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「あいつは嫌いだから飲み会には呼ばない」

という感覚で長崎の原爆平和祈念式典にイスラエルの大使を呼ばなかったのが長崎市の鈴木史朗市長。
アホです。
このヒト。
イスラエルは呼ばないのにパレスチナを招待。
このヒトの正義はエセ正義。
今後このヒトの考え方と態度には注意が必要だ。

イスラエルとパレスチナの衝突問題についてはイスラエルの民間攻撃というあってはならいことも見逃すことはできないけれども、始まりはパレスチナのハマスによるテロ行為。
だから片方だけを非難するのはバランス感覚としてまずおかしい。

この両者、どっちもどっちの世界なのだ。
なのにパレスチナだけ呼んでイスラエルを呼ばないというのは、
「あいつは嫌いだから」
のレベルとしか言いようがない。

長崎の原爆平和祈念式典なんだから、国際的に説得力のある機会。
広島のそれと比べると知名度が少しばかり落ちるかもしれないが、それはそれ。
両者を呼んで横に並ばせ戦争することの無意味さを並み居る国家の代表の前で穏やかに諭し語る数少ない機会。
だからこそリーダーたるヒトはどういう行動をとって、どういう発言をすべきなのか。
中高生でもわかるレベル。
それが東大出身の市長がこんなレベル。
残念至極という感じだ。

そもそも日本はG7の中で唯一この両者に対して良好な関係を築いている国でもある。
しかも仏教と神道の二本立てという世界文化の中でもガラパゴスに近い宗教をもち、歴史的にも二者とはややこしいことは一切なく非常にニュートラルな存在だ。
せっかく両者を同席させて停戦を呼びかける貴重な機会なのになんていうアホなことをしてしまったんだろう。

このような好ましい立ち位置を潰してしまうような態度をとったこの市長はとっても危険な人物といえる。
一緒に飲みたくないタイプのヒト。
これから長崎市民が注意しなければならないのは、何が重要で何らかの行動を決めなければならなくなった場合、ここの市長は言葉を使う前に態度に示すだろうということ。
つまり「話す」より「ぶっ叩く」ヒトと思われる。
この正義とは自分のための正義で世の中のための正義ではない。
ある意味、わかりやすい歪んだヒトなのだろう。


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