<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





秋祭りの季節がやってきた。
3年ぶりのまともな秋祭りだ。

新型コロナを第5類に分類するのかしないのか。
政府が科学よりも政治を優先しているために経済活動と合致せず、大いに問題になりつつある。
その経済活動と合致しないのは大きなマイナス要素で、円安、株安、物価高のダメージはある意味、民主党野田政権が安倍晋三政権にバトンタッチしたときの雰囲気に似ている。

「ああ、もう日本ダメかもしれない」

と思ったあの時だ。
結局、安倍晋三政権が周囲からイチャモンを付けられ、デマを流され、さんざんに攻撃されながらも日本経済を通常軌道に持ち直させたのは、お笑い芸人でも認めている事実だ。
岸田首相は自民党だが野田なのか。
注目が集まっているところだが、さて祭り。

祭りとて同じでコロナが拡散している時にやってもいいのかどうか。
主催者側にとっては判断の難しいところだろう。

私は大阪南部に住んでいるので当然、秋祭りが盛んだ。
私の町にもだんじりがあるが、10月祭礼なので現在準備中。
中止する、ということは聞いていないし、今年は何があっても開催するという方向なのだ。
これは各地区とも同じという感じで、どこへ行っても提灯は上がっているし、電柱や標識などは紅白の布で化粧されている。

まず、今月9月の祭礼となると、やはり大阪岸和田のだんじり祭りと大阪堺の百舌鳥八幡宮のお月見祭りが筆頭だ。
両者とも地域で最も大きく、方や勇壮で、方や雅な祭りというのが特徴だと、私は勝手に考えている。

昨年、堺の方は確か中止していたと思うが、岸和田の方は一部の町が我慢できずにプライベート開催し、他地域からの顰蹙を買っていたのだ。
警察も止めればいいものを、止めると町と揉めるので中止させる勇気がなかったのだ。

今年はというと、警察も関与することはたぶんない。
普通の秋祭りが開催されようとしているのだ。

昨日、一昨日と開催された堺の百舌鳥八幡宮のお祭りは例年と同じように屋台はでてる、メインのふとん太鼓も全町出てる、見物人で溢れかえっているという状況なのであった。
実際に見に行った私が言っているので間違いない。
周囲の道路は通行止め。
神輿を担ぐ各町の人たちはマスク付けてるけど口は覆わず。
もちろん律儀にマスクを付けていると熱中症と呼吸困難で倒れる人続出であったと思う。

太鼓の音。
掛け声。
雑踏。

祭りが普通にできるているのに、何を政府は規制したいのか。

はじめの話に戻ってしまう、今年の普通の秋祭りの風景なのだ。



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新年の初お出かけは「せんなんロングパークのスタバでお茶」なのであった。

ここ泉南ロングパークは関西空港の対岸に位置する長〜〜〜〜い、海辺の公園だ。
対岸と言っても淡路島ではなくもちろん大阪側。
ここにはコテージ、地産マーケット、レストラン街、スポーツ施設があり季節を問わずに大勢の人々で賑わっている。

とりわけここにあるスターバックスは全国で唯一水着のままで入ってくることができるスタバのお店だという。
昨年は残念ながら新型コロナのために水着での入店はできず、お店のすぐ前のビーチも遊泳禁止になってしまっていた。
それでも広い前面ガラスの窓からは海が一望でき、沖合には関西空港の全景。
飛行機の離発着を眺めながらいただくコーヒーはなかなかおつなものがある。

ここ付近の大阪湾の海はとっても美しく天気が良いと底が見える。
堺生まれの私の母は子供の頃、浜寺公園の白砂青松の浜辺の話を時々してくれたものだが、戦前のその風景には負けるかも知れないが大阪の海は随分ともとの姿を取り戻しつつあると感じることのできる場所でもあるのだ。

ここは夕日タイムがベストかもしれないが、朝もなかなか良い。
朝の陽光が関空のターミナルビルの銀屋根に反射して、それはそれで美しい光景が広がる。
遥か彼方には明石海峡大橋の壮大な姿も拝むことができる。

