萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第86話 建巳 act.2 another,side story「陽はまた昇る」

2018-10-17 21:28:11 | 陽はまた昇るanother,side story
shall not fade 
kenshi―周太24歳3月末


第86話 建巳 act.2 another,side story「陽はまた昇る」

鎧戸からガラス透る、やさしい冷たい甘い香。

「は…、」

息そっと冷たく清々しい、それから甘い馥郁。
開け放った朝の深呼吸、やわらかな風に周太は微笑んだ。

「うちの匂いだ、ね…」

遠く鉄道かすかな音、涼やかに樹木が香る。
古い木枠ふれる掌そっと冷たい、まだ静かな街の片隅に頬杖ついた。

屋根ならぶ住宅街、街燈と電柱、アスファルト黒い道。
家々の庭木やわらかな緑に花ときおり白い、染井吉野が咲きだしている。
青い麗らかな空まどろむ朝、閑静な街並ゆれる香かすかに甘くて、春に微笑んだ。

「春だね…」

春がきた、この街に家に。
また廻る時に記憶たどる、もう、あの日が近い。

『本を選んでおいてね、周…帰ったらお花見しながら、一緒に読もう?』

そう父は笑って玄関を出て、そして帰ってきた父は花を見なかった。
もう二度と開いてくれない父の瞳、その骸ふきよせた花の夜の記憶。

「…おとうさん」

唇こぼれて呼びかける、あの春の夜が青い空うつす。
あの春の朝も晴れていた、もう戻らない幸福に手もと雑巾うごかした。

きゅっ、きゅっ…

雑巾こすれて桟が鳴る。
磨きぬかれた古材ダークブラウン艶めかす、時たどる想い映りこむ。
この家に自分は生まれて育まれて、そうして積もった想いの時たどらせる。

『この屋根裏部屋を周にあげるよ…子どもの僕が好きだった部屋だから、』

やさしい深い声うかぶ、磨く艶から想い燈りだす。
ただ手もと動かして部屋を磨いてゆく、こんなふう父も掃除したのだろう?

―お父さんは家事も好きだったね、お休みの日は家のことして…山に連れて行ってくれて、

父の休日いつも、一緒に過ごした幸福。
その時間いつも笑っていた、幸せだった、あの温かい瞬間たち。
だから理由を知りたかった、なぜ失わなくてはいけないのか?

―だから僕も警察官になったんだ、知りたくて…僕は、

あの笑顔を幸福を失った、その理由を自分は知りたい。
そうして辿りついた父の居た場所は、ただ苦しみだけじゃなかった。
そうして見つけた過去と事実いくつかある、まだ全てじゃない、それでも「場所」もう退く。

『ちゃんとしたいんです、退職のことも、家のことも…自分のことは自分でしたくて、』

そう告げて大叔母の家を出た、そんな自分に涙の瞳は微笑んだ。
その眼ざし父と似ていて、繋がる血縁に花が香った。

「オレンジ…ミモザ、」

柑橘かすかな香ふれる唇、咲きそめた黄金から香る。
オレンジと似て違う春かすかな匂い、去年あの日も咲いていた。

『なぜ英二が君と、この家を選んだのか。解かったように思います』

きれいな低い声は微笑んで、切長い瞳は自分を映した。
あの眼ざし父と似ていると今は解る、けれど声は君と同じだった。

『息子の性格は私に似ています、だから私には解るんですよ。』

ミモザ咲く庭、端正な男性は微笑んだ。
父と似た瞳、けれど声も表情も違う父の血縁者。

―またいとこなんだ、お父さんと…英二と僕も、

四月の初め春そめる庭、面影あわく香うつろう。
ミモザ香る時間の想い、大叔母の庭でも咲いた花。

Le mimosa du souvenir
Sui ton chapeau se reposa,
Petit oiseau, petite rose,

想い出のミモザが
君の帽子の上に安らぐ、
ちいさな鳥、ちいさな薔薇、

“Le mimosa du souvenir”

異国の詩が綴る花、この詞きっと祖父は知っていた。
きっと父も知っていただろう、でも香の時間は知っていたろうか?

「ずっと香るならいいのに…ね、」

ひとりごと柑橘あわく香る。
この香は永遠じゃない、うつろう変化を知っている。
そんなふうに自分の時間も変わって、唯ひとつの想いも見えない。

『奥多摩にいるんだ、俺…星と雪山、きれいだよ?』

夜の電話つながった声、あの声に何を願う?

こんなこと考え続けて夜は明けて、ここに帰ることを決めた。
この場所から始めたい、ただ願い手もと動かして家中を磨いた。


艶めくダークブラウン、清々しい。

床、階段、窓枠、古材やわらかな艶ふかく澄む。
磨いた家やさしい光ほがらかで、息ほっと笑った。

「ん…すっきりした、」

家中どこも磨く、こんな時間どれくらいぶりだろう?
ただ考えても何も見えない、体を動かして明晰になることもある。
だからたぶんずっと、こんな時間が好きだ。

―家の掃除ばかりしちゃうのかな…英二といるかぎり、僕は、

ほら、また君の名前うかぶ。
こんな自分を3年前は知らない、でも今の自分だ。

「ん、」

肯いて階段を見あげて、ステンドグラスの光ふる。
やわらかな色彩あわく照らして、かたん、一段に踏みだし響いた。

「あ、」

インターフォンが鳴る。

「…、」

玄関の時計ふりむいて9時、荷物でも届く?
けれど自分も母も留守続きだった、誰が注文などするだろう?

―誰が来るはずもない、のに…誰?

インターフォンまた響く、誰かいる。
玄関扉ひとつ隔てた向こう、誰がいるというのだろう?

―インターフォン出たら居留守も使えない…玄関から見えない窓は、

一息ひそやかに唇とじて、スリッパから足を抜く。
靴下すべらす床は音も無い、沈黙またインターフォン響く。

誰?

―三度め…

声も音もなく階段たどる、踊場の窓に息ひそむ。
太陽の角度たしかめ壁に身をよせて、ガラスごし梢の向こう見た。

―男のひと…誰?

黄金ふる梢の先、玄関ひとりジャケット姿たたずむ。
その長身ゆっくり踵返して、ミモザの花枝ゆれた。

「…え?」

黄金の花翳ひらめく、その横顔が記憶ノックする。
敲かれた記憶が窓を開けた。

「待って!」

※校正中

(to be continued)
【引用詩文:Jean Cocteau「Cannes」William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet 18」】

第86話 建巳act.1← →第86話 建巳act.3

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極彩紅葉

2018-10-17 10:51:01 | 写真:山岳点景
紅葉黄葉×晩夏なごる緑、極彩色ふる木洩陽の森。
山岳点景:紅葉×森


神奈川で平地の紅葉は12月、急に冷えこんだ今年はヤヤ早めかもしれません、笑
撮影地:神奈川県2017.12

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