萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第41話 春永act.2―another,side story「陽はまた昇る」

2012-04-21 23:50:00 | 陽はまた昇るanother,side story
ゆきしろの春、花笑の庭



第41話 春永act.2―another,side story「陽はまた昇る」

姿見の前に立ち、襦袢の袖を通していく。
二藍の襟元をきちんと合わせると、周太は鏡にすこし近寄った。
やわらかな青紫の襟からのぞく肌は、普段どおりの色をみせている。

「…だいじょうぶ、かな?」

くるり後ろを向いて、うなじを映してみる。
どこにも赤い花は見えていない、ほっとして周太は微笑んだ。

「よかった、」

思わずこぼれた言葉に、鏡の中の自分の頬が赤くなっていく。
どうしても気になってしまう「赤い花」は、肩から下には幾つも刻まれている。
この花を刻んだ唇の記憶が、面映ゆく幸せで気恥ずかしい。

―…くびすじには痕をつけないから、キスさせて?

きれいな低い声が耳元ふれるようで、首筋も頬も赤くなってしまう。
まだ朝の10時半ごろだった、けれど英二に求められるまま素肌をひらいた。
こんな明るい時間から恥ずかしい、けれど昨夜と前の晩を周太は英二を独りにしてしまった。
昨夜は当番勤務で留守、その前の晩は墜落睡眠に眠りこんだ。そんな2晩に英二を寂しがらせたかもしれない。
それが申し訳なくて、なにより周太自身が応じたい想いに身を委ねた。

明るい朝の光に晒される素肌が気恥ずかしかった。
けれど与えられる温もりは幸せで、あまやかな感覚が恥ずかしいのに嬉しくて。
されるがままに英二が寄せる愛撫を受入れて、溺れこむように午睡の夢を見た。
朝から真昼にみつめた時と夢は、幸せだった。

「…生きているから…ね?」

ふっと瞳に熱が昇って目許からあふれだす。
3日前の夜に見つめていた不安と哀しみが、今は夢の跡になっている。
この今の現実が幸せで、けれどこの後に迎える時間に不安と緊張が起きてしまう。
それでも周太はひとつ呼吸して、目許を指で拭うと畳紙を開いた。

淡青の袷を着つけて白地に藍織りこんだ博多の帯締める。
きれいに濃二藍の馬乗袴を穿くと、姿見で全身を確認した。
薄桜萌黄の襲色目にあわせた装いは馴染んでいる、これなら大丈夫だろう。

…英二、なんて言ってくれるかな?

すこし面映ゆさを感じながら、周太は母の部屋から廊下に出た。
襷と前掛けを持って階下へ降りていくと、仏間の扉がすこし開いている。
ここに居るのかな?そっと扉を開くと板張廊下のテラスには、藤色あわいシャツ姿が佇んでいた。
静かに白足袋で畳の間を踏むと、ゆっくり振向いた白皙の貌が嬉しそうに微笑んだ。

「周太、」

名前を呼んで笑ってくれる白皙の額に、ふりかかるダークブラウンの髪がすこし濡れている。
水気の艶やかな髪に薫ってしまう、ほんの少し前の時間が気恥ずかしい。
それでも隣へ行くと周太は微笑んで、大好きな笑顔を見上げた。

「庭、見ていたの?」
「うん、あの濃いピンク色の花、きれいだな、」
「ん、寒緋桜、って言うんだ…」

答えながら周太はすこし襟元を整えた。
さっき鏡で確認したけれど、どうしても襟元が気になってしまう。
そして、気になってしまう理由が気恥ずかしい。少し困って睫を伏せた周太に、きれいな低い声が言ってくれた。