公園はシンプルで美しく整備されていて、犬を連れて散歩をする人、自転車で走る人、スケートボードをする若者たち、などなど。
まるでテレビドラマに出てくるアメリカ西海岸の風景を彷彿させる明るさと暖かさがある場所なのだ。

道路を挟んで陸側には大きなショッピングモールがあるのだが、そことは少し隔絶された世界でもあり、それがまたナイスなのだ。

ということで新年最初の朝の一時は海を眺める一杯のソイラテでスタート。
大阪とは思えない大阪の素敵な風景。
ほんわりする一時なのであった。


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空港で働いているカミさんの勤務先が関西空港から大阪空港に変わって約1年。
ここへ来て大きな問題が持ち上がった。

それは「大阪空港のアクセスは悪かった」ということが再認識されたことなのであった。

かつて関西空港がなかった頃。
関西の空港は大阪空港しかなかった。
八尾空港は定期便がないの除外するので大阪空港しかなかったのだ。
この大阪空港には大きな問題があった。
それはアクセスがめちゃくちゃ悪いということなのであった。

ここへ行くためにはバスがタクシーしかなく、最寄りの阪急電車蛍池駅からは歩いたら30分近くかかる、とんでも空港なのである。
今は大阪モノレールが通じていて「駅」はあるのだが、モノレールは大阪市中心部に通じておらず、どこかで鉄道に乗り換えなければならないので不便だ。

仕方がないので大阪市内からは空港バスを利用することになるのだが、これがいけない。
空港バスは渋滞次第ではいつ到着できるのかわからないというリスクがある。
したがってキチンとした所要時間を読むことができない。
だから予約している飛行機に乗り遅れないように早めにバスに乗車する必要がある。
なので万一に備えて早めに出発するから、渋滞も事故もないまま空港へ至るとめちゃくちゃ早めに到着してしまうので時間を持て余すことになる。
こんなことなので東京や福岡へ行くときは新幹線になる。
余裕をもってバスで移動する時間があれば、同じ時間で新幹線は東に向かうと名古屋へ、西に向かうと岡山に着いてしまう。
飛行機よりも新幹線のほうが圧倒的に早いという結論になる。
まったく無駄の限りなのだ。

この事故渋滞はともかくカミさんの通勤に大きな障壁がもう一つあることがわかった。

関西空港から大阪空港へ転勤したのが昨年の今頃。
この頃はコロナの真っ只中で空港が関空だけではなく大阪空港も閑古鳥が泣いていた。
というか飛行機に乗る人はヒジョーに少なくJALもANAも創立以来の危機的状況にあった。
このため空港バスはガラガラで貸切状態に近いものがあった。

ところがである。
コロナは終わっていないが終わったようになった先月から急激に利用者が増え始めた。
特に国内線しかない大阪空港はかなりの乗客が戻ってきていることに加え、出かけることができなかった中高生の修学旅行が復活。
この修学旅行生と出張客と一般旅行客が空港バスに集中し、なんと、
「満席です。次のバスをお待ち下さ〜い」
という状況は出現しているのだという。

この満席状態が出現しだした時期と阪神高速道路のリニューアル通行止め工事が重なり、カミさんはなんどかタクシーに飛び乗らなければならない状況におかれたという。
もちろんタクシー代は会社から出るわけがない。
畢竟、同じようなバス待ち客に声をかけ割り勘でタクシーという非経済的な状況が発生。
しかもその状況は阪神高速の工事が終わっても収まらず、乗りたいバスのその前の時間にバス停に到着しておかなければならない悲惨な状態になっているのだ。
で、そのバスの時間とは、初発なのだ。
それより早く行くには前の日の最終に乗る必要があるが、そんなアホなことなどできそうにない。

