君、追いたくて、
第86話 花残 act.14 side story「陽はまた昇る」
いつ、どこで逢えるだろう?
「宮田、もう出掛けるのか?」
低い声にふりむいて、トレーニングウェア姿と視線が合う。
少し笑っているような先輩に英二は微笑んだ。
「はい、」
「非番なのに忙しいな、学校は新宿だったな?」
尋ねながら長身が歩み寄って来る。
その生真面目なシャープな眼に笑いかけた。
「新宿駅の近くです、黒木さんも行きますか?保護者同伴も歓迎だそうですよ、」
この人も今日は非番、それにある意味「保護者」だ?
そんな冗談半分に上司は苦笑いした。
「宮田の保護者って怖い役だな、俺が保護してほしいくらいだ、」
「何からの保護ですか?」
「うーん?いろいろあるだろ、」
話ながら歩く廊下、窓の外は点呼の声が響く。
この半年で慣れた空気に微笑んだ。
「いろいろは、昇任試験ですか?」
この上司の「いろいろ」は今、これだろう?
問いかけに先輩は溜息ついた。
「ぁあ…付きものだと解っちゃいるんだがな、俺は正直あまり座学は得意じゃない、」
溜息にすこし驚かされる、この男でも弱気になるんだ?
そんな苦笑いの口元たゆたう横顔に、どんな言葉をかければいいだろう?
―なんて悩んだりしなかったよな、前の俺だったらさ?
心裡に自分でも可笑しい、こんな自分だったろうか?
つい可笑しくて笑った隣、生真面目が舌打ちした。
「なに笑ってんだよ宮田、勉強好きなヤツの嫌味か?」
「いえ、俺自身の問題です、」
どういう意味だよ?そんな眼で先輩が苦笑いしてくれる。
その視線ふっと細め笑った。
「だが宮田、試験よりガッコの方がエライかもしれんぞ?」
「えらい?どうしてですか?」
すこし気になる言葉だな?
訊き返しながらジャケットの腕を撫でた隣、先輩が言った。
「専門学校も大変だろうがな、昇任研修はガッコウの寮生活だぞ?ノンキャリアが宮田の年齢で警部補は珍しがられる分、疲れるかもしれん、」
苦笑い、そんなトーンに肩かるく敲かれる。
なるほど「えらい」は疲れるの意味らしい?納得しながら微笑んだ。
「珍しがられるより、山に関われないほうが俺は辛いですよ?」
研修期間、山のトレーニングは出来るのだろうか?
不安すこし首傾げた英二をシャープな眼が眺めて笑った。
「そういうセリフは宮田らしいけどな、こういうカッコほんと似合うな?」
ワイシャツにスラックス、革靴、ジャケット。
ごく普通のコーディネート、けれど今この場所では「珍しい」かもしれない?
けれど自分なり考えた姿で微笑んだ。
「警察官の名前で入学予定ですから、見学でもカジュアル過ぎない方が良いかと思いました、」
警視庁の警察官として、専門学校に入学する。
そのために行くなら服装も気をつける方が良い、そんな判断に上司は肯いた。
「なるほどな。堅苦しすぎるても警戒させるから、ネクタイは無しか?」
「はい、敷居が高い印象も良くないかと、」
自分なり判断を述べながら今日のトレースを脳に描く。
行先は「敷居が高い」とダメだろう?その予定に先輩が言った。
「宮田は何着ても目立つしな、専門学校でも騒がれそうだ。買物も行くんだったな?」
「はい、本屋に寄ります、」
「ほんと勉強好きだな、気をつけて行ってこいよ?」
シャープな眼が笑って手を挙げてくれる。
大きな手だな?あらためての感想に先輩はちょっと笑った。
「マジメもいいが息詰まらせるなよ、たまにはデートでもしてこいよ?」
この男も、こんなこと言うんだな?
意外でつい笑ってしまった。
「言うからには黒木さん、たまにはデートしてるんですか?」
この堅物男がデートする?
ありそうにもない想像と親しみの真中、シャープな眼もと微かに笑んだ。
「まあ…気をつけて行ってこい、」
意外な反応だ?
