<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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長時間労働や周辺からのパワハラ。
そういったことでメンタルを病んでしまう、入院する、あるいは最悪の場合は自死に至る、ということがまたここ最近再び三度、話題になり始めた。

そもそも過酷な労働環境というのは何なのか。
それはその時代、その社会的背景、業種などの条件で大きく異なるように思う。

現在は完全週休二日制のところも多く、一部の私学なんかを除いて学校でも週休二日制。
それが常識だ。
でも私のような昭和の30年代から40年代までに生を受けた世代までなら常識なのは「土曜日は半ドン」。
今どき「半ドン」と言っても意味は通じず、すでに死後になっているかも知れないが、土曜日は午前中の授業がいつものようにあった。
それが常識なのであった。
私が卒業した大芸大なんかは土曜日もフルに授業があって、なぜか筆と絵の具を使う面倒くさい実習系が午後に集中していたように記憶する。

従って、学生が半ドンということは教職員も半ドンで、たぶん学生以上に働いていたのだと思う。

でも、それに疑問を挟む人は労働組合活動をしている人たちを除いて、そんなにいなかったように記憶している。

遡って江戸時代から明治のはじめ。
労働スタイルの多くが住み込みであったことから、休みという概念はあまりなく、週1休み、も無かった。
朝は夜明けとともに動き出し、日没とともに終業する。
電気のない時代なので灯火は非常に高くつくし、燭台の下での業務は非効率的でもあった。
休みといえば節季の休みで、たまに実家に帰ったりする程度で、
「働きすぎでメンタルに不調を来しました」
なんてのは古典にも歌舞伎にも落語にも登場せず、そういう人たちはそもそも生きて行けない時代だったのだろう。

意地悪な人は少なくないが、なにかはやりイレギュラーなものがある。
イレギュラーだから芝居や落語になるのだろう。
忠臣蔵の吉良上野介。
番町皿屋敷の青山一山、
あかんたれの御寮人さんのおひさ。
などなど。
いつの時代もついて回る社会性動物としての人間の裏側なのだ。

だからそれを法律や行政が断罪しようとしてもなかなかうまく行かない。
兵庫県警でイジメが原因でお巡りさんが亡くなる時代でもある。
芸事やアートの厳しい世界で亡くなる人も昔から少なくない。

ある時代から見ると、今の時代は騒ぎ方が歪で、なにかこう当事者を非難して楽しんでいる、あるいは話題にして儲けている、という構図が見て取れないこともない。

過剰労働の尺度はなんじゃい。

私もサラリーマンの時は200時間残業、1ヶ月休みなし、なんて普通にあったのだが、誰も何も言わんかった。
なぜなら、投げ出して負けたら終わりだったから。


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