「もう一台出して!」
と言っても話にならない。
大阪空港バスは私が大芸大の学生時代に利用した金剛バスのスクールバスより融通がきかない困った公共交通だった。

ということで、コロナが落ち着いたことは良いけれど必死のパッチでスリル満点。
とり残されると遅刻になってしまう割りに合わない空港バス通勤。

関西空港へ戻れる日が待ち遠しい。



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箕面の森は大阪府の北摂地域のメジャーなハイキングコースで、春夏秋冬季節を満喫できる場所として知られている。
特徴はなんといっても交通の便が良いこと。
その入口は阪急電車箕面駅前にある。
阪急の箕面駅は宝塚線の急行で梅田駅からわずか約15分ほどの石橋阪大前で箕面線に乗り換え約5分で到着する。
乗車賃も梅田からたったの270円。
都心からのトンデモ便利なハイキングスポットなのだ。
石橋阪大前駅からわずか5分程度ということは大阪空港からも至近距離で、トランジットの待ち時間の間にハイキングができるという場所でもある。
尤も大阪国際空港といいながら国際線は一便も飛んでいない国際空港なのでトランジットシている人を見かけることはないが、そんな場所のハイキングスポットなのだ。

今回、紅葉を観るために私は初めてこの箕面の森へハイキングにでかけることになった。
正直に言うと生まれてはじめての箕面訪問なのであった。

大阪に生を受け、育ち生活して半世紀。
こんなにメジャーなスポットに行ったことがないという我ながら貴重な経験だった・

今回は箕面駅から箕面の滝、勝尾寺を歩き北大阪急行線(メトロ)御堂筋線千里中央駅に至るというかなりの距離を歩いた。
その中で大きなトラブルもなく紅葉を楽しんだのだが、一つだけ心残りができた。

それはお猿にちっとも出会わなかったこと。

箕面といえばお猿さん。
野生の猿共がハイカーの弁当をつまみ食いする、おやつを奪う、子供に喧嘩をうる、などその悪行はかなり有名で、箕面の名物であったはず。
そのお猿さんたちに一頭も出くわさなかったのだ。
正直猿が多いだけに周辺でもトラブルが少なくないのは知っていた。
例えば大阪大学の吹田キャンパスも大して遠くないので、ここにお猿さんが現れると大変なことになるということを耳にしたことがある。

「えらいこっちゃ!実験動物が逃げ出したかも!」

と言う具合に。
もし本当に医学部あたりから頭にアンテナを埋め込まれたようなお猿さんが逃げ出したらテレビのニュースになるわ新聞記事になるわ、動物愛護団体から突き上げを食らうわ、周辺住民からなんと言われるかわからない。
実際そんなことは起こっていないのだが、きっとそうなるに違いない。

それほどここのお猿さんは有名でもある。

ハイキングコースの途中に箕面市野猿管理事務所なるものもあったのだが、事務所員の姿はお猿さん同様に見かけることがなかった。

箕面のお猿さん、どこいったんや?
初めての箕面の森のたったひとつの期待はずれだった。


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ほぼ21ヶ月ぶりにヒコーキに乗った。
こんなにも長い期間ヒコーキに乗らなかったのはこの10年間ではじめての経験であった。
 
最後に乗ったのは確か昨年の2月。
埠頭に接舷されて物々しい雰囲気になっているダイヤモンド・プリンセス号を首都高を走る空港リムジンバスから目撃した時であった。
 
今回乗ったのは、ダイヤモンド・プリンセスを目撃したときに利用したのと同じ関空〜羽田のスターフライヤーの初発便と最終便。
私はちょくちょくこの便を利用する。
なぜならこれに乗ると朝一番に東京に入り、最終で大阪に戻ることができる。
出張の一日を有意義に利用することができる。
しかもスターフライヤーは黒い機体が印象的な美しいデザインと優れた機内サービスが魅力だ。
それにLCCとは正反対の余裕の座席。
リラックス性もピカイチで最もお気に入りでもある。
で、このスターフライヤー。
21ヶ月前まではその関空〜羽田便はANAとのコードシェアで羽田空港では第2ターミナルでの発着となっていた。
それがコロナ禍の間に第1ターミナルに引っ越しをしていたのだ。
もともと関空便以外は第1ターミナルに発着口のあるケッタイなANAグループの会社だったが、なぜだか関空便だけは第2ターミナルにあって、主にANAを多用している私には非常に便利な存在でもあった。
 
