<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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その時は唐突に訪れた。
平穏ノホホ〜ンとしていた玩具業界は、たった一つの製品で大きな岐路を迎えることになってしまったのだ。

1983年7月。
任天堂のファミリーコンピュータが発売されたのだ。

ファミコンが登場するまで、テレビゲーム機といえばエポック社のカセットビジョンが人気だった。
人気だったといってもファミコンとは比べるとマイナーな存在だった。
「テレビゲーム、そんなものより黒ひげ危機一発の方が面白い」
なんて時代だった。
カセットビジョンは良くできたテレビゲームで内容そのものはある程度洗練されていた。
けれども画質が荒くてドットが大きく、100円で1ゲーム楽しめる「アーケードケーム」と比べると全く品質で劣っていたのだ。
エポック社以外にもゲームと言えば米国のアタリ社のものがあったが、この時点で私の働いていた店は扱いがなかった。
ファミコンブームが頂点に達した1年後ぐらいにアタリのゲーム機も扱いを始めたが、内容的にはファミコンに到底及ばない粗雑なものなのであった。
ファミコンの品薄がなければ扱わなかっただろうというような製品なのであった。

そこへ「アーケードゲーム」と画面品質が変わらないファミコンが登場。
テニス、ゴルフ、ドンキーコング、マリオブラザーズなど本体価格14800円。ゲームカセット3800円は劇的な価格設定だった。

正直「安い」と思った。
この内容、この価格で話題にならないわけはなかった。

ファミコンは瞬く間に世間を飲み込んでいくことになる。

つづく


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