「今日の着物も周太、すごく似合ってる、」
「そう?…薄桜萌黄っていう組合わせ、なんだけど」

気に入ってもらえたなら嬉しいな?
そう見上げた先で切長い目が瞳見つめてくれる、すこし切なげに笑った唇が額にキスしてくれた。

「本当きれいだね、俺の花嫁さんは…周太、」

額から唇にキスが移される、やわらかに唇がふさがれる。
ふれる温もりが気恥ずかしい、けれど優しい幸せに周太は微笑んだ。

「…はずかしい、でも、嬉しいよ?」
「うん、俺も嬉しいな?…周太、痕は大丈夫だったろ?」

訊かれた質問が気恥ずかしい。
頬まで熱が昇ってしまう、それでも素直に周太は頷いた。

「ん、たぶん…鏡で見たときは、なかったけど、」
「見せて?」

そっと肩を抱いて、うなじの襟元を覗きこんでくれる。
ふれてくる視線がどこか熱い、視線の温度に遅い朝の時間が思い出されてしまう。
まだ肌に感触も残される時間の記憶に、つい俯き加減になる襟元を指がふれた。

「きれいだね、首筋も…周太、」

すこし切ないトーンの声と一緒に、そっとキスが首筋にふれた。

「…あ、」

やわらかに唇ふれる首筋に、おだやかな熱がこぼれていく。
襟元のぞく首筋の肌を、キスに触れられ見られる熱に想いがふれてくる。
ふれる想いに竦んでいると、静かに首筋からキスが離れた。

「キスマーク、無かったよ、」

きれいな低い声が教えてくれながら、長い腕に抱きよせてくれる。
ふれられた首筋の一点が脈打つように熱くて、気恥ずかしさに頬までもう熱い。
抱きしめてくれる懐から見上げると、優しい切長い目が笑いかけてくれた。

「周太、傍にいるから大丈夫だよ?そんなに緊張しないで、父さんは優しいから」

言わないでも気づいて、きちんと言葉を掛けてくれる。
こうした細やかな優しさが嬉しい、微笑んで周太は素直に頷いた。

「ん、ありがとう…楽しんで頂けるように、ってお茶点てるね、」
「ありがとう周太、きっと喜ぶよ?」

きれいな笑顔が嬉しそうに笑ってくれる。
この笑顔が心から愛しい、この笑顔のためにも心尽くして今日の訪問者を迎えたい。
このあと今日は、英二の父と姉が我家に訪れる。

…初めて、お会いする。お父さん…

おだやかで優しい人。英二の姉の英理にもそう聴かされている。
優しい英二と英理の人柄は、この父親譲りと言われる事も聴いた。
それが少し安心させてくれる、けれどやっぱり緊張は心を占めてしまう。
それでも英二の父に、ここで過ごす時間を楽しんでほしい。
そんな想いで温かな腕から見た庭は、春の花が風に揺れている。ほっと微笑んで周太は愛するひとを見あげた。

「…ね、英二?いま咲いている花だとね、どの花が好き?」
「うん?そうだな…どれも可愛いな、和やかで、」

綺麗な低い声で応えてくれながら、考え込むよう英二は首傾げた。
その視線の先を眺めると、やさしい花たちが暖かな陽光に微笑んだ。

透明な連翹の黄、雪柳の白と淡青、華やかな濃紅の寒緋桜、乙女椿の薄紅いろ。
三葉つつじの薄紅紫、白木蓮やさしい白に藪椿の紅赤、それから紫に白や赤の草花たち。
そして光あふれるミモザの黄金が、風ゆるやかに豊かな花房を遊ばせる。

…きれいな庭、花も、想いも

この庭は奥多摩の森を映して造られた。
そこに家の人たちが、それぞれに好きな花木を植え込んで今の庭になった。
そんなふうにこの庭は、この家の想いが織り込まれ佇んでいる。
この庭に薫っている優しい想いが愛おしい、この想いに周太はきれいに笑った。

「英二のお父さんも、ね…庭を楽しんで、和んで下さるといいな、」

この優しい庭を眺めながら茶に寛いで、楽しかったと思ってもらえたら良い。
これから訪れるひとを想いながら、やさしい懐に周太は頬よせた。


茶道口から現れた周太に、初めての静かな視線が注がれる。
いつものように本座に坐り端正な礼をすると、ゆっくり周太は顔をあげた。
その視線の先にある主客の座には、おだやかな眼差しの立派な男性が座っていた。
真直ぐに見つめてくれる切長い目は、愛する面影が濃く慕わしい。慕わしい心に素直に微笑んで周太は口を開いた。