今回は第1ターミナルに到着。
少々驚いたがもっとびっくりしたことがあった。
それは第1ターミナルがゴーストタウンみたいになっていたことだった。
 
羽田への到着時間が朝7時半ということもあり売店その他はまだ開店前だったのかも知れない。
でもシャッター商店街みたいな風景は首都東京の空港にそぐわない一種異様な感覚を持たざるを得なかった。
まるで夢を見ているような感じだった。
薄暗い照明。
古臭い建物。
人気のない巨大な建造物。
ただし朝だったので救いはあった。
モノレールの改札前を通って京急の改札方面へ向かうとさすがに電車を降りてきたばかりの大勢の乗客がターミナルビルの方へ向っていた。
これから日本各地に向かうヒコーキ利用者なのだろう。
 
問題は夜なのであった。
真っ暗な羽田空港。
まるっきり廃墟のようになっている空港ターミナルは私を愕然とさしたのであった。
 
その日、新橋の烏森で古い知人と夕食をとった後、浅草線新橋駅から羽田空港行き急行に乗った。
久しぶりのいつもの東京の帰宅時間のラッシュアワー。
しかし少しばかり人が少ないように思ったのはコロナの影響なのだろう。
多くの乗客が京急蒲田で下車し、続いて糀谷、穴守稲荷と進むにつれて客数は減っていき、第三ターミナルに着いたときは回送車かと思えるほど車内は空いていた。
余談だがコロナでここへ来ないうちに国際線ターミナル駅は第三ターミナル駅に名称変更していたのだった。
第三ターミナルという成田空港の第三ターミナルを連想する不吉なネーミングだ。
 
電車が羽田空港に到着したのは午後8時。
私の乗る便は午後9:30発だったので1時間少しの待ち時間があった。
この間に私は家で待っているカミさんへ久しぶりの東京出張の土産を買おうと思っていたのだ。
だから新橋での知人との夕食も少し早めに切り上げた。
ところが、そんな流暢な状態ではないのが今の羽田空港だった。
京急を降りて第1ターミナルへ向かうと飲食店、菓子店、グッズ店などなど、店という店がシャッターを下ろして閉店状態。
ガラスのシャッターの向こう側で閉店後の作業をしている店員らしき姿もちらほらと確認することができたのだが、殆どが無人。
ただ電灯が灯っている。
そういう真夜中のブランド街というような状態だった。
 
薄暗く、人の姿もまばらなターミナル内でエスカレータだけが静かに動いていた。
なんとなく不気味だ。
 
スターフライヤーの搭乗口はどこかいな、と出発便の電光掲示板を見ると、
「大阪/関西 欠航」
とある。
背筋を冷たいものが走るのを感じた。
まさか。
今日の帰りの便がキャンセル?
関空行きだけではない。
他の数件の地方行きの便もすべて「欠航」サインが灯っている。
慌ててiPhoneのチケットを確認する。
チケットにはどこにも「欠航」などと書いていない。
よくよく掲示板を見ると「大阪/関西 欠航」と表示されているところに「JAL」とあった。
なんじゃい。
JALの関西行きか。
安心して掲示板を見直す。
欠航になっているのはすべてJALで私のスターフライヤー/ANA共同運航便は表示されていない。
ほっとした。
ほっとしたけどすぐに気づいた。
表示されていない。
ないじゃいこれ。
私の搭乗予定のスターフライヤー関西行きは表示されていなかったのだ。
 
まさか、第2ターミナルへ行かなあかんの?
 
少々焦り気味に再度iPhoneのチケットを確認する。
するとチケットにはどのターミナルビルかということは全く書かれておらず「搭乗口1」とだけ書かれていた。
不安感が旧に増してきた。
 
第一ターミナルの売店その他がすべて閉店しているのは午後8時をして出発便がすべて終了していることを意味していて空港ごと、
「今日はおしまい」
ということになっているのではないか。
スターフライヤーも出発は第2ターミナルであれば、これから第2ターミナルへ向かって移動しなければならない。
しかし、第1ターミナルに着いて第2ターミナルから出発なんてあるだろうか。
 
時間に余裕が少しあるのでこの目でスターフライヤーの搭乗口のあると思われる南の端の保安検査場方向へ向かうことにした。
なぜ南方向に向かったかというと、中央付近の保安検査場はすでに閉鎖されていたからなのであった。
 
