<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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要注意:今回ネタバレあります。

往年のカーアクション映画「トランザム7000」でバート・レイノルズと一緒にトランザムに乗って走り回っていたケロッコことサリー・フィールド。
そして、コッポラの問題作「地獄の黙示録」でマーロン・ブランド演じる狂気のカーツ大佐を暗殺するためベトナムの奥地へ出かけるウィラード大尉を演じたマーチン・シーン。
この二人がまさかお爺ちゃんお婆ちゃんを演じる日が来るとは、なかなか想像することはできなかった。

映画「スパイダーマン」の最新作はキャストがすっかり入れ替わり物語もリセット。
従って主役を張っているのはトミー・マクガイヤーではなくアンドリュー・ガーフィールド、恋人役はキルスティン・ダンストではなくてエマ・ストーン。
どちらも日本では新しい顔の俳優だ。

ストーリーはまたはじめから語られて、そのへんが非常にまどろっこしいところではあったが、反面、前シリーズと比較してどのように語られるのが私的に大いに注目された映画でもあった。
結果的に「大胆な」展開で、面白いのは面白いのだが、そのまま次の作品にシリーズ化できるのか心配になってくるようなストーリーだった。

例えば、いきなり正体がバレてしまう。

物語の前半でスパイダーマンが誰であるのか、恋人やその父親などにバレてしまい、そのままストーリーが展開されていくところが、前作の「あの人はだれ?」的面白さをあえて犠牲にして取り組んだ大胆さにシャッポを脱ぐが、それだけに一般的なヒーロー物の最大の魅力である「秘密主義」が崩壊してしまい、私のような子供の頃からウルトラマンやウルトラセブン、レインボーマンなどに馴染んでいる世代には少々受け入れがたい部分がある。

また、恋人役のエマ・ストーンが美しすぎることに対して、声がハスキーなので、ついつい前シリーズのキルスティン・ダンスとが懐かしくなってしまうのだ。
恋人を抱えて街をふわふわ飛ぶスパイダーマンを見ていると、恋人を抱えて空を飛ぶスーパーマンを思い出したし、笑うところが少なく、暗いイメージになっているのでバットマンのような雰囲気を感じることもあった。

前シリーズとは全く違った雰囲気の「スパイダーマン」になったことは驚きだし、スタッフに敬意を表したいが、東野英治郎の水戸黄門が突然石坂浩二の水戸黄門になったような違和感は拭い去ることができなかった。

各所に出てくるノートパソコンがVAIOというのもソニーピクチャーの作品だけに仕方がないと思うこともあるのだが、Mac全盛のこんにちにおいてWindowsパソコンを科学者や学生が使用しているのにも違和感を感じるのであった。

そんなこんなで違和感と驚きの多い映画だったが、一番の違和感はサリー・フィールドとマーチン・シーンの爺さん婆さんであったことは間違いない。


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