A song into the air 虚実の稀人
第76話 総設act.1-another,side story「陽はまた昇る」
あの夜、どうして電話をくれなかったの?
『道迷いの救助があったんだ、』
理由は聴いている、けれど納得しない想いは我儘だろう。
そう解っている、それでも解らないまま1ヵ月過ごしてしまった今、もう窓は冬だ。
「…いるのかな、」
そっと想い声こぼれて廊下しんと静まらす。
誰もいない独りだけ、けれど今この建物には何人もの警察官たちが動いている。
その一人に探したい人はいるだろう、けれど逢える可能性なんて無い現実に周太は微笑んだ。
―いても逢えないもの、もう帰ったろうし、ね?
午前中に講習があるんだ、桜田門に行くよ?
そう昨夜の電話で教えてくれた、けれど訓練場から昼すぎ帰ってきたばかりでいる。
そんな予定も教えたなら顔見ることくらい出来るのだろう、だけど居場所を告げるなんて許されない。
その現実に扉開いて向こう制服姿の男たちがデスクに静まらす、ここは普通の事務室に見えて秘密の影へ隠される。
守秘義務
たった四文字の言葉が重すぎる。
この四文字を課される場所なんて世界あふれているだろう、それでも重い。
重たくて、そして遠ざかってしまう距離ごと想い裂かれていくようで、唯ひとりが届かない。
『後藤さん達とビバークしてたからプライベートの電話は架けにくかったんだ、でも架かってきたら絶対に出たよ?』
ほら、1ヵ月前の電話また思い出して鼓動を軋ます。
あのとき自分こそ電話を架けられる場合じゃ無かった、メールを見ることも難しかった。
そんな自分だった癖に待っていた本音が我儘を泣く、それを贅沢だと今の所在すら言えない四文字が哀しい。
―でも電話もらっても困ったんだ、事件も発作のことも…でも声聴きたかった、ね、
1ヵ月前あの日、事多すぎた。
あの日に電話をもらっても何一つ話せない、きっと嘘吐かなくてはいけなかった。
それでも声を聴きたかったのは不安な弱虫が泣きたがっている、そう認めて向きあうパソコンの隣から呼ばれた。
「湯原、いま転送したファイルよろしく、」
「はい、」
返事して振り向いた先、精悍な横顔は物堅い。
けれど垣間見せてくれる素顔を今は知っている、その貌に1ヵ月ずっと考えこむ。
どうして伊達は自分を構うのだろう?
『俺の弟も喘息を持ってるんだ、疲れが溜まると発作を起こす。そんな時は歩くだけでも負担らしい、』
事件の夜、そう伊達は言って一晩ずっと看病してくれた。
弟と同じ病を負っているから心配になる、そんな理由で部屋に来て泊りこんだ。
―伊達さんにごはん作ってもらうなんて…それも泊りこみで、ね、
ワンルームの部屋、布団も無いまま床に転がって寝てくれた。
スーツのスラックス履いたままワイシャツ姿で寝転んだ、そんな姿は隣の横顔から解らない。
武骨だけれど細やかな優しい貌、あの貌は今の沈着な横顔には見えなくて、けれどあの夜に言われた言葉はここに座る今リアルになる。
『あの場所は適性が無いやつは死ぬ、性格と能力の両方で適性が無ければ死ぬ、訓練か現場で事故死するか自殺する、』
そう言われた場所に自分は今も座って業務に就く。
あれから1ヵ月に見つめた自席の風景に伊達の言葉は現実だと、もう解る。
―だって勝山さんを一度も見ていない、入院中なのかもしれないけど…どこにも、
今とよく似た時間の1ヵ月前、拳銃自殺未遂が起きた。
そして自分も当事者として事情聴取をされた、あの調査はもう終わったのだろうか?
それとも今この時間すら自分も監視されている?そんな推測に隣の意図が解らなくなってしまう。
あの夜、どうして伊達は自分に付き添ってくれたのだろう?
『隊内で起きた事は全てが守秘義務にある、それだけだ、』
それなら守秘義務をどうやって保持する?
そんな問いかけに答えられなくなる、その方法論に考えてしまう。
あの自殺未遂事件に自分は当事者となった、そして負った守秘義務に監視されても仕方ない?
―あのとき英二から電話が無くてよかったのかもしれない、ね、
もし電話が来たら出ることは許されたのだろうか?