人気がない薄暗いロビーを急ぎ足で歩く。
羽田空港は広い。
歩くうちに不安も増している。
 
歩くことようやく南の端のA保安検査場に到着すると、やった!
スターフライヤーのチェックインカウンターと保安検査場は開いていた。
係の女性が暇そうに1人ポツンと立っていた。
大阪関西行きが保安検査中ということも書かれている。
 
ホッとしたのもつかの間、土産物をどうするのか、ということを思い出した。
ふと上へ登るエスカレータの横にセブンイレブンの看板があり上方向の矢印が出ている。
もしかするとコンビニに土産物をいているかも知れない。
東京ばな奈ぐらいはあるかもしれないと思い、それでもあれば無いよりはマシなので買おうと思って店へ行った。
そしてまた驚いた。
土産物は何も置いていなかったのである。
第2ターミナルならローソンにちゃんと土産物をおいているのに〜。
 
しおしおとエスカレータを降り、早すぎることもないが保安検査場を抜け搭乗口へ向かった。
この間、他の客には1人も会わず。
ただししらシ〜〜ンとした空気が漂っていたのだ。
 
さすがに帰りの便が出発する30分程前には乗客が集まってきて搭乗口1番の前は少しはにぎやかになった。
飛行機の中は半分ほど座席が埋まっていて1グループには親子連れもいて少しはにぎやかになった。
 
それにしても羽田空港。
あ〜あ、で衝撃的な寂しさなのであった。


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再びアスファルトの道に戻って奈良方面に向かって歩き始めた。
右手には新興住宅街が。
左手には柿畑が広がる。

「ん〜、よーけなってるな(実っているなの関西弁)。1つ食べたいな〜」

とはリーダーの弁。
何を食べたいかというと収穫時を迎えている柿である。
柿畑の柿の木にはたわわに実る富有柿が。
もちろんこの言葉はリーダーだけではなく、私も他の人も食べたいと思ってたので、柿畑の横で立ち止まることになった。

「1つぐらいとってもかめへんやろ(構わないだろうの関西弁)。」

という意見も出た。
しかしここで柿を無断でむしり取りガブッと食べてその場を発見されると、遺構巡りから警察署巡りになってしまう可能性がある。
しかも我々の中には業界ではそれなりの地位の人もおり「柿泥棒」として新聞沙汰にならないまでも、業界での話のネタになってしまうような危険性もある。
社会的地位を脅かしてまで食べごろの柿を食べるのを我慢できないというわけではない。

「あ、あそこに」

と1人が収穫作業をしている高齢の農夫を見つけた。

「あの、すいません。柿....売ってくれますか?」
「いいよ」

あんがいあっさりと決着。
値段も1個50円というリーズナブルな金額で商談が成りたった。
もぎたての柿を食べるのは、子供の頃に従兄弟に連れられて入った岡山の柿山で食べて以来。
こういうもぎたてという意味では私はぐじょぐじょに熟した柿が大好きなのだが、今回はちゃんとした柿で少し残念だったが、実に美味。
夏の暑さが若干残っている暑い遺構めぐりにはピッタリの潤いなのであった。

しばらく山の中のアスファルトの道が続くと大きな新興住宅街が広がってきた。
もうどこにでもある新築一戸建てが数多く並び、片側二車線の道路の両側には大手外食レストランが並ぶといった光景である。
その住宅街に入る直前の四差路の角に時代に取り残されたような平屋の木造建物がある。
もしかして、大仏鉄道の駅舎?

そんなわけはないだろうと思いながら近寄ってみると、駅舎ではないものの結構古い建物で正直言って地震が発生したら一目散に逃げ出す必要がありそうな建物だ。
しかし趣がある。
最初は廃屋かなと思っていたがよくよく見てみると地域の公民館として使われていて今も文化教室などが営まれている現役の建物であることがわかった。
後で調べてみるとちゃんと観光ガイドなどにも載っていてそれなりに知る人ぞ知るという建物のようなのであった。

