もう10年以上前になるが、帰国子女受け入れ高校に勤務していた。その学校で初めてクラス担任をした時、帰国子女がいた。パラグアイ国籍の日系三世の女子だった。
あまり詳しく書くと、古い話でも個人情報なので慎むべきだが、その生徒の祖父母が日本から移民、苦労して現地で生活を成り立たせて、その生徒の両親世代を育てた。彼女はその子どもだった。
父方母方とも日本からの移民の方で、2人の祖父・祖母とも日本人。だからその生徒のご両親も、いわゆる「人種」的には日本人(国籍はパラグアイ)である。当然僕が受け持った生徒も、外見上は全く日本人。でも、日本語、スペイン語、ポルトガル語を使うことができた。日本語以外を話している時は、日本人には見えなかった。こういう状態・話者をマルチリンガルというのかと、初めて実感させてくれた生徒だった。
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外見は日本人でも、彼女は日本人の生徒と違うことが三つあった。
一つ目はものの考え方・表現・感じ方。あえて言うならば、メンタリティーかと思う。感情表現は明らかに日本人とは違った。様々な場面で日本社会(学校)にアジャストするために随分苦労をしていた。今回のワールドカップの試合を見て、どう思ったかな。そんなことを考えた。
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二つ目はこんなことである。
『先生。
『なんだい
『実はわたくし、本名が違うのです。
『はい?
『ほんとうは、名前・◎◎◎ 名字①・名字②なのです。
学校は学籍を作る時、戸籍謄本のたぐいの提出は求めない。中学校からの指導要録、保護者が記入作成する在学保証書等に記載されている名前が、学籍簿(生徒名簿)に使われる。その生徒は「名字①・名前」で生徒名簿を作っていたのだが、本名はそうではないとのこと。クラスメイトに言った方がいいかどうかの相談だった。
◎◎◎は洗礼名、名字はアメリカ人などの名前(?)でもちいられる、二つのファミリーネームをハイフンで繋ぐ形式だった。例えばこんな感じである。
学校生活では「田中花子」
戸籍上は「Hanako Mary Suzuki-Tanaka」
僕は日本人の名字でも、ハイフンで繋ぐことがあるのは初めて知った。
その生徒と話しながら、別段クラスメイトに伝える義務はないこと。名前なんて、周りはあまり気にしていないことを伝えて、確か卒業までその名前で通した記憶がある。
三つ目は、日本語である。日本語は普通に話すことができるのだが、古かったのだ。彼女の過ごした日系人コミュニティーはあまり大きくなく、コミュニティー内で話される日本語が、祖父母世代の日本語だったのだ。その生徒も、日本語は祖父母に教えてもらった。移民二世はスペイン語が母語になるが、一世は日常語、母語は日本語。だから、言葉の選び方、ですます調の話し方などは、明らかに、前の世代の日本語だった。2年生に進級するころには、目立たなくなったけど、最初の1年間は何か日本語が違うと思った。隔離された言語集団の言語は、変化が起きにくいのかなぁと感じた記憶がある。
ワールドカップで日本がパラグアイと戦ったことで、色々思い出させてもらった。
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一部事実に基づくフィクションです。