11月27日午後3時半頃、横浜市・こどもの国の白鳥湖。
ボートから紅葉をバックに写真を撮るのはおなじみの光景。
この時間、陽が翳ってしまい鮮やかさがいまひとつ。
2年前にもこのあたりの様子を載せていました。
ボートから紅葉をバックに写真を撮るのはおなじみの光景。
この時間、陽が翳ってしまい鮮やかさがいまひとつ。
2年前にもこのあたりの様子を載せていました。
生田緑地ばら苑にある1950年代に作出されたバラの続き。
「ホワイト・クリスマス」は1953年にアメリカのハワード&スミスが作出したハイブリッドティー。
クリームがかった白色八重の巨大輪。この写真は11月3日に撮影。
この品種も毎シーズン撮っていて、今年の春、5月29日のはほとんどの花にピンクの斑が入っていました。
こちらの2枚目は2009年5月16日のもので、これぐらいが本来の花色なのでしょう。
丸弁の半剣弁高芯咲きでフルーツ系の強い香りがあるようです。
11月3日に開き始めのところを撮っていた「マーガレット」はこの写真が唯一のデータ。
ばら苑のプレートにある四季咲き大輪種、イギリス1954年作出ということしか分かりません。
「メサージュ」は1955年にフランスで作出された剣弁高芯咲きのハイブリッド・ティー。
2枚とも2009年5月16日の撮影です。
「ホワイト・クリスマス」は1953年にアメリカのハワード&スミスが作出したハイブリッドティー。
クリームがかった白色八重の巨大輪。この写真は11月3日に撮影。
この品種も毎シーズン撮っていて、今年の春、5月29日のはほとんどの花にピンクの斑が入っていました。
こちらの2枚目は2009年5月16日のもので、これぐらいが本来の花色なのでしょう。
丸弁の半剣弁高芯咲きでフルーツ系の強い香りがあるようです。
11月3日に開き始めのところを撮っていた「マーガレット」はこの写真が唯一のデータ。
ばら苑のプレートにある四季咲き大輪種、イギリス1954年作出ということしか分かりません。
「メサージュ」は1955年にフランスで作出された剣弁高芯咲きのハイブリッド・ティー。
2枚とも2009年5月16日の撮影です。
2008年秋から今年の秋まで撮影した生田緑地ばら苑のデータを整理したら蕾のものやしおれたものなどを含めて550種近く撮っていました。
そのうち1950年代に作出されたバラは55種ほど。以前からブログにはポツポツと載せていましたが、このところ続けて載せたので紹介したのが45種になっていました。
ここまで来たら手持ちの50年代の品種は全部出そうかと…50年代、続けます。
「ゴールデン・セプター」は1950年にオランダで作出された剣弁高芯咲きのハイブリッド・ティー。
撮影は11月3日。
こちらの2枚は2009年5月16日撮影。別名が「スペックス・イエロー」で、純黄色の花なのですが、
弁先にピンクが入ったのも。
毎シーズン撮っていたので、すでに紹介済みだと思っていました。
11月3日に1枚だけ撮っていた「ファースト・ラブ」はアメリカで1951年に作出。細い剣弁花のHT。
2009年のデータから10月24日と5月16日の花も紹介。開き始めのほうが名前にはふさわしいでしょうか…。
こちらは1952年にアメリカで作出されたつるバラの「ピンキー」。撮影したのは2009年の5月16日。
そのうち1950年代に作出されたバラは55種ほど。以前からブログにはポツポツと載せていましたが、このところ続けて載せたので紹介したのが45種になっていました。
ここまで来たら手持ちの50年代の品種は全部出そうかと…50年代、続けます。
「ゴールデン・セプター」は1950年にオランダで作出された剣弁高芯咲きのハイブリッド・ティー。
撮影は11月3日。
こちらの2枚は2009年5月16日撮影。別名が「スペックス・イエロー」で、純黄色の花なのですが、
弁先にピンクが入ったのも。
毎シーズン撮っていたので、すでに紹介済みだと思っていました。