「初めてお目にかかります、湯原周太です。お出で下さって、ありがとうございます」

挨拶に微笑んで、周太はゆるやかに辞儀をおくった。
静かに姿勢を戻し顔を向けると、おだやかな目が面に注がれる。すこし面映ゆさに頬赤らめた周太に、彼は微笑んでくれた。

「初めまして、英二の父です。伺っていた通り、きれいな方ですね。男性に失礼かもしれませんが」
「お恥ずかしいです…でも褒めて頂いて、ありがとうございます」

急に言われて気恥ずかしい、礼を述べながらも羞んで周太は睫を伏せこんだ。
英二と同じようにその父も率直な物言いをする、きっと息子と性質が似ているのだろう。
おだやかな静謐の眼差しや、頼もしい雰囲気も父子はよく似て、周太には慕わしい。

…なんだか英二が、ふたり、いるみたい

主客に座した彼の隣には英理が次客として座り、その隣で英二は穏やかに佇んでいる。
きれいな切長い目は物静かで、けれど周太を見つめてくれる想いが密やかに熱い。
その眼差しの熱に、つい先ほど享けた首筋のくちづけが滲んで熱くなった。

…英二の気持ちは嬉しい、でも、こんなときに、どうしよう?

遅い朝の時間に求められた数々と、いま見つめられる視線が心恥らわせていく。
くわえて主客への初対面の気恥ずかしさと、自分の立場が纏う面映ゆさと痛みに途惑ってしまう。
いろんな気恥ずかしさに俯き加減でいると、これも息子と似ている綺麗な低い声で彼は言ってくれた。

「奥ゆかしい方ですね?お席の設えも、着物も上品で。どうぞ今日は、よろしくお願い致します」

そう言って会釈してくれた綺麗な笑顔の優しさが、息子の英二そっくりだった。
この息子の父らしい素敵な男性だな?そんな感想が嬉しい、和やかな礼を返しながら周太は微笑んだ。

…英二も、こんなふうになるのかな?

歳を重ねて時が来れば、英二も貫禄ある齢を迎えるだろう。
いつか訪れる未来予想図のような姿が、いま周太の前に微笑んでいる。
この「いつか」を迎えた英二の隣に、自分がいられたらいいな?
そんな願いを祈るよう微笑んで、周太は点法へと向き合った。



濃茶、続き薄茶と点て終えると今日の茶は終いになる。
ふたつの茶を点て終えた周太に、愉しそうに母が笑いかけてくれた。

「はい、お点法ありがとうございました。ここからは、自由にしましょう?」

この言葉は母からの合図になる。
すこし気楽になった余裕に微笑んで、素直に周太は端正な礼をおくると本座を辞した。
茶道口から水屋を通って、台所まで戻っていく。
そして襷をかけると今度は、サイフォンでコーヒーを淹れ始めた。
ゆるやかに昇りだす芳香と湯の音に、ほっと周太は微笑んだ。

「…お茶、楽しんでくれた、かな?」

主菓子には桜餅、干菓子には桜薫る落雁に夏みかんの砂糖菓子を添えて供した。
英二の父は甘いものも好きなようで、黒文字を運びながら微笑んでいた。英理も「美味しいわ、」と声を掛けてくれている。
この季節には相応しい事もあって、今回は桜餅を選んだ。この時期に茶を点てるなら、父もよく主菓子に選んでいた。
いつもの和菓子屋で求める、あの桜餅は父が大好きな菓子のひとつだった。

…ね、お父さん?今日も一緒に、お点法してくれてたよね、

ひとつ、仏壇にも桜餅は供えさせてもらった。
あの桜餅を本当は、父が亡くなった夜は家族三人で楽しむつもりだった。
この哀しい記憶を歓びへとつなげることは可能?そんな祈りと父にも同席してほしい願いに今日は、あの菓子を選んだ。