そう仮定するたび今が見えない、誰を信じて何を見ていいのか解らない。
あの夜に嬉しかった食卓すら解からなくなる、こんな自分だから言われるのだろう。
『だから銃声を聞いた時、湯原だと思った、』
適性が無いやつは死ぬ、性格と能力の両方で適性が無ければ死ぬ、訓練か現場で事故死するか、自殺する。
そう言われた通りに自分は適性が無い、だから今こうして考えこむ。
こんな考えに囚われていることすら隣は知って見ているだろうか、だから言われた?
―だから僕を見張ってくれたのかな、守秘義務のこともだけど自殺するかもって…でも伊達さんの手首、
ワイシャツの袖捲った左手首、あの赤い一閃は何だろう?
すぐ腕時計はめて隠されてしまった、今も制服の袖ごと隠れて見えない。
けれどあのとき確かに見た、あれは何かで切った傷痕じゃないだろうか?
―でも伊達さんがまさか、ね…訓練の時とか怪我することあるし、
冷静沈毅、怜悧、頭脳も肢体も無駄なく機能的。
そう言われる男と今よぎった推測はそぐわない、きっと思い過ごしだろう?
そんな思案にもキーボートの手は動き目は画面をチェックする、そうして終えた作業に印刷ボタン押した。
提出はデータ返送と一緒にプリントアウトも渡す、その印字された書類を取りに立ったプリンターの傍ら窓の空がまぶしい。
―陽が斜めだから眩しいね、傾くの早くなって…冬だと冬芽がいいよね、
太陽の高度と輝度に季節を見ながら好きなこと微笑んでしまう。
いま広葉樹は冬枯れている、けれど芽吹く支度は始まっているだろう。
葉も無いまま寒風に幹を晒した冬の木々、それでも樹皮の深くに生命は息づく。
―講義のとき図書館も行きたいな、冬芽のこと調べてみたい…青木先生と田嶋先生のお手伝いあるし、美代さんも追い込みだけど、
次の週末は大学へ行けるだろう、その時を楽しみに考えてしまう。
今この特殊な空間に立っていても学問の時間が心近い、それが幸せで眼下はるかな街路樹を見て、その視線が止まった。
「…ぁ、」
街路樹より近くこの眼下、あの壁面に見えるのは、なに?
―人がいる、でもどうして?
どうして壁に人がいるのだろう?
高差30m、少なくともそれくらい道路から離れている。
そんな高度の壁を人が降りてゆく、ザイルも何も見えない、けれど人間ひとり降りてゆく。
黒っぽい服装は腰あたり裾ひるがえす、きっとスーツを着ているのだろう、でも、こんなこと視覚が嘘を吐いている?
―ありえないよね、こんなところ人が、スーツ着てる人がなんで?
なぜスーツ姿の人間が高層建築の壁面を降りられる?
どう見ても窓拭きの清掃員じゃない、あれはスーツを着ている。
その顔は遠くて見えなくて、それでも確かに見える姿に立止った肩を軽く叩かれた。
「湯原、どうした?具合でも悪いのか、」
呼ばれた声に引戻され振り返って、沈毅な瞳が見つめてくれる。
その眼差しは気遣わしい、そんな相手にも確かめたくて尋ねた。
「あの、伊達さんはそこに見えるのなんだと思いますか?」
「うん?」
すこし首傾げながら顔を向けてくれる。
いつも通り物堅い横顔は外を見、すぐ答えてくれた。
「銀杏と桜だろうな、」
どういうことだろう?
「え、」
「あの街路樹と植込みだろう?銀杏と桜だったはずだ、」
淡々と答えてくれる顔は生真面目なまま、けれど瞳は笑ってくれる。
そんな反応に肩透かし驚かされた前、低く透らす声は小さく笑った。
「湯原は本当に木が好きなんだな、でも時間内は業務に集中しろよ?」
注意してくれながら瞳は愉しげでいる。
ただ可笑しい、そんな貌は誤魔化しの欠片も無くて周太は頭下げた。
「あの、仕事以外の話してすみません、」
「大丈夫だ、いい気分転換になった。書類もらってくぞ、」
生真面目なまま笑って書類を受けとってくれる。
その端正な制服姿の背を見送って窓すぐ見下ろした視界、途惑い吐息こぼれた。
壁にいたスーツ姿、あの誰かはもう居ない。
(to be continued)
【引用詩文:William B Yeats「The Rose of Battle」】
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第76話 総設act.1-another,side story「陽はまた昇る」
あの夜、どうして電話をくれなかったの?
