マニフェスト
(Manifesto:イタリア語から英語経由)
宣言書・声明文の意味で、個人または団体が方針や意図を多数者に向かって知らせるための演説や文書のこと。日本ではその体裁から「有権者団との契約」と解されることが多い。
イギリスでは厳密に法的な意味での契約の命令的性格については否定されている。
アジェンダ
(Agenda:ラテン語、イタリア語から英語経由)
会議における検討課題、議題、議事日程。(公的機関の)スケジュール、行動計画、日程表。
A political agenda is a set of issues and policies laid out by an executive or cabinet in government that tries to influence current and near-future political news and debate.
政治的アジェンダとは、(仕事の)実行者(exective)や、内閣が、現下もしくは近い将来の政治的なニュース(関心事)、論戦に影響を与えようとして設定する一連の政策のこと。
…ダメな訳だな。訳者は僕だ。
以上日本語版、英語版Wikipediaを参照した。
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マニフェストという(日本)語は、おそらく民主党が日本の政治に定着させたものだろう。一方アジェンダという(日本)語は、みんなの党が実質的に最初と見なしていい。正確には渡辺代表がそうなのかもしれない。参議院選挙後のインタビューで、「みんなの党はアジェンダの党であり、連立はしない」と述べていた。
でも、アジェンダは日本語では、まだ、ない。英語の先生である僕・全英連参加者は、マニフェストもアジェンダも、実は違和感がある。
マニフェスト
この参院選まで、一時は書くこと、使うことにゴーを出そうかと思っていた。でも、やっぱりまだ「マニフェスト」とカッコをつけておくべきだと感じるようになった。定義・意義・使われ方が、政治(家)側の都合で変えられてしまう。なんだか、以前の選挙公約と、実態として差異が見えなくなってきている。そんな気がしてならないのだ。
アジェンダ(政治的アジェンダ)
僕が最初にこの言葉に興味を持ったのは、第1期クリントン政権の時だった。この語は上記のような意味を含有する英単語である。ただそれが、日本語文の中で使われると、記号、かけ声のようになる。そうすると、色あせるし変質する。その使い方が、意図的でも、そうでなくても、も正直不気味な感じがする。意図的だとしたら不誠実だし、そうでないとしたら、鈍感である。
渡辺代議士には、この語が持つ意味・概念を、日本語で定義を明確化し、表現する努力を求めたい。現状では、「アジェンダ」とカッコ付き。意味不確定の外来語の域を出ない。
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日本の政治家のみなさん。日本語を使いましょう。あなた方は日本の公務員である。
カタカナ由来の定義の曖昧な日本語は、自己都合により、どうにでも使える。いかにも政治家的な言葉遣いだが、もう、そういう言葉の使い方は、すべきではない。