…英二、桜餅を見たとき、そっと仏壇に微笑んでくれてた…

きっと英二は気づいてくれたのだろう、桜餅にこめた祈りと願いに。
こんなふうに。言わなくても大切なことを理解してもらえる、その温かさが優しくて自分は恋をした。
けれど、自分の危険に巻き込みたくなくて、何度も英二から離れようとした。
冬富士の雪崩から擦れ違い、光一の記憶と想いが蘇えるのを見つめ、体を無理強いした英二を嫌いになろうとして。
無理に砕かれた信頼とプライドを盾に、英二を嫌いになりたかった。嫌いになって遠ざけてしまいたかった。
そうして自分の立つ危険な道から、英二を遠く逃がしてしまいたかった。
それでも、どうしても嫌えなかった、離れたくなくて追い縋って、そして今日がある。

…この想いは枯れない花、だから潔く見つめて微笑めばいい、正直に

いま、この家に英二の父と姉を迎えている。
もう英二の家族まで、この家に迎えてしまった。これで後戻りの道はまた、ひとつ消えていく。
このことが誰にとっても、幸せに繋がる道へとなっていけたら良い。
想いに微笑んで周太は、いつもの藍模様が美しいコーヒーセットを整えた。
カップの真白な内へと静かにコーヒーを注ぎながら、周太はひとりの女性を想った。

…いま、英二のお母さんは、なにを想っているだろう…

今日この席に、彼女は来ない。
それでも彼女は周太を嫌っている訳ではない、そう英二は言ってくれた。

―もう存分に叩いた、母さんはそう言っていたよ?もし女でも叩いただろう、そうも言っていた。
 それからね、周太?本当は母さん、あんなに腫れて痛いだろうって周太のこと、心配していたんだよ。

こんなふうに想ってくれるなら嬉しい。
それ以上に何よりも、彼女が英二に言ってくれたことが嬉しかった。

―俺のことをね、良い顔になった、自慢の綺麗な息子だって言ってくれたよ?もう、好きにしなさい、ってさ…嬉しかった、俺

そう話してくれた英二の笑顔は、すっきりと晴れた明るさがまばゆかった。
あんなふうに明るい笑顔が見られて嬉しい、サイフォンを戻して盆を出しながら周太は微笑んだ。

…ありがとうございます、

いつか、彼女にも茶で寛いでもらえる日を迎えられたらいい。
このこと本当は、願うことも考えることも自分には出来ない。けれど英二の為になら祈ることが出来る。
あの愛する笑顔のためになら、自分は不可能に思えても叶えたくて祈り、努力に願ってしまう。
やさしい日の訪れを祈りながら襷ほどくと、周太はコーヒーを談笑咲く席へと運んだ。



花切ばさみと花篭を携えて、周太は英理と庭におりた。
春の午後ふる陽光は暖かい、やわらかな青の空を仰ぐ花木たちは光に楽しげでいる。
やさしい花たちに、英理は心から嬉しそうに嘆息を零した。

「ほんとうに、素敵なお庭ね?英二が言っていたの、森みたいで、きれいな花がたくさん咲くよ、って」
「そんなふうに言ってくれたんですね、英二。この庭は、父も大切にしていたんです…俺も、大好きで」
「うん、大好きなのわかるわ。周太くんらしい、やさしい庭だもの?」

そんなふうに褒められると気恥ずかしい。
けれど、自分が好きな庭を喜んでくれる英理の笑顔が嬉しくて、周太は微笑んだ。

「ありがとうございます…よかったら、お土産に花を持って行ってくれますか?今、摘むので」
「いいの?うれしい、ありがとう。花は大好きなの、」

話しながら周太は草花の許へ屈みこんで、一茎ずつ丁寧に摘んだ。
桜草の紅から薄紅、ムスカリの青紫、早咲きのヒヤシンスにラナンキュラス。白と黄色の水仙に三色菫たち。
彩豊かな花々を篭に据えた水桶に挿しながら、周太は英理に笑いかけた。