新宿駅の改札ぬけて、なつかしい。
流れる雑踏にレザーソール踏んで、角には花屋。
あの花屋で初めて花束をつくった、あの初めては君のためだ。
『…ありがとう…英二、』
呼ばれた名前は、優しかった。
あの声に逢いたい、でも、いまさらだろうか?
―奥多摩まで追いかけてくれた周太は…でも俺はまだ迷っている、
雪ふる山まで君は来た、この自分を捕まえてくれた。
ほんとうは嬉しくて嬉しくて、けれど抱きしめられない。
“愛しているなら、彼の自由も愛せる”
一昨日、海辺で聴いた祖母の声。
あの言葉は本当だろうか、一昨日あの雪山に何度も考えた言葉。
この言葉を答えとける時など来るのだろうか、こんな自分でも?
―俺は周太を本当に大切にできるのかな…周太の自由を、
天使みたい、だと言われたことがある。
あの言葉そのまま「優しい人間」だと君は信じてくれていた、でも今はどうだろう?
『またちゃんと話すね、…聴いてくれる?』
雪の森この背中で君が言った、あの言葉は嘘じゃない。
だから君は「ちゃんと話す」だろう、この自分に聴かせてくれる。
その瞬間、君の瞳は君をどんなふうに映すだろう?
―今はもう前のままじゃない…周太のなかの俺は、
今朝、自分が隣室の同僚にやったこと。
たいしたことじゃない、でも「優しい人間」がすることじゃないだろう?
―服装で決めるのもどうかと思うけどな、って俺の言訳かな?
心裡ひとり呟きながら、雑踏アスファルトを踏んでゆく。
賑わう人混み、埃が匂う緩い風、この空気があたりまえだった。
その感覚もう今は遠くて、それくらい自分は山に生きていたい。
そのくせ今この服装ごと街並になじんで、だから新しい隣人も自分も苛立つ?
―でも生まれは変えられない、佐伯の芦峅寺も、俺が世田谷なのも、
芦峅寺出身、それは自分にとって憧れ。
けれど憧れから来た男は自分を嫌っている、その感情を理解できてしまう。
だって今この自分もこの都心の雑踏、こんなふうに遠く傍観しながら歩いている。
―奥多摩に生きたからだ、俺も、
たった1年間、それが青梅警察署で過ごした時間。
たった1年だ、それでも遭難事故と自殺者どれだけ自分は見てきたろう?
―今すれ違う人かもしれない、奥多摩で…死ぬかもしれないんだ、
新宿、その先の東京からも、電車ひとつで繋がる場所。
ふらり電車に乗れば行きついてしまう、それが奥多摩の現実を生んでいく。
こうして歩く雑踏のなか疲れきったまま乗りこんで、降りたホームすぐの登山口へ呑まれてしまう。
または雑踏の街と同じまま山へ入りこんで、迷い、凍え、方角も時間も解らずに体ごと命を落とす。
―俺だって警察学校に入るまでは同じだった、でも佐伯は、生まれた時から山で生きている…光一と同じように、
佐伯啓次郎、あの男は自分のザイルパートナーとある意味で同類。
だからこそ佐伯も自分を嫌うのだろう、あの「山っ子」のザイル繋がりたいと願うから。
―俺が佐伯だったら許せないだろな、あのザイルを知ったらなおさら、
ほら、納得してしまう。
それだけ山っ子のザイルは惹きつけられる、あの底抜けに明るい眼と笑いたい。
どれだけ厳しい山にも真直ぐ立っている、あの背中に、駆けぬける爽快に、どうか共に立ちたい。
あの感覚を感情を、もし佐伯が知ったなら、この自分をなおさら許せないだろう?