実は大仏鉄道の遺構はここからがどうしょうもないくらい詰まらないものになった。
もう光景は新興住宅街。
私の卒業した府立高校は泉北ニュータウンの中にあって毎日駅から学校までこういう光景の中を歩いて通学した。
しかしそのときは詰まらない景色なんてちっとも思わなかった。
新しい家が立ち並び綺麗な街だと思ったのだ。
ところが今「鉄道遺構巡り」として歩いてみると、こんな詰まらない場所はない。
著しく発見に欠け、ただただ日差しのきつい初秋の京都府南部を歩いているという感じでしかない。
京都府南部ではなくて感覚は奈良県なのであったが、それはそれ。
途中、木津川市の水道施設のケッタイな建物以外は見るべきものがない。
そんなエリアだった。
水道施設のケッタイな建物は中世ヨーロッパの塔のような形をした貯水施設で入り口に機関車の絵を描いた「大仏鉄道」の看板がある以外は、かつてこの近辺にあった奈良ドリームランドを一施設を彷彿させるびっくりデザインなのであった。

この新興住宅街に1つだけ大仏鉄道がここを走っていたことを示す印があった。
住宅地のど真ん中にある公園に「関西鉄道」の社標がデザインされた記念碑が建っていたことだ。

関西鉄道は国鉄に吸収されて今は存在しない私鉄だ。
大仏鉄道はもちろんのこと現在の関西本線、学研都市線、大阪環状線の東半分などを作った会社で、その最大の目標は国鉄東海道線に打ち勝つこと。
大阪〜名古屋を最短で結ぶというのが目標だったようだが、今は昔。
すでに歴史の彼方に消え去った会社なのであった。

新興住宅街を抜け南に向かう幹線道路の歩く。
丘を上り、その峠付近に「奈良県」という標識。
ここまでが京都府でここからやっと奈良県というわけで、大仏鉄道の大半は京都府下を走っていたというわけなのであった。

このまま進めば日本で最も美しいというスターバックスの一つがある鴻ノ池運動公園や奈良ドリームランドの跡地があるエリアがあるのだが、新興住宅街の無味乾燥な風景に飽き飽きしていた私たちは方向を変え、大仏鉄道の遺構ルートから離れることにした。
あと見るべきものは奈良県立大の北側になる駅舎があった跡という記念公園ぐらい。

進路を鴻ノ池運動公園直前で奈良街道方面に向かい般若寺を目指した。

大仏鉄道遺構巡りは今旬のハイキングコースになっているようだ。
この日も私達以外にも何人かのハイカーを見かけた。
自治体もパンフレットを整備してWEBサイトで公開。
奈良駅にも置かれていて都心からも近いこともありお手軽だが、なんせ路線があったのは100年も前の話。
しかも9年間しか営業しなかった遺構は多くが消え去り開発でその痕跡さえ大部分はない。

しかし、いい天気のもと加茂から奈良に入ることは古人が京から大和へ至る道に重なる。
それはそれ。
これはこれで結構楽しい15kmの旅なのであった。




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T字路を右手にとるとなんの変哲もないアスファルトの道に出た。
両側は宅地造成前の荒れ地、または工事中、或いは草茫々の山肌が出ている景色のあまりよろしく無いところだ。
ずっと西方向では大きなクレーンが2基ほど立ち並び何やら大きな建物を建設しているのであった。
とぼとぼと少し行くと道が二手に分かれているところに出てきた。
一方は左手の一車線道路で右手は2車線ほどの幅があり、その先には新興住宅地が広がっていた。
まるで私の近所の泉北ニュータウンの一角のようで非常につまらない光景なのであった。
で左手はというと道の左側が窪んでいて下に畑があり、その向こう側がゴルフ場。
前方でこの道は再び交差していてその付近にゴルフ場の玄関口があり、その向かい側に公園がある。
その公園は「大仏鉄道記念公園」という名前なんだそうだが、それらしき遺構は公園にはなさそうだ。

「こっちへ行きましょう」

とリーダーに連れられて左手の土手を下る。
左手の道の下に出てきたのだが道路の下に石積みの橋脚があり、これが「赤橋」という遺構なんだという。

「随分古いですね」
「古いです」
「橋脚は石積みですけど、橋が......あれは木でしょうか」
「木ですね」
「あの上を列車が走っていたんですかね」
「違うでしょ。100年も前の木の橋なんて残るわけがない。多分、それらしく演出しているのか........なんちゃって」



