大学の仕事をしていると当然のことながら多くの学者さんとお付き合いをすることになる。
私の場合は主に有機化学や生化学に関係する先生方とお仕事をさせていただいているのだが、こういういわゆる「科学者」という人たちはある共通した個性がある。
それは話が面白いということだ。
専門分野に生涯をかけて仕事をするということは、簡単なようで難しい。
大学教授になるくらいの人は、この難しいことに挑戦している人たちだ。
しかもその学術の世界において一定以上の評価を得ている人たちだから、話が面白いのは当然だ。
その他多数の科学関連の人達は民間企業に入って研究のまね事をするのか、あるいは中学、高校の無名理科教師になるのか、はたまた御用学者かテレビに出る小銭稼ぎのコメンテーターになるのだろう。
こういう優れた科学者というのは職人世界とちょっとした共通性があるように思える。
時々建築現場で働いている左官職人や溶接工、ダクト職人、配管工といった人たちの匠の技を見て感動することがあるが、科学者のそれもまた同じような「科学の匠」という凄さがある。
一つのことをやりぬくというのは、人生を賭したポリシーがあり、ピントがずれないこだわりもある。
それが優れた研究者や職人の親方になると、見かけは頑固そうで怖そうだということになる、
しかし実際は話すと優しく穏やかな人柄に接することになるのだ。
尤も、大学の先生方もその大学のレベルによって多少異なるのも仕方のないことで、ほんの一年ほど前に話題になった東京大学の似非細胞学者だったか「iPS細胞は私のほうが早かった」という一種の丸キな人も現れて困惑させられることもあるのだ。
NHK出版新書の「知の逆転」は話すと面白い東西きっての著名なベテラン科学者にインタビューした「未来への提言」のまとめなのだ。
6人の科学者が登場するが、DNAのらせん構造を解明してノーベル賞を受賞しているジェームズ・ワトソンやベストセラー「銃・病原菌・鉄」の著者ジャレド・ダイヤモンド、「レナードの朝」の著者オリバー・サックスなど。
6人が6人とも実にユニークな人々で、知的でユーモアに溢れ、多少とも皮肉っぽいところが笑わせてくれるのだ。
こういう若くして実績を造り、かつ今もなお世界の発展のために尽くしている人々の言葉というのはユーモアひとつとっても重みがある。
そして誰ひとりとして規格化された個性の人はいないことに気づく。
日本の小中学校では「人々は平等だから」という訳のわからない理論で、個性のある子どもは迷惑者、なんにでも従順なスタンダードな子どもが優等生ということが当たり前になっているが、この考えがいかに間違いであるのか。
世の中を変えるような人物は、このような考え方を持ち、このように生きてきたのだ、ということが実にわかりやすい一冊なのであった。
生涯考える人は、出る杭なのであった。
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