―でも光一は警察を辞めたんだ、佐伯とザイルを組む可能性はあまりない、か、
レザーソール鳴る足もと、思考に街が流れる。
流れこむ街角、街路樹、ひとつの店が記憶そっと敲きだす。
―時計を買った店だ、周太と一緒に、
最初のクライマーウォッチは、あの店。
山岳救助隊を目指す、そう決めてクライマーウォッチを買いに来た。
まだ警察学校にいた週末、外泊日どうしても一緒に「最初」をしてほしかった。
記憶の君にふれてゆく。
排気ガスくすんだ苦い、ぬるい風かすかに頬ふれる。
3月末の雑踏はアスファルト冷たい、そのくせ生ぬるい風に一点、色が見えた。
「っ、」
薄紅やわらかな頬、ちいさな横顔。
「…周太?」
くせっ毛やわらかな黒い髪、ダークスーツくるむ肩。
それから真直ぐ先を見つめる、あの黒目がちの瞳。
「っ…しゅうたっ!」
声になる、ずっと呼びたかった名前。
走りだすレザーソールの足、雑踏すべて音が消える。
あの横顔、ただ花びらひとつ、春。
※校正中
(to be continued)
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英二24歳3月末
第86話 花残 act.14 side story「陽はまた昇る」
いつ、どこで逢えるだろう?
「宮田、もう出掛けるのか?」
低い声にふりむいて、トレーニングウェア姿と視線が合う。
少し笑っているような先輩に英二は微笑んだ。
「はい、」
「非番なのに忙しいな、学校は新宿だったな?」
尋ねながら長身が歩み寄って来る。
その生真面目なシャープな眼に笑いかけた。
「新宿駅の近くです、黒木さんも行きますか?保護者同伴も歓迎だそうですよ、」
この人も今日は非番、それにある意味「保護者」だ?
そんな冗談半分に上司は苦笑いした。
「宮田の保護者って怖い役だな、俺が保護してほしいくらいだ、」
「何からの保護ですか?」
「うーん?いろいろあるだろ、」
話ながら歩く廊下、窓の外は点呼の声が響く。
この半年で慣れた空気に微笑んだ。
「いろいろは、昇任試験ですか?」
この上司の「いろいろ」は今、これだろう?
問いかけに先輩は溜息ついた。
「ぁあ…付きものだと解っちゃいるんだがな、俺は正直あまり座学は得意じゃない、」
溜息にすこし驚かされる、この男でも弱気になるんだ?
そんな苦笑いの口元たゆたう横顔に、どんな言葉をかければいいだろう?
―なんて悩んだりしなかったよな、前の俺だったらさ?
心裡に自分でも可笑しい、こんな自分だったろうか?
つい可笑しくて笑った隣、生真面目が舌打ちした。
「なに笑ってんだよ宮田、勉強好きなヤツの嫌味か?」
「いえ、俺自身の問題です、」
どういう意味だよ?そんな眼で先輩が苦笑いしてくれる。
その視線ふっと細め笑った。
「だが宮田、試験よりガッコの方がエライかもしれんぞ?」
「えらい?どうしてですか?」
すこし気になる言葉だな?
訊き返しながらジャケットの腕を撫でた隣、先輩が言った。
「専門学校も大変だろうがな、昇任研修はガッコウの寮生活だぞ?ノンキャリアが宮田の年齢で警部補は珍しがられる分、疲れるかもしれん、」
苦笑い、そんなトーンに肩かるく敲かれる。
なるほど「えらい」は疲れるの意味らしい?納得しながら微笑んだ。
「珍しがられるより、山に関われないほうが俺は辛いですよ?」
研修期間、山のトレーニングは出来るのだろうか?
不安すこし首傾げた英二をシャープな眼が眺めて笑った。
「そういうセリフは宮田らしいけどな、こういうカッコほんと似合うな?」
ワイシャツにスラックス、革靴、ジャケット。
ごく普通のコーディネート、けれど今この場所では「珍しい」かもしれない?
けれど自分なり考えた姿で微笑んだ。
「警察官の名前で入学予定ですから、見学でもカジュアル過ぎない方が良いかと思いました、」
警視庁の警察官として、専門学校に入学する。
そのために行くなら服装も気をつける方が良い、そんな判断に上司は肯いた。
「なるほどな。堅苦しすぎるても警戒させるから、ネクタイは無しか?」
「はい、敷居が高い印象も良くないかと、」
自分なり判断を述べながら今日のトレースを脳に描く。
行先は「敷居が高い」とダメだろう?その予定に先輩が言った。
「宮田は何着ても目立つしな、専門学校でも騒がれそうだ。買物も行くんだったな?」
「はい、本屋に寄ります、」
「ほんと勉強好きだな、気をつけて行ってこいよ?」
シャープな眼が笑って手を挙げてくれる。
大きな手だな