とつまらないことをぐちゃぐちゃ言いながら写真を撮った。
その橋から畑に沿って農耕用の小道を歩くとすぐにレンガ積みのアーチ型の穴が現れた。

「トンネル遺構です」


これが大仏鉄道の梶ヶ谷隧道という名前のトンネルなのだという。

「これ、随分狭いですね。100年経つ間に縮んだんでしょうか。」

と言いたくなるくらい狭いトンネルだ。
軽自動車がやっと通れるほどの狭さなので果たして鉄道のトンネルなのだろうか。
もしかすると大仏鉄道はナローゲージかインディ・ジョーンズに出てくるようなトロッコだったのか。
そんな話は聞いたことがないし、だいたい大和路線にそのまま取って代わられるのだから国鉄の線路幅で車体も国鉄サイズであったことは間違いない。

「このトンネルは線路の下を通っていて水路などがあったそうです」

と立て看板の解説。
なんじゃい。
鉄道のトンネルとばかり思っていたのは実は線路の下の水路のトンネルかい。

少しがっかりした瞬間なのであった。

私は廃線跡のトンネルというので、例えば近鉄電車の旧生駒トンネルやJR宝塚線の武田尾の旧トンネルをイメージしていた。
ところが鉄道のトンネルではなくて鉄道関連施設のトンネルなのであった。

ところが、ここでふとあることに気がついた。
先程の赤橋にしろここ梶ヶ谷隧道にしろ同じ一車線道路の下にある。
ということは........。
そう、上を通っている一車線道路が大仏鉄道の線路跡なのであった。

ここで初めて大仏鉄道がどこをどう走っていたのか。
その線路跡に出ていたことになる。

この遺構巡りのハイキングで初めて感動した瞬間であった。
そして驚くべきことに、これが最初で最後の感動でもあったのだ。

つづく


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竹林を抜けて暫く歩くと最初の遺構が現れてきた。
「観音寺橋台」という橋脚の遺構だ。
この付近の大仏鉄道の路線は現在のJR大和路線と並行していたようで遺構の橋脚と大和路線の橋脚が横並び。
積み方も同じで、

「大和路線の橋脚は大仏鉄道とほぼ同じ時期に作られた」

という説明を聞いて、なるほどと感心した。
すでに大仏鉄道開通時に大和路線構想も進んでいて、最初から大仏鉄道は短寿命を想定していたんじゃないかと思えないこともなかった。
大仏鉄道は奈良市の北側にある丘陵地帯を山越えするため路線の傾斜は最大25パーミルもあった。
25パーミールとは1000m走って25m上がるという傾斜だが、大したことはないと思いつつも当時の蒸気機関車牽引の列車ではパワー不足で色々と問題があったのだろう。
大和路線の橋脚も明治の作ということがわかったので、それもまた知識の収穫であったし、次の木津駅まで大和路線は単線だから将来的には大仏鉄道の橋脚を使って複線化することもないことはないだろう。
電車は蒸気機関車と比べると軽いし、それに今はここを走る貨物列車もない。
一見田舎だけれども大阪近郊ということもあり人口は増えつつある。

橋脚あとを抜けると道はますます山道っぽくなってきた。
路面も前々日に降った雨で少々ぬかるんでいた。
線路がどこを走っていたのかを想像して、この道が線路跡だったら大変だな、などと思いながら歩いているとT字路の行き止まりになった。
正面にはゴルフ場が見える。
左手へ行くと加茂駅方面に戻るようなので、当然のことながら右手曲がり歩いていくとアスファルトの普通の道に出た。
周囲には何もないようだが、この先に次の遺構があるという。

つづく



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加茂駅から当尾への道はなんとなく整備されており少しレトロな町並みだ。
一方、大仏鉄道の遺構へ向かう道は大きめの用水路に蓋をした線路の横のでこぼこ道なのであった。
ハイキング限定のコースなのか。
駅周辺には大仏鉄道の遺構は残っていないためこういう路地のような道を通っていくことで、少しでも遺構っぽいムードを演出する作戦なのか。
よくわからない。
しかし天気は良くて早秋の暖かさと紺碧の空がほのぼのとした気分にさせてくれてなんともいえないリラックスした気分になるのだった。

