3月30日、読谷村歴史民族資料館からの帰り道で見たもの。ものではなく、場所かな。「アタトーヤー」という。
最初遠くから見たとき、バス停か休憩所に見えた。でも、バス停ではないし、ベンチもないから、休憩所でもない。何なんだろうと思った。ちょうど雨になったので、雨宿りをさせてもらった。
写真に写っているアタトーヤーと書いてある石碑の裏側に説明が書いてあった。
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アタトーヤーは巫女や根神が集って祭事やその他神への祈願等が行われたところで、神アサギと同一のものであると思われる。
昔、神アサギは村屋がある所にあったようで、首里王朝尚清王時代(1532)に行政上の便宜の為各地方的信仰を統一する目的で首里王府より任命された巫女があった。
任命された巫女は根神の上位にあって祭事を行ったようである。これが即ちサチ原巫女である。
大正の末期頃迄は巫女や各村の根神が集まり、ツタを頭に巻き、村から村の神サギを鐘を打ち鳴らして廻り歩き祭事を行っていた。
因みにサチ原巫女の詰め所は瀬名波だったようで、現在でも瀬名波巫女殿内(野殿内)と呼ばれている。
尚このサチ原巫女は各村の根神の上位にあって高志保より以北を受持っていたようである。各門中もアタトーヤーで御願するが、クディー(神人)がいる時は、その人は白衣装で祭事を行うのである。
アタトーヤーは神アサギともいう。殿とも言う。
読谷村北部では通称アタトーヤー、南部地域では殿と言っている。
1999年7月20日改築
※原文の年号は漢数字、縦書き
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文中で神アサギ・神サギとあるが、石碑のウラに書いてあることをそのまま写しているので、間違いではない。
旅の後で、いろいろ調べたけど、本来ならば、雨宿りなんかしてはならない場所だったようだ。大変失礼なことをしてしまった。