点以上の須恵器が見つかった。 これらは、京ケ辻遺跡の北東約1kmにある居屋敷遺跡(いやしきいせき、同町徳永)の窯跡で1989年に見つかった須恵器と形や色合いがよく似ており、また窯跡と集落跡の距離が近いため、居屋敷遺跡で須恵器を作っていた技術者の集落の可能性が非常に高いとしている。
また、京ケ辻遺跡にはかまどの跡があり、朝鮮半島の伽耶地方の遺跡と共通しているという。
[参考:西日本新聞、毎日新聞]