佗助系の椿を続けてきましたが、佗助の語源については、豊臣秀吉の朝鮮出兵時に佗助という人が朝鮮から持ち帰ったとか、千利休の「佗び数寄」が佗助に転訛したという説等があるそうです。
花の少ない季節の佗び茶では、淡い色で一重小輪の椿が主役で、茶人はそれを佗助と呼んでいたということです。

「初雁(はつかり)」は淡い桃色地に紅のぼかしが入る、一重の筒・ラッパ咲き。
筒蕊の小輪で甘い香りがある。

別名が昭和佗助で、古くは「数寄屋」と呼ばれていたのが改名された。
前回載せた現在の「数寄屋」とは別種。

ここまでの3枚は町田市の薬師池公園で21日に撮影。
(薬師池公園の掛札には「はつがん」とふりがなをつけていました)

こちらは川崎市緑化センターで20日に撮影したものです。
花の少ない季節の佗び茶では、淡い色で一重小輪の椿が主役で、茶人はそれを佗助と呼んでいたということです。

「初雁(はつかり)」は淡い桃色地に紅のぼかしが入る、一重の筒・ラッパ咲き。
筒蕊の小輪で甘い香りがある。

別名が昭和佗助で、古くは「数寄屋」と呼ばれていたのが改名された。
前回載せた現在の「数寄屋」とは別種。

ここまでの3枚は町田市の薬師池公園で21日に撮影。
(薬師池公園の掛札には「はつがん」とふりがなをつけていました)

こちらは川崎市緑化センターで20日に撮影したものです。
引き続き町田市・薬師池公園のツバキを。


「白佗助」は白の一重、猪口咲き、佗芯の極小輪。花期は11~3月。


「紅佗助」は、紅~桃紅色の一重、筒咲き、佗芯の小輪、花期は12~3月
カメラの設定は同じで同じ木なのですが、花も葉も色合いがだいぶ違います。

紅白が出たのでもうひとつ「赤佗助」も。
これは川崎市緑化センターで20日に1輪だけ咲いていたもの。赤佗助は今年3月21日にも載せています。比べてみると、設定や条件が違うにせよ花の色合いが随分と違います。説明文の花色に近いのはこちらの方ですが…。


「白佗助」は白の一重、猪口咲き、佗芯の極小輪。花期は11~3月。


「紅佗助」は、紅~桃紅色の一重、筒咲き、佗芯の小輪、花期は12~3月
カメラの設定は同じで同じ木なのですが、花も葉も色合いがだいぶ違います。

紅白が出たのでもうひとつ「赤佗助」も。
これは川崎市緑化センターで20日に1輪だけ咲いていたもの。赤佗助は今年3月21日にも載せています。比べてみると、設定や条件が違うにせよ花の色合いが随分と違います。説明文の花色に近いのはこちらの方ですが…。
12月21日の町田市・薬師池公園から、ツバキ「西王母」。

産地は石川。淡桃地に外弁が紅のぼかしの一重、筒咲き、中輪。
花期は9~4月とツバキの中では最も早咲きの品種。

西王母は、中国の古代神話上の女神で半人半獣の姿で描かれたが、のち神仙思想の発展とともに仙女化され、道教の成立後は東王父とともに神格とされた。西王母が三千年に一度実がなる桃を漢の武帝に与えたといい、この椿の蕾が桃に似ているところから名づけられた。

幕末に金沢で作出と伝えられ、加賀佗助の自然実生との推測もあるが、詳細不明。

こちらがその「加賀佗助」。うまい具合に同じ日に撮っていました。
ツバキに関しての説明は、石川県林業試験場 Webサイトの「いしかわ 森林図鑑」にある
樹木公園つばき図鑑の「品種名から検索」を参照しました。
過去にもお世話になっているサイトです。

産地は石川。淡桃地に外弁が紅のぼかしの一重、筒咲き、中輪。
花期は9~4月とツバキの中では最も早咲きの品種。

西王母は、中国の古代神話上の女神で半人半獣の姿で描かれたが、のち神仙思想の発展とともに仙女化され、道教の成立後は東王父とともに神格とされた。西王母が三千年に一度実がなる桃を漢の武帝に与えたといい、この椿の蕾が桃に似ているところから名づけられた。

幕末に金沢で作出と伝えられ、加賀佗助の自然実生との推測もあるが、詳細不明。

こちらがその「加賀佗助」。うまい具合に同じ日に撮っていました。
ツバキに関しての説明は、石川県林業試験場 Webサイトの「いしかわ 森林図鑑」にある
樹木公園つばき図鑑の「品種名から検索」を参照しました。
過去にもお世話になっているサイトです。

12月21日の薬師池公園。蝋梅(ロウバイ)の蕾がいっぱいで数輪は開き始めています。

蝋梅はロウバイ科ロウバイ属の落葉低木。別名が唐梅(トウバイ、カラウメ)。
全体が黄色い花で、中心部は暗紫色。中心部も黄色のはソシンロウバイ(素心蝋梅)。
今年の1月のも参考に。

嗅いで見ましたが、香りはまだまだ。
来週あたりはいい香りを漂わせるんではないでしょうか。
薬師池公園の梅園を左に見下ろすように続く野津田薬師堂への参道。何度か通っていたのですが、参道横にも椿が植えられているのに、ようやく気づきました。

10数輪ほど咲いていたのでさすがに目に入ります。樹には「玉雲」の掛札が。

ネットで検索しても椿の品種に玉雲というのは見当たりません。ヒットするのは「椿の描法 (玉雲水墨画)」など、山田玉雲さんという方の水墨画関連書籍のネットショップ。日本墨絵会や全日本水墨画会の会長を務めた方で2000年12月に永眠しています。その履歴に「玉川大学教授を30年間歴任」とあり、もしかしたら町田市が功労を称えて名づけたのではと勝手に憶測したのですが…。
ほかに「舞吹雪」というのが1輪咲いていましたが、撮れる位置になかったもので、次の機会に。

参道を上った薬師堂の前では、葉っぱを拾い集める女の子。お父さんに抱っこしてもらい、パーッと撒き散らしては歓声を上げ…、何度も繰り返していました。

樹齢不詳の大銀杏。残った葉もどんどん散って、幹の周りは分厚いじゅうたんです。

10数輪ほど咲いていたのでさすがに目に入ります。樹には「玉雲」の掛札が。

ネットで検索しても椿の品種に玉雲というのは見当たりません。ヒットするのは「椿の描法 (玉雲水墨画)」など、山田玉雲さんという方の水墨画関連書籍のネットショップ。日本墨絵会や全日本水墨画会の会長を務めた方で2000年12月に永眠しています。その履歴に「玉川大学教授を30年間歴任」とあり、もしかしたら町田市が功労を称えて名づけたのではと勝手に憶測したのですが…。
ほかに「舞吹雪」というのが1輪咲いていましたが、撮れる位置になかったもので、次の機会に。


参道を上った薬師堂の前では、葉っぱを拾い集める女の子。お父さんに抱っこしてもらい、パーッと撒き散らしては歓声を上げ…、何度も繰り返していました。

樹齢不詳の大銀杏。残った葉もどんどん散って、幹の周りは分厚いじゅうたんです。