石原東京都知事と橋下大阪府知事が会談して「大阪府を副首都とする」構想に合意したのだという。
大阪人はもともと政治への介入や政治からの介入が大嫌いな地柄で、過去500年に渡り商人の街として歩んできた。
政治の中心になったことは仁徳天皇の時代と太閤秀吉の時代を除いてほとんどなく、ほとんど宗教の街(石山本願寺の時代)か商人の街(徳川以降)。
その仕組は徹底していた。
例えば江戸時代。
天領でありながら政府徳川幕府の力はほとんど借りずにインフラ整備。
区画整備や運河、橋、大和川に新田開発と多岐に渡った公共事業はすべて民需で補った。
そのためかどうか、明治になるまで儲かっていても税金を払うことはまったくなかった。
この思想はつい最近まで貫かれていた。
阪神高速道路公団は阪神大震災が発生するまで天下り職員がひとりもおらず、すべて民間でまかなっていた公団だ。
そこへ役人出身者が乗り込んできて今の公団組織に相成ったらしい。
しかも偶然なのかどうかは不明だが、天下りを受け入れた瞬間から経営黒字が経営赤字に転落。
現在にまで至っている、というのはちょっと有名な話。
そんなところに「首都機能話」。
人口でも経済規模でも他県に抜かれて寂しい想いだったのが、「副首都」話で「やっぱり大阪は重要都市だったのか」とちょっと嬉しいが、それよりもかなり迷惑のなもこれ事実。
副首都機能なら京都に置けば良いと思うのだが、そこは京都人が許さないだろう。
「なんでうちとこが副首都なんどす。東京が副首都で京都が首都ですやろが」
となるのは火を見るようり明らか。
ということで、「大阪の副首都」案。
どんな嵐を巻き起こすか、しばらく注目したいところだ。
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