<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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「生きるべきか死ぬべきか」
ハムレットではないけれども、そこまでやって生きる道を選ぶのか、死を選ぶのか。
どういうことかというと、極限の状況に置かれた人間が自分の生命に対してどのような価値観で、どのように臨むのか。
その恐ろしく重いテーマを主題とした映画がロン・ハワード監督作品の「白鯨との闘い」だ。

週末の日曜日。
カミさんがもらってきた無料券があるということで普段は足を運ばないイオンシネマへ出かけてきた。
無料券の有効期間が1月末日までだったので無理やりでかけたため何を見るのか。
それがかなり限定されることになってしまった。
「スターウォーズ」はすでにIMAXシアターで鑑賞済みで小さな画面が主体のイオンシネマで2回めの鑑賞をする気にならなかった。
マット・デイモンの「オデッセイ」は来週から、
ロバート・ゼメキス監督の「ウォーク」はカミさんが見る気がしないといったので候補から外れた。
唐沢寿明が主演している「杉原千畝」は上映時間が合わなかった。
スタローンの「クリード チャンプを継ぐ男」は上映終了してしまっていたので、結果的に見逃してしまっていたのであった。
で、消去法で残ったのが「白鯨との闘い」なのであった。

正直言って「白鯨との闘い」は最初あまり見たいと思わなかった。
ロン・ハワードの映画だからきっと面白いのに違いないとは思っていたものの、やはり「白鯨」のクジラというところから単純にスピルバーグの「ジョーズ」を連想してしまっていたのだ。
これは動物パニックものではないかと。
子供の頃から動物パニック物が苦手だった。
大ヒット作「ジョーズ」が公開された時はまだ小学生だったので見る対象の映画にならなかったが、それに刺激を受けた後年の作品、例えば「オルカ」や「ザ・ディープ」などが公開された時は中学生になっていたので鑑賞する対象作品になっていたが、やはり苦手だったので両作品ともテレビで放送されたのを見たのが初めてであった。
でもこの映画。
よくよく調べてみると、
「ジョーズを期待して見ると失敗します」
なんて口コミに書かれていたので、
「まあいいや」
と見ることに決めた。
それでも結果として見てよかったのだが、大いに考えさせられることにもなってしまった。

さすがロン・ハワード。
簡単に娯楽映画では終わらせないテクニックの持ち主である。

物語は動物パニック物ではなく、漂流ものであった。
小説でも映画でもそうだが、漂流物につまらない作品はほとんどないことは以前このブログにも書いたことがあるように思う。
本題と関係ないけれども私の大好きな吉村昭の小説、
「漂流」
「大黒屋光太夫」
「アメリカ彦蔵」
などがそうだし、海外に目を向ければサー・アーネスト・シャクルトンの、
「エディアランス号漂流」
のようなワクワクどきどきする作品が多い。

この「白鯨との闘い」も漂流物として非常に面白かったのだが、漂流の苛酷さが他の作品に比べると格段に大きなものであった。
というのも、漂流数十日。
ついに食料も飲料水も枯れ果てた時、かれらは一体そこで何をしたのか。
いや、してしまったのか、というのが本作品の本題なのだ。
カニバリズム。
それこそこの作品を見る者への問いかけであり、究極の中の究極の選択を我々はどう見、そしてどう感じるのか。
極めて判断が困難な映画なのであった。

で、見終わったと気持ちが悪かったのではないかとカミさんを気遣って横を見てみると、
「あ~~~ええ映画やった~~~」
と伸びをする漂流とも飢餓とも関係のないカミさんがいたのであった。

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