『道迷いの救助があったんだ、』
理由は聴いている、けれど納得しない想いは我儘だろう。
そう解っている、それでも解らないまま1ヵ月過ごしてしまった今、もう窓は冬だ。
「…いるのかな、」
そっと想い声こぼれて廊下しんと静まらす。
誰もいない独りだけ、けれど今この建物には何人もの警察官たちが動いている。
その一人に探したい人はいるだろう、けれど逢える可能性なんて無い現実に周太は微笑んだ。
―いても逢えないもの、もう帰ったろうし、ね?
午前中に講習があるんだ、桜田門に行くよ?
そう昨夜の電話で教えてくれた、けれど訓練場から昼すぎ帰ってきたばかりでいる。
そんな予定も教えたなら顔見ることくらい出来るのだろう、だけど居場所を告げるなんて許されない。
その現実に扉開いて向こう制服姿の男たちがデスクに静まらす、ここは普通の事務室に見えて秘密の影へ隠される。
守秘義務
たった四文字の言葉が重すぎる。
この四文字を課される場所なんて世界あふれているだろう、それでも重い。
重たくて、そして遠ざかってしまう距離ごと想い裂かれていくようで、唯ひとりが届かない。
『後藤さん達とビバークしてたからプライベートの電話は架けにくかったんだ、でも架かってきたら絶対に出たよ?』
ほら、1ヵ月前の電話また思い出して鼓動を軋ます。
あのとき自分こそ電話を架けられる場合じゃ無かった、メールを見ることも難しかった。
そんな自分だった癖に待っていた本音が我儘を泣く、それを贅沢だと今の所在すら言えない四文字が哀しい。
―でも電話もらっても困ったんだ、事件も発作のことも…でも声聴きたかった、ね、
1ヵ月前あの日、事多すぎた。
あの日に電話をもらっても何一つ話せない、きっと嘘吐かなくてはいけなかった。
それでも声を聴きたかったのは不安な弱虫が泣きたがっている、そう認めて向きあうパソコンの隣から呼ばれた。
「湯原、いま転送したファイルよろしく、」
「はい、」
返事して振り向いた先、精悍な横顔は物堅い。
けれど垣間見せてくれる素顔を今は知っている、その貌に1ヵ月ずっと考えこむ。
どうして伊達は自分を構うのだろう?
『俺の弟も喘息を持ってるんだ、疲れが溜まると発作を起こす。そんな時は歩くだけでも負担らしい、』
事件の夜、そう伊達は言って一晩ずっと看病してくれた。
弟と同じ病を負っているから心配になる、そんな理由で部屋に来て泊りこんだ。
―伊達さんにごはん作ってもらうなんて…それも泊りこみで、ね、
ワンルームの部屋、布団も無いまま床に転がって寝てくれた。
スーツのスラックス履いたままワイシャツ姿で寝転んだ、そんな姿は隣の横顔から解らない。
武骨だけれど細やかな優しい貌、あの貌は今の沈着な横顔には見えなくて、けれどあの夜に言われた言葉はここに座る今リアルになる。
『あの場所は適性が無いやつは死ぬ、性格と能力の両方で適性が無ければ死ぬ、訓練か現場で事故死するか自殺する、』
そう言われた場所に自分は今も座って業務に就く。
あれから1ヵ月に見つめた自席の風景に伊達の言葉は現実だと、もう解る。
―だって勝山さんを一度も見ていない、入院中なのかもしれないけど…どこにも、
今とよく似た時間の1ヵ月前、拳銃自殺未遂が起きた。
そして自分も当事者として事情聴取をされた、あの調査はもう終わったのだろうか?
それとも今この時間すら自分も監視されている?そんな推測に隣の意図が解らなくなってしまう。
あの夜、どうして伊達は自分に付き添ってくれたのだろう?
『隊内で起きた事は全てが守秘義務にある、それだけだ、』
それなら守秘義務をどうやって保持する?
そんな問いかけに答えられなくなる、その方法論に考えてしまう。
あの自殺未遂事件に自分は当事者となった、そして負った守秘義務に監視されても仕方ない?
―あのとき英二から電話が無くてよかったのかもしれない、ね、
もし電話が来たら出ることは許されたのだろうか?
