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名鉄百貨店名古屋本店閉店のニュースとほぼ時期を同じとして、わが街・大阪堺市にある高島屋堺店が2026年3月末をもって閉店することが伝えられて名鉄百貨店よりも遥かに勝る寂しさに打ちひしがれているのである。

と言えば、かなり大げさなのだが、
「ついにこの時が来たか」
という感じは否めない。

かつて学生時代。
私はこの高島屋堺店から府道31号線(地元ではなぜか13号線と呼ぶ)を挟んで向かい側にある堺銀座通り商店街で3年間アルバイトをしていた。
従って高島屋は横断歩道を渡ってすぐのところにあり身近な存在だった。

いや、それだけではない。
物心ついてからというもの昭和40年代。
この堺市で最も繁華な堺東駅前の高島屋堺店は、
「屋上に遊園地のある百貨店」
「お子様ランチを食べさせてもらえる大食堂のある百貨店」
「その大食堂から堺東駅を発着する電車を眺められる百貨店」
という重要なポジションなのであった。

この地域でご飯を食べるというと銀座通り商店街にあった「かどや」といううどん屋さんのかやくうどんか、堺東駅を東に向かって少し歩いたところにある府立三国ヶ丘高校正門前にあった三国食堂のいなり寿司か、高島屋大食堂のお子様ランチなのであった。
当然、お子様ランチが最高位で、ここで食べるランチとおまけの玩具とちっちゃな日の丸が大いに楽しみであったことは今もなお忘れられない思い出となっている。

ところがこの高島屋堺店。
私が学生だった1980年代から「閉店するぞ」という噂が絶えなかった。
というのも、堺東駅というのは100万都市堺市の市役所もある中心地なのだが、高島屋本店のある難波まで南海電車の急行で10分ほどしかからない場所でもあり、中途半端であることは間違いではなかった。
近隣の人々はちょっとした買い物はミナミやキタに出向くようなところなので、いくら乗降客の多い繁華な堺東エリアといっても百貨店は要らんやろというような空気感が漂っていたのだった。

今回閉店が決まったのはコロナ禍で赤字に陥った堺店を復活させようとあれこれやってきたものの、客足は戻りきらず百貨店としての機能はテナントビルの契約終了とともに撤退することにあいなったというわけだ。

客数そのものはかなりあり、家主の南海電鉄はここに新たなショッピングモールを構築するそうで、繁華な場所に変わりはないだろう。

それでも子供の頃の色々な思い出を作った地元百貨店の撤退は、正直かなりショックなのだ。


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