<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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アマゾンプライムでの正月の映画鑑賞。
フランス映画「人生ブラボー!」に続いて見たのがイギリス映画「ロスト・キング 500年越しの運命」。

2012年にイギリスのレスター市で発掘されたリチャード3世の埋葬地発見と発掘につながる物語で、その重要な役割を果たしたリチャード3世協会に所属する女性にスポットライトが当てられている。
事実を元にした物語なのだった。

リチャード3世というとシェークスピアの戯曲が有名だ。
残念ながら私は読んだことがなかったのだが、その中ではリチャード3世は「偽悪で狡猾で残忍な人間として描かれていて、簡単に言うと悪人である。

そのシェークスピアが描いたリチャード三世は戦争で亡くなったあと遺骸は川に投げ捨てられていたと思われいたが長年の調査の結果レスター市内の学校の運動場あとに埋められているのではないかとの説が有力となる。

主人公の女性はリチャード3世の幻と対話しながら、その場所を特定する。

どんよりとした雰囲気のイギリスの空気感と歴史館、大学の権威と個人の力量と限界。
活動を見守る家族。

それぞれが交錯して物語としてはスリリングでもあり、一種のファンタジーとしても楽しめるような映画だった。

この映画を見てつくづく感じたのは、死後その人の人生を描くのは他人であり、時事が書かれるわけではないということ。
そしてそれが一旦世間に受け入れられると変更を迫るのは容易ではないということだ。
400年前にシェークスピアが執筆した戯曲はその100年前の出来事であり、今の感覚からするとより時代が近いのでシェークスピアの考えは正解なんだろうと思う。
ところが実際に100年のブランクは明治維新を描く今の時代と一緒なので、どこまで正しいのか判断しかねる部分でもあるのだ。

2012年の歴史的発見はDNA鑑定という最新の科学が介在して証明された。
果たしてリチャード3世はどういう人であったのか。

見終わったあと、色々と想像を巡らすことのできる映画なのであった。



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