そう仮定するたび今が見えない、誰を信じて何を見ていいのか解らない。
あの夜に嬉しかった食卓すら解からなくなる、こんな自分だから言われるのだろう。
『だから銃声を聞いた時、湯原だと思った、』
適性が無いやつは死ぬ、性格と能力の両方で適性が無ければ死ぬ、訓練か現場で事故死するか、自殺する。
そう言われた通りに自分は適性が無い、だから今こうして考えこむ。
こんな考えに囚われていることすら隣は知って見ているだろうか、だから言われた?
―だから僕を見張ってくれたのかな、守秘義務のこともだけど自殺するかもって…でも伊達さんの手首、
ワイシャツの袖捲った左手首、あの赤い一閃は何だろう?
すぐ腕時計はめて隠されてしまった、今も制服の袖ごと隠れて見えない。
けれどあのとき確かに見た、あれは何かで切った傷痕じゃないだろうか?
―でも伊達さんがまさか、ね…訓練の時とか怪我することあるし、
冷静沈毅、怜悧、頭脳も肢体も無駄なく機能的。
そう言われる男と今よぎった推測はそぐわない、きっと思い過ごしだろう?
そんな思案にもキーボートの手は動き目は画面をチェックする、そうして終えた作業に印刷ボタン押した。
提出はデータ返送と一緒にプリントアウトも渡す、その印字された書類を取りに立ったプリンターの傍ら窓の空がまぶしい。
―陽が斜めだから眩しいね、傾くの早くなって…冬だと冬芽がいいよね、
太陽の高度と輝度に季節を見ながら好きなこと微笑んでしまう。
いま広葉樹は冬枯れている、けれど芽吹く支度は始まっているだろう。
葉も無いまま寒風に幹を晒した冬の木々、それでも樹皮の深くに生命は息づく。
―講義のとき図書館も行きたいな、冬芽のこと調べてみたい…青木先生と田嶋先生のお手伝いあるし、美代さんも追い込みだけど、
次の週末は大学へ行けるだろう、その時を楽しみに考えてしまう。
今この特殊な空間に立っていても学問の時間が心近い、それが幸せで眼下はるかな街路樹を見て、その視線が止まった。
「…ぁ、」
街路樹より近くこの眼下、あの壁面に見えるのは、なに?
―人がいる、でもどうして?
どうして壁に人がいるのだろう?
高差30m、少なくともそれくらい道路から離れている。
そんな高度の壁を人が降りてゆく、ザイルも何も見えない、けれど人間ひとり降りてゆく。
黒っぽい服装は腰あたり裾ひるがえす、きっとスーツを着ているのだろう、でも、こんなこと視覚が嘘を吐いている?
―ありえないよね、こんなところ人が、スーツ着てる人がなんで?
なぜスーツ姿の人間が高層建築の壁面を降りられる?
どう見ても窓拭きの清掃員じゃない、あれはスーツを着ている。
その顔は遠くて見えなくて、それでも確かに見える姿に立止った肩を軽く叩かれた。
「湯原、どうした?具合でも悪いのか、」
呼ばれた声に引戻され振り返って、沈毅な瞳が見つめてくれる。
その眼差しは気遣わしい、そんな相手にも確かめたくて尋ねた。
「あの、伊達さんはそこに見えるのなんだと思いますか?」
「うん?」
すこし首傾げながら顔を向けてくれる。
いつも通り物堅い横顔は外を見、すぐ答えてくれた。
「銀杏と桜だろうな、」
どういうことだろう?
「え、」
「あの街路樹と植込みだろう?銀杏と桜だったはずだ、」
淡々と答えてくれる顔は生真面目なまま、けれど瞳は笑ってくれる。
そんな反応に肩透かし驚かされた前、低く透らす声は小さく笑った。
「湯原は本当に木が好きなんだな、でも時間内は業務に集中しろよ?」
注意してくれながら瞳は愉しげでいる。
ただ可笑しい、そんな貌は誤魔化しの欠片も無くて周太は頭下げた。
「あの、仕事以外の話してすみません、」
「大丈夫だ、いい気分転換になった。書類もらってくぞ、」
生真面目なまま笑って書類を受けとってくれる。
その端正な制服姿の背を見送って窓すぐ見下ろした視界、途惑い吐息こぼれた。
壁にいたスーツ姿、あの誰かはもう居ない。
(to be continued)
【引用詩文:William B Yeats「The Rose of Battle」】
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