右手に大和路線の線路。
左手に小学校の校庭を臨むこと暫しすると大和路線の踏切があった。
渡ろうとしたら警報が鳴った。
しばらくすると大阪行の大和路快速がゆっくりと西方向に向けて走り去った。
単線なのに結構な交通量だ。

踏切から向こうは田んぼの中を一直線の道が延びていた。
田舎だ。
久しぶりの田舎がここにある。
私の街も和泉山脈側の山手に行くと田舎っぽくなってくるのだが、しかし山が迫っている関係でほのぼの感はこことは異なる。
子供の頃、農繁期に過ごした岡山の片田舎の関係で平地に田んぼがあってその真中を道路が通っている光景のほうが私には懐かしさと親しみがあるのだ。
しばらく歩いていくと小さな川があり、今度はその土手を南西の方角に歩いていった。
道路幅も狭く、時折農作業の軽トラックが通過する。
空はあくまでも青く、雲もほとんどない。
周囲の田んぼは稲がたわわに実っている。
遠くになった線路を電車が走っている。

この大仏鉄道ハイキングコースでは我々だけではなく他のグループの人達の姿もちらほらと見られる。

やがて道は森の中へと進み始め上り坂になる。
道の両側には竹やぶがあり、葉の隙間から秋の陽光がキラキラと輝き、幅2メートルもないだろう路面にモノトーンのシルエットを映し出している。

「嵐山みたいですね」
「確かに」
「嵐山みたいに観光客がいない分、こっちのほうが静かでいいかも」

嵐山の竹林は京都観光の有名所の一つで私もカミさんと行ったことがある。
実際の姿は観光写真にあるような「静かな京都」ではなく、観光客がぞろぞろと歩き、スマホで写メをとっているような騒々しいところだ。
インバウンド華やかしきコロナ前なんぞ、ひどい場合は中国語が飛び交い京都というよりもパンダが笹食う四川省の山の中、というような感じだった。

それと比べると確かにここは静かで、かつ美しい。

つづく



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現在のJR加茂駅は他の大阪近郊の駅と同じように自動改札があり、複数本のプラットホームがあり、駅前にはそこそこ立派なロータリーがあった。
上り下りとも単線ということを除くと普通の駅なのだが、問題はかなりのローカルな位置にあるためコンビニや売店がない。

「ペットボトルを買おうと思っていたんですけど」

とハイキングの出発地点で飲み物を確保しようとしていたあるメンバーさんは困惑の様子。
コロナのこともあるので、できれば自販機では買いたくないので、

「歩いているうちにコンビニかお店ぐらいあるだろう」

ということでそのまま出発することになったのだった。

加茂駅は大仏鉄道遺構巡りの出発点として最近は利用されているが、そもそもハイキングでなら当尾の里の玄関口でもあり昔から利用者は少なくない。
土門拳の写真で有名な浄瑠璃寺もここ当尾にある。
11世紀の創建であと25年ほどで1000年を迎える。
紅葉が有名で学生時代に私も原チャリで大阪の堺から3時間かけて写真撮影に来たことがある。
学生身分なので思ったような写真は撮れず、今そのフィルムを見ても、
「なんじゃい、これは。これでも芸大生か?」
と自分自身の力量のなさにに残念な気分になったりする出来具合でもある。
ちなみに三重塔は国宝。
その他国宝、重文が数多あるお寺さんで、1人でボーと参拝するのは観光シーズンに訪れてはいけないお寺でもある。

なお、大仏鉄道同様に奈良の浄瑠璃寺と思ってしまいがちだが、住所は京都府である。

加茂駅の駅前には大仏鉄道の遺構はまったくなく、あるのはハイキングコースを案内する道標だけ。
そこには「大仏鉄道 〇〇遺構跡→」とか書かれていて迷子になることはなさそうである。
大仏鉄道はどの方向からこの加茂駅に接続していたのだろう。
興味あるとこだが、駅前の街道や線路沿いにはそれらしい痕跡はない。

ともかく道標に沿ってあるき始めることにした。

つづく



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