「好きな花は、この庭にありそうですか?」
「たくさんあるわ、どの花も好き。周太くんの好きな花は?」

快活な笑顔が寒緋桜の下で咲いている。
やさしい華やかな笑顔は弟の英二とよく似ていて、父親譲りの穏健な雰囲気が温かい。
きれいな笑顔にすこし頬赤らめながら、周太は立ちあがって微笑んだ。

「いま咲くなかでは、白木蓮がいちばん…あと、ミモザも可愛いな、って」

この2つの花を告げるのは気恥ずかしい。
白と黄色の花に寄せる想いに、つい首筋が熱くなってしまう。
恥ずかしくて睫を伏せながら周太はミモザの枝に手を伸ばした。

「あの、ミモザは切り花にも良いから…」

ぱちん、切りとる細やかな花枝に「贈り物になってね?」と心でお願いをする。
花は見られて華、そんなふうにも聴くけれど、生きて咲く姿には詫びと感謝を願ってしまう。
そんな想いと摘んだ花たちを眺めると、春を束ねた可憐なブーケになっていた。

「きれい、とっても可愛い花束ね?こんなブーケがお庭で出来るなんて、素敵だわ、」

きれいな笑顔で率直に褒めながら、素直に喜んでくれる。
こういうストレートな物言いは弟とよく似ている、そして父親も同じように話していた。
この姉と弟は、美貌は母譲りでも性格は父譲りらしい?こんな観察にも面映ゆく頬染めて周太は微笑んだ。

「ありがとうございます。…あの、今日はわざわざ来て頂いて、申し訳ありません。ありがとうございます」

きちんと英理にも礼を言いたくて、周太は丁寧に頭を下げた。
ゆっくり頭をあげると切長い目が笑ってくれる、そして綺麗なアルトの声が微笑んだ。

「こちらこそ、ありがとうよ?お茶席、とても楽しかったわ。やさしい自然なお点前で、寛げて。着物の着こなしも素敵だわ、」
「お茶は、ちいさい頃から父に教わっていて…うちでは昔から、お客様があると茶でもてなすんです。それで教えてくれて、」

こういうのは今時は珍しい、そう周太も今は知っている。
けれど小さい頃は他の家も同じだと思っていて、茶のことを何気なく同級生に言ってしまったことがあった。
そして「男の癖に」とまた言われて哀しい想いをしたことがある。
けれど、こうして喜んでもらえると、やっぱり点法も好きと素直に想えて嬉しい。
嬉しい気持ちで微笑んだ周太に、楽しげに英理は笑いかけてくれた。

「そういうの、素敵ね?お父さまも、きっと素敵なんでしょう?」
「はい、父は素敵です、…あ、」

つい即答してしまった。
こんなの弁えが無いし、ファーザーコンプレックス丸出しで恥ずかしい。
それでも正直に言えたことが嬉しくも想いながら、周太は首筋から赤くなった。
そんな周太に英理は、きれいな笑顔を向けて言ってくれた。

「こんなふうに子供に想ってもらえて、幸せなお父さまだわ。すごく喜んでいるわよ、お父さま」

率直に贈ってくれる優しい言葉たち。
こんなところも英理は英二と似ている、その相似が嬉しくて好きになってしまう。
このひとも自分は大好き、しかもこの感じは「憧れ」てもいるのかな?
そんな気恥ずかしさと甘い緊張に頬そめて、周太は英理に笑いかけた。

「ありがとうございます…あの、お父さまと、似ていますね?お姉さんと英二、」
「でしょう?」

周太の言葉に英理は嬉しそうに笑ってくれる。
きれいな長い指をのばして、やさしくミモザの花房にふれながら英理は教えてくれた。

「目とね、雰囲気や性格は父譲り、ってよく言われるのよ、私も英二も。
父は仕事人間なところがあるから、あまり子供と向き合う時間は無い人だったけれど。でも、話せば解かってくれる良い父よ、」