11月3日に1枚だけ撮っていた「ファースト・ラブ」はアメリカで1951年に作出。細い剣弁花のHT。
2009年のデータから10月24日と5月16日の花も紹介。開き始めのほうが名前にはふさわしいでしょうか…。
こちらは1952年にアメリカで作出されたつるバラの「ピンキー」。撮影したのは2009年の5月16日。
生田緑地ばら苑にある1950年代に作出されたバラ。
11月3日に撮影した「エル・キャピタン」は1959年にアメリカで作出。
「アーリン・フランシス」は1957年にアメリカで作出されたもので、今年の春5月22日に撮影。
同じく5月22日に撮っていたのが1959年にフランスで作出された「マジョール」。
以前紹介していた50年代のバラとしては、殿堂入りの「アイスバーグ」や2008年11月14日に載せた
「エデン・ローズ」「コンフィダンス」「サラバンド」などがあります。
生田緑地では見かけませんが「スヴニール・ドゥ・アンネ フランク」も1955年に作出されたバラです。
11月3日に撮影した「エル・キャピタン」は1959年にアメリカで作出。
「アーリン・フランシス」は1957年にアメリカで作出されたもので、今年の春5月22日に撮影。
同じく5月22日に撮っていたのが1959年にフランスで作出された「マジョール」。
以前紹介していた50年代のバラとしては、殿堂入りの「アイスバーグ」や2008年11月14日に載せた
「エデン・ローズ」「コンフィダンス」「サラバンド」などがあります。
生田緑地では見かけませんが「スヴニール・ドゥ・アンネ フランク」も1955年に作出されたバラです。
生田緑地ばら苑にある、1950年代に作出されたバラの続き。
1959年にアメリカのスミス氏が作出した「ガーデン・パーティ」。
ばら苑では株数も多く、よく撮っていたのでとっくにブログで紹介していたものと思っていました。
弁端に桃色の覆輪がわずかに入るクリームイエローの半剣弁高芯咲きで、名花「ピース」を交配親にコンテスト用として多く栽培された。
1枚目は11月3日、2枚目は2009年5月16日に撮ったものを引っ張り出してきました。
「フレッド・ハワード」は1952年にアメリカで作出された品種。
2枚とも10月16日に撮ったものですが、雰囲気がちょっと違っています。
今年の5月22日に撮っていたのがこんな様子でしたので上の2枚目のほうが本来の花でしょうか。
イギリスで1954年に作出された「アン・レッツ」は今年の春、秋とも撮っていないのですが、先の「ガーデン・パーティ」を探していた時に2009年5月16日のデータにあったもの。黄色とピンクの花が同時に咲いている1枚があり調べたところ、生田緑地ばら苑図鑑に表弁ピンク、裏弁シルバーの剣弁高芯の美しい整形花とありました。「ガーデン・パーティ」と同じく交配親が「ピース」でコンテスト品種として人気だったということです。
1959年にアメリカのスミス氏が作出した「ガーデン・パーティ」。
ばら苑では株数も多く、よく撮っていたのでとっくにブログで紹介していたものと思っていました。
弁端に桃色の覆輪がわずかに入るクリームイエローの半剣弁高芯咲きで、名花「ピース」を交配親にコンテスト用として多く栽培された。
1枚目は11月3日、2枚目は2009年5月16日に撮ったものを引っ張り出してきました。
「フレッド・ハワード」は1952年にアメリカで作出された品種。
2枚とも10月16日に撮ったものですが、雰囲気がちょっと違っています。
今年の5月22日に撮っていたのがこんな様子でしたので上の2枚目のほうが本来の花でしょうか。
イギリスで1954年に作出された「アン・レッツ」は今年の春、秋とも撮っていないのですが、先の「ガーデン・パーティ」を探していた時に2009年5月16日のデータにあったもの。黄色とピンクの花が同時に咲いている1枚があり調べたところ、生田緑地ばら苑図鑑に表弁ピンク、裏弁シルバーの剣弁高芯の美しい整形花とありました。「ガーデン・パーティ」と同じく交配親が「ピース」でコンテスト品種として人気だったということです。
