それにしても前回のブログからあっという間に時間が過ぎ去ってしまった。
この間、私は検査入院をしていたわけでも、海外旅行をしていたわけでもない。
仕事が超忙しかったのだ。
忙しいと言う字は「心を忘れる」という意味なのだそうだが、まさしくその通り。
1つの仕事が終われば次の仕事が待っているというなんとも恐ろしい連チャン状態で土日もなにもなくなっていたのであった。
実際のところ曜日感覚は喪失し、ただただ仕事の作業をするだけのマシンとなってしまっていたのだった。
そんな仕事も一段落。
ということで、ず〜〜んとぶっ飛んで続きを始めよう。
幸せの国のブータン展に行って幸せを噛みしめる(下)
そんなこんなで超混雑の兵庫県立美術館であったが、「幸せの国 ブータン」展は比較的ゆっくりと鑑賞できる展覧会であった。
ところでブータン。
この国を訪れるのはなかなか難しいと言う。
私の大好きなミャンマーもその昔は入国するのが非常に困難な国であった。
なんといっても1970年代から80年代にかけては鎖国状態で訪問するにはそれなりの理由を提出しなければビザもなかなか取れない国だった。
「今時鎖国をしている国です」
と中学校の地理の時間で習った時は「鎖国」と言う言葉で私は江戸時代の日本を連想し、完全に閉じられた環境で独特の文化を育んでいるんじゃないかと勝手に思い込んでいたのだった。
実際は文化の育成ではなく、異文化の追放と異文化による経済掌握から脱出するためであったことは、後々知ることになる。
鎖国という言葉が妙に作用してミャンマーは私の忘れられない国の一つになった。
それにしても他に方法はなかったんかいと、今ではつくづく感じている。
で、文化保全のために国を鎖国にしている国がブータン王国なのだ。
鎖国とっていも完全な鎖国ではなく、外国人や自国民の往来数を制限しているというのが実際だが、それだけに自由に出入りすることが困難なことに変わりはない。
その訪れることが困難な国が、向こうから来てくれたのが今回の展示会ということができる。
展示は大きく分けて2つ。
前半の現代の産業や工芸を紹介するエリア。
後半のチベット仏教を中心とする伝統的な心の部分の2つのエリアだ。
前半は最近の美術展では一般化しつつある「写真撮影可能エリア」。
こういうところでは自分自身気に入った作品はそのディテールまで余さず撮影することができるので楽しい。
ここではブータンの伝統工芸である織物の数々を見ることができた。
おそらく基本は曼荼羅にあるのであろう様々な文様の織りなす仏教アジア的な作風は我々日本人が親しみを持つことのできるデザインだ。
さらに和服に似たブータンの民族衣装はさらに親しみを増す要素になっていた。
さらにさらに、今回は王と王妃のお召し物も特別展示されていた。
なとも贅沢なエリアなのであった。
もう一つの写真撮影禁止だったエリアは宗教や歴史に関するエリア。
ブータンはチベット仏教を信仰する王国で、その昔、チベットが中国に侵略される前はチベットの首都ラサまで歩いてお参りしに行っていたという。
その時間片道わずか3日間ほど。
ブータンはチベットやネパールに地理的に近いと思っていた。
しかし実際にはそのあたりの土地勘は当然私は持ち合わせていないので「近いだろう」と思っていた程度だった。
でもホントに近かったのだ。
様々な資料から伺うブータン王国は仏教、和服に似た衣装、そして顔つきやおそらくメンタリティー部分など国民の精神の根幹を成すところが日本にとってもよく似た国であるらしい。
そんなことを強烈に認識して、難しいながらもやはりホントに訪問してみたいと思うようになってしまった。
そんな展覧会なのであった。
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