
「ギ・ドゥ・モーパッサン」は1995年にフランスのメイアンが作出したフロリバンダ。
生田緑地ばら苑で撮影したものですが、苑内に植栽されたものではなく鉢植えで販売されていたもの。
サーモンピンクで中心がクォーターロゼット咲きになる浅いカップ咲き。
数輪の房になって開花し春、秋ともに花つきがよい。香りは中香。
花弁が厚く堅いので同タイプのイングリッシュローズよりも雨に強い。
名前はフランスの著名な小説家にちなむ。(NHK出版「バラ大百科」から)。


「エミリー」は1949年にイギリスのBainesが作出したハイブリッド・ティー。
今年の6月2日に生田緑地ばら苑で咲いていたのは左の1輪だけ。
過去のデータを探したら2010年11月3日にやはり1枚だけ撮っていました。
6月2日の生田緑地ばら苑のパーゴラから。

6月18日に紹介した「アルベリック・バルビエ」の作出者フランスのバルビエ兄弟が
1921年に作出したつるバラ「アルベルティーヌ(アルバータイン)」。

サーモンピンクのとがった蕾が淡いピンクの高芯咲きから、やがて花弁が反り返るようなカップ咲き、平咲きになる。
10輪前後のスプレー咲きで花もちがよく満開時には華やか。強い甘い香りがある。
(NHK出版「バラ大百科」から)


6月18日に紹介した「アルベリック・バルビエ」の作出者フランスのバルビエ兄弟が
1921年に作出したつるバラ「アルベルティーヌ(アルバータイン)」。


サーモンピンクのとがった蕾が淡いピンクの高芯咲きから、やがて花弁が反り返るようなカップ咲き、平咲きになる。
10輪前後のスプレー咲きで花もちがよく満開時には華やか。強い甘い香りがある。
(NHK出版「バラ大百科」から)
生田緑地ばら苑のパーゴラから。(春の公開は6月3日で終了しています)

野生種(Sp=Species)の「キフツ・ゲート」。

樹勢が強く生育旺盛なつるバラ。日照不足や半日陰にも適応し寒さに強い強健種。
花はクリーム色の雄しべとの組み合わせがさわやかな純白の小輪一重咲き。

ばら苑のプレートには1952年イギリスのマーレル作出となっていますが、参照しているNHK出版の「バラ大百科」では、イギリスの園芸研究家グラハム・トーマスがイギリスのコッツウォルズ地方のキフツゲート・コートで野生種のロサ・フェリペスから見いだして名づけられたもので、基本種に比べて花首がやや長く、多少うなだれて咲くそうです。

野生種(Sp=Species)の「キフツ・ゲート」。


樹勢が強く生育旺盛なつるバラ。日照不足や半日陰にも適応し寒さに強い強健種。
花はクリーム色の雄しべとの組み合わせがさわやかな純白の小輪一重咲き。

ばら苑のプレートには1952年イギリスのマーレル作出となっていますが、参照しているNHK出版の「バラ大百科」では、イギリスの園芸研究家グラハム・トーマスがイギリスのコッツウォルズ地方のキフツゲート・コートで野生種のロサ・フェリペスから見いだして名づけられたもので、基本種に比べて花首がやや長く、多少うなだれて咲くそうです。
5月26日の生田緑地ばら苑から。(春の公開は6月3日で終了しています)

この区画は昨年あたりから整理がなされ、接ぎ木された何種かが移ってきたようで、
この「アルザス」もそのうちの一つじゃないかと思います。

「アルザス」は1946年にフランスのメイアンが作出したサーモン色のハイブリッド・ティー。

2009年10月24日にこの1輪を撮って以来の再会です。
当時のプレートは「アルサス」と表記されていました。

この区画にある「ブラッシュ・マルラン」も移ってきた一種でしょう。
1941年にフランスで作出されたハイブリッド・ティー。

こちらも2009年5月16日のこの2輪から久しぶりの再会となりました。
生田緑地ばら苑の当時のプレートと今年のタグも「ブラッシュ・マルラン」で、
作出者を調べるためにネット検索したところ、1941年にマルランが作出した
「ブランシュ・マルラン(Blanche Mallerin)」というのがあり、それにあたるようです。

この区画は昨年あたりから整理がなされ、接ぎ木された何種かが移ってきたようで、
この「アルザス」もそのうちの一つじゃないかと思います。


「アルザス」は1946年にフランスのメイアンが作出したサーモン色のハイブリッド・ティー。

2009年10月24日にこの1輪を撮って以来の再会です。
当時のプレートは「アルサス」と表記されていました。

この区画にある「ブラッシュ・マルラン」も移ってきた一種でしょう。
1941年にフランスで作出されたハイブリッド・ティー。


こちらも2009年5月16日のこの2輪から久しぶりの再会となりました。
生田緑地ばら苑の当時のプレートと今年のタグも「ブラッシュ・マルラン」で、
作出者を調べるためにネット検索したところ、1941年にマルランが作出した
「ブランシュ・マルラン(Blanche Mallerin)」というのがあり、それにあたるようです。