今年、なんとあの「ひらパー」が100周年を迎えるという。
「ひらパー」
なんて言われても、関西の人以外にはなんのことやらさっぱり分からないに違いない。
ひらパーとは枚方パークという京阪電鉄系の遊園地の名前なのだ。
その昔、ひらかたパークと阪神パークは秋になると「大菊人形展」という福島県の二本松市のようなイベントを繰り広げ、近畿では誰でも知っている有名な遊園地だった。
しかし、阪神パークは閉鎖され、遺されたひらかたパークも「大菊人形展」は開催されなくなった。
もしかしたらひらかたパークも無くなってしまうのでは、と少しばかり心配していたら、なんと「ひらパー」という大胆なネーミングで復活。
一昨年は「ひとりバンクーバー」という大胆なキャッチコピーで関西のCMポスターで注目を集め、存在感を示した。
そのひらパーが100周年。
京阪電鉄が江戸時代以前から面々と続いてきた龍馬も小五郎も利用した京と大坂を結ぶ淀川の三十石船を駆逐して、秀吉から免状を受けたと言われる「くらわんか船」と京大坂間の宿場町・枚方にオープンしたのが「ひらパー」なのであった。
関西は元々多くの電鉄系遊園地が林立していて、それはそれはアミューズメント施設の数としては首都圏に負けるとも劣らない質を量を誇っていたのだった。
私が小学生の頃はざっと名前を上げても以下のような遊園地が存在した。
南海電鉄系 みさき公園、さやま遊園、大阪球場
京阪電鉄系 枚方パーク
阪神電鉄系 阪神パーク
阪急電鉄系 宝塚ファミリーランド
近鉄系 あやめ池遊園地、伏見桃山キャッスルランド、玉手山遊園地
その他 エキスポランド、奈良ドリームランド、関西サイクルスポーツセンター、
どこもかしこも、ある一定の活況を呈していたのだが、少子化とバブル崩壊、メジャーテーマパークUSJの開園と娯楽のあり方が大きく変化して、時代に対応しきれなかったこれらのテーマパークのうち半数以上が姿を消してしまったのだ。
とりわけ東宝映画も宝塚歌劇も経営する日本のエンタテイメントのトップ企業・阪急電鉄の宝塚ファミリーランドが閉園されたときのショックは世間的にも大きく、新聞紙面のかなりのパーセンテージを占めて報じられたぐらいであった。
従って、現在の遊園地市場において「ひらパー」の健闘は驚きに値するのだ。
新聞の報道によると、年間100万人程度の入場者をコンスタントに達成しているという。
これはすごい。
大阪市営フェスティバルゲートを企画立案し、わずか10年程度でおとりつぶしになって市に数百億円という膨大な損害を与えた大阪市職員は京阪電鉄の爪の垢を煎じて飲んでいただきたいのはもちろんのこと、橋下徹市長に切られる前に、是非とも自らリストラされていただきたいと思うところだ。
この絶好調「ひらパー」のコンセプトはUSJなんかでは遊べない小さな子供抱えたファミリー層が楽しめるところ、とのこと。
例えば絶叫マシーンは少なく、子供が安心して乗ることのできる「ゆる~い」アトラクションを多く設営。
また食べ物の持込みOKが特長だ。
つまり高い入場料を払って、高くて詰まらなく、あまり美味しくもないファーストフードに似た料理を食べる必要はまったくなく、実にリーズナブルに楽しめるようになっているという。
そういえば冬はアイススケート、夏はプールが有名であることも、元気な遊園地である印なのかも知れない。
ひらパー100周年。
単なる遊園地の100周年ではないように感じられるところが、ビジネスの模範となりそうで注目してたいところだ。
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