同じように英二も周太に話してくれた。
あらためて聴くことに愛するひととの共通点が想われる、それがなんだか嬉しくて周太は微笑んだ。

「仕事人間なのは、英二と同じですね?…今回も英二、休暇が溜まり過ぎているから、ってお休み頂けたし…」
「そうなんですってね?ほんと英二らしいわ、でも助かったわね?」

ほんと助かったわよねと、可笑しそうに英理が笑いだす。
笑いながら周太の瞳を見て、きれいなアルトの声が言ってくれた。

「でも、昔の英二しか知らないと、きっと驚かれるわね?…だから、母も驚いていたわ」

英二の母親。
さっきもコーヒーを淹れながら想った、冷たい端正な美貌が心に甦る。
どこか突き放すように冷酷で、けれど寂しそうな彼女の目。かつての英二とそっくりな眼差しが懐かしくて哀しかった。
彼女は娘に何と話したのだろう?想いと見つめた先で英理がきれいに微笑んだ。

「要領よくて無難が好き、そんな英二だから自分の思い通りになって良い。以前の母はそう想っていたの。
けれど今の英二を見たらね?表情も言葉も輝くようで、本当にきれいで見惚れたんですって。それで母は想ったらしいの、
これが本当の英二なんだな、そして自分も本当はこういう姿を見たかったんだ。そう気がついてね、本当は嬉しかったみたい」

あのひとが今の英二を認めてくれた。
そのことが嬉しい、このことを彼女に一番近い英理から聴けて安心出来る。
心からの嬉しい想いに、周太はきれいに笑った。

「嬉しいです、とても…英二、ほんとうは誰よりも、お母さまに認めてほしいって、願っていたから…よかった、」

素直な想い告げながら、ひとしずく瞳から涙がこぼれ落ちた。
また自分は泣いてしまっている?こんな泣き虫が恥ずかしい、そっと周太は目許を指先で拭った。
拭った目をあげると英理は明るいトーンで話してくれた。

「母ね、周太くんに言われて『生意気だ』って想ったらしいのね?でも、それ以上に嬉しかったみたい。
叩かれて憎まれても好きだ、なんて言われたこと初めてだわ。そんなふうにね、帰ってからも何回か言っていたわ。
でも母は頑固で我が強くて。一旦こうだって決めつけちゃうと、変えることが難しいの。だから時間はかかるけど、いつか、ね?」

いつか、英二の母が周太を認める時が来るかもしれない。そう英理は言ってくれている。
けれど「いつか」が来ることは難しいことだと解かっている、自分は疎まれても当たり前と知っている。
この自分が男でありながら英二と恋し愛し合うことは、今の日本では忌避され疎まれることも多い。
そう自分でもよく解っているだけに、英二の母から自分が拒絶されることは仕方ないと諦めていた。

…俺のことを恥さらしだ、って憎んでも、仕方ない…だから、恨めない、決して

だから英二の母に頬を叩かれることも、当然のこと。そんなふうに周太は考えてきた。
けれど「いつか」が訪れてくれたなら、どんなに嬉しいだろう?
この「いつか」が来たら自分はどうしたいか、さっきすこし考えたことがある。
この想いに素直に微笑んで、周太は英理に応えた。

「ありがとうございます…『いつか』の時にはね、茶を点てて差上げられたら、嬉しいです、」

おだやかな茶の一服で寛いでほしい。
この花の庭を歩いて、やさしい香にくるまれる安らぎに笑ってほしいな?
そうして笑顔が見られたら、きっと嬉しいだろう。

…いつか、その日を迎えられたら…なによりも英二のために、

その日が訪れたなら、きっと英二は心から幸せに笑ってくれる。
ほんとうは英二がずっと心に重りを抱いている、そのことを知っているから願いたい。
ささやかでも自分にとっては、これは大切な願いごと。
この願いに微笑んだ周太の視界の端で、静かに玄関扉が開いた。




(to be continued)
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