自由が丘は、東急東横線と東急大井町線がクロスするターミナル駅。
目黒区、世田谷区にまたがるお洒落な街として、東京の住みたい街のベスト10に入る常連です。
目黒区、世田谷区にまたがるお洒落な街として、東京の住みたい街のベスト10に入る常連です。


自由が丘には、ブティック、カフェ、レストラン、雑貨屋さんなど若い女性に人気のあるショップが軒を連ね、フランス・巴里を強く意識したマリクレール通りをはじめとしたファッションストリートが形成されています。
この自由が丘。
昭和の初期までは、衾村(ふすまむら)と言われる農村だったそうです。
東京急行も、そばにあるお寺「九品仏(くほんぶつ)」を駅名にしていました。
昭和の初期までは、衾村(ふすまむら)と言われる農村だったそうです。
東京急行も、そばにあるお寺「九品仏(くほんぶつ)」を駅名にしていました。


この建物が改築されて、今の「自由が丘デパート」になったんでしょうね。
「モンブラン」の看板も見えます。
鉄道が通り、この地に私立学校の自由が丘学園が設立されました。
駅名も「衾駅」が予定されていましたが、住民の強い要望により「自由が丘駅」と命名されたそうです。
これが、その後の自由が丘の運命を決定的なものとしました。
フスマムラとジユウガオカでは、ずいぶんイメージが違いますよね。
駅名も「衾駅」が予定されていましたが、住民の強い要望により「自由が丘駅」と命名されたそうです。
これが、その後の自由が丘の運命を決定的なものとしました。
フスマムラとジユウガオカでは、ずいぶんイメージが違いますよね。


自由が丘には、文化人や物書き、絵描き、芸能人が住み始め、サロンやカフェ的な「場」が出来始めました。
そして、ファッション、パリ、スイーツ、カルチャーなど若者や女性を惹き付ける街に進化していきます。
そして、ファッション、パリ、スイーツ、カルチャーなど若者や女性を惹き付ける街に進化していきます。
地元の商店街も様々なイベントやマーケティング的な取り組みを展開。
まちづくりの起点となった東急電鉄の駅施設と「自由」と名付けたネーミングが、街の発展に大きく貢献しました。
まちづくりの起点となった東急電鉄の駅施設と「自由」と名付けたネーミングが、街の発展に大きく貢献しました。
自由が丘が大きく変化したのは、やはり東京電鉄の都市開発。
東急ビルが建てられた昭和30年代の後半。
街のランドマークが建ち、ターミナル駅という地の利も機能して、商業の集積が始まりました。
東急ビルが建てられた昭和30年代の後半。
街のランドマークが建ち、ターミナル駅という地の利も機能して、商業の集積が始まりました。



駅前の自由の女神像「あをぞら」が出来たのが、昭和53年でした・・・
写真の三井銀行は、昨年、路地裏に移動・・・ピーコックの前に移転しました。
不二家の看板や、今でもある本屋さんが写っています。
学生時代に、自由が丘に住んでいたのですが、ひっくり返して「オカジュー」などと呼んでいました(笑)。
「ジョージ」「シモキタ」「ギロッポン」・・・爆。
「ジョージ」「シモキタ」「ギロッポン」・・・爆。
モンブランというケーキも自由が丘生まれ。
今では、スイーツフォレストやフランス仕込みのパティシィエの経営する有名店も多々あります。
駅前広場も狭く、東急コーチも窮屈な運行をしています。
今では、スイーツフォレストやフランス仕込みのパティシィエの経営する有名店も多々あります。
駅前広場も狭く、東急コーチも窮屈な運行をしています。

次の自由が丘が、どんなふうに進化していくのか・・・楽しみです。
自由・博愛・平等・・・自由が丘よ、永遠なれ!