生田緑地ばら苑から、1950年代にドイツで作出された3種を。
1955年作出の「コンラッド・アデナウワー」。
アデナウワーは西ドイツの初代連邦首相を1949年から1963年に渡って務めた。
首相就任時にすでに73歳だったが、敗戦後の西ドイツを指導し、1955年5月5日に連合国とパリ条約を締結して主権を正式に回復、1963年にはシャルル・ド・ゴール大統領との間で仏独協力条約(エリゼ条約)に調印し、フランスと和解した。1967年4月19日没(満91歳)。
ケルン・ボン空港にはアデナウアーの名が冠され、ドイツの各都市ではアデナウアーの名を冠した大通りや橋、建築物を目にする。
なお、ドイツ語の発音に近いのは「アーデナウア」、日本の慣用表記は「アデナウアー」、ばら苑のプレートは「アデナウワー」となっています。
「プリマ・バレリーナ」は1957年に作出されたローズピンクの高芯剣弁咲き。
1959年に作出された「フリッツ・テイエデマン」。人物名でしょうが、どういう人かは分かりません。
日当たりと日陰(私の影)でこんなに色合いが違います。
1955年作出の「コンラッド・アデナウワー」。
アデナウワーは西ドイツの初代連邦首相を1949年から1963年に渡って務めた。
首相就任時にすでに73歳だったが、敗戦後の西ドイツを指導し、1955年5月5日に連合国とパリ条約を締結して主権を正式に回復、1963年にはシャルル・ド・ゴール大統領との間で仏独協力条約(エリゼ条約)に調印し、フランスと和解した。1967年4月19日没(満91歳)。
ケルン・ボン空港にはアデナウアーの名が冠され、ドイツの各都市ではアデナウアーの名を冠した大通りや橋、建築物を目にする。
なお、ドイツ語の発音に近いのは「アーデナウア」、日本の慣用表記は「アデナウアー」、ばら苑のプレートは「アデナウワー」となっています。
「プリマ・バレリーナ」は1957年に作出されたローズピンクの高芯剣弁咲き。
1959年に作出された「フリッツ・テイエデマン」。人物名でしょうが、どういう人かは分かりません。
日当たりと日陰(私の影)でこんなに色合いが違います。
前回に続き生田緑地ばら苑の予定でしたが、13日の午後、久しぶりにカワセミと遭遇しましたのでその画像を。
薬師池公園へ向かう途中の鶴見川。今までカワセミを見かけたことのない場所で♂がいました。
3度ほどダイブするも成果はなかったようで、別のカワセミが目の前を飛びすぎたのを追いかけて行きました。
最初にカワセミに会った日は何度か遭遇するようで、こちらは薬師池で。
カワセミがいたよと教えてくれた人がいて、来てみましたがちょっと遠かったですね。
こちらは下くちばしが赤いので♀です。
そして公園から帰るとき、ちょっと気になった場所をのぞいたら、いましたね。
杭とロープをこまめに移動して遠ざかっていきます。ジャマするのも悪いので帰りましたが、
チラッと見たら最初にいた所へ戻っていました。さきほど撮ったのと同じ♀でしょうね。
薬師池公園へ向かう途中の鶴見川。今までカワセミを見かけたことのない場所で♂がいました。
3度ほどダイブするも成果はなかったようで、別のカワセミが目の前を飛びすぎたのを追いかけて行きました。
最初にカワセミに会った日は何度か遭遇するようで、こちらは薬師池で。
カワセミがいたよと教えてくれた人がいて、来てみましたがちょっと遠かったですね。
こちらは下くちばしが赤いので♀です。
そして公園から帰るとき、ちょっと気になった場所をのぞいたら、いましたね。
杭とロープをこまめに移動して遠ざかっていきます。ジャマするのも悪いので帰りましたが、
チラッと見たら最初にいた所へ戻っていました。さきほど撮ったのと同じ♀でしょうね。