萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第86話 建巳 act.29 another,side story「陽はまた昇る」

2021-06-25 22:35:00 | 陽はまた昇るanother,side story
Do take a sober colouring from an eye 
kenshi―周太24歳4月


第86話 建巳 act.29 another,side story「陽はまた昇る」

どうして?

『彼女と、良い恋してるんだな?』

どうして今そんなこと言いだすのだろう、あなたが?
だから今日、あなたは泣いていたの?

“でも、あんまり静かに綺麗に泣いていたから。”

あなたは泣いていた、あの書店で。
ふたり何度も行った場所で、今この膝に閉じた本を買って、あなたは泣いた。

“その本さっきも売れたばかりなんです、”

この本「さっき」買って行ったひと、その足跡を追いかけて今ここにいる。
あなたと幾度も座った、このベンチに今。
どうしても会いたくて。

「いいこいなんて…」

声こぼれて、でも何を言えばいいの?
解らない、ほら逆上せだす、言葉どこにも探せない。

―どうしてそんなこと言うの、英二?

解らなくて見つめる真中、あまい馥郁ゆらせて髪が光る。
さらさらダークブラウン艶めく残照、その切長い瞳に花が舞う。

『ソウイウスレチガイってアイツはね、たぶん埋めらんない男だよ、』

ほら雪の森の言葉が響く、あの幼馴染が僕に言ったこと。
僕の幼馴染であなたのザイルパートナー、あなた山の貌いちばん近くで見ているひとの声。
あの言葉のまま今もまた、すれ違ってしまうのだろうか?

「まっすぐで明るい目線、小嶌さんもそういう眼するだろ?」

ほら低いきれいな声が笑いかける、でも瞳は違う。

「一緒にいて周太がどれだけ楽しいのかわかるよ、」

きれいな低い声が笑いかけてくる、切長い瞳が僕に微笑む。
けれど瞳の深く底、あなたは笑ってなんかいない。

―どうして英二、そんなこと言うの?

どうして?
訊きたい、でも今はただ聴くときなのかもしれない。
この今ただ吐き出されていく、あなたの声を。

「周太も大学院ここから目指すんだよな、彼女と同じ大学だろ?」

きれいな低い声が笑いかける、端整な瞳が僕を見る。
ずっと見惚れていた声、瞳、けれど今は鼓動やわらかに絞められる。

「ん、一緒だよ、」

肯いて、見あげた隣の瞳が紅い。
もう夕闇が染める時間、ベンチも桜も朱く照らされる。
けれどたぶん、きっと、あなたの瞳が紅いのは、

「そっか、」

きれいな笑顔が頷いてくれる、でも瞳が紅い。
端整な白皙なめらかに朱が光る、ダークブラウンの髪なびいて紅きらめく。
こんなにも、こんな時にも美しいひと。

どうして?英二、

「…英二、」

唇うごいて名前こぼれる、ほら?呼べる。

「なに?周太、」

ほら応えてくれる、あなたの声だ。
今こうして隣ならんで座っていられる、そのくせ遠い。
今このベンチこの日、ほら桜も咲いて、けれど切長い瞳は遠くとおく軋む。

『新宿御苑の桜も、きれいなんだろ?周太と見たい、』

あの雪の森の再会、その夜に電話で笑ってくれた。
だから今日このベンチと信じて、あなたは来て、それなのになぜ?

―どうして英二こんな…美代さんとのこと、こんなふうに話すの?

だって英二?
あなたが彼女と僕のこと、そんなふうに話すなんて変でしょう?

『でもあの女は周太とお似合いだよ、二人とも子どもっぽいけど賢くて大人びてるとこ似てる、一緒にいて楽しいだろ?』

雪の森あなたの声、低いくせ深く叫んでいた。
あの言葉きっと本音で、そのとおりだと僕だって解っている。
もう何度いくつも何時間、ずっと考えて、考えて、それは僕もあなたも同じだ。

『ふつうに幸せになれるよ周太は、だからごめんな?男同士で恋愛とかさ、巻きこんで悪かったな?』

男同士で、その現実ずっと考えてきた。
どんなに想い重ねても、それでも逸らせない現実を僕も解ってしまった。
それ以上あなたは気づいて飲みこんで、ずっと苦しんで、それでも電話で言ってくれたでしょう?

『周太と見たい、』

この場所この桜を、僕と見たいと言ってくれた。
そのために雪嶺あの瞬間、あなたは僕の隣にいたのではないの?

「どうした、周太?」

ほら呼んでくれる、あなたの声。
あの雪嶺あの現場、雪崩の瞬間に見つめた声だ。
この声、どうしたら今もっと近づける?

「英二、」

この名前この声で今なら呼べる。
手繰りよせたい願い見つめて、息ひとつ

「英二…けんか、しよう?」

あなたは憶えているだろうか?
あの初めての喧嘩、それから二人、生まれた時間たち。

※校正中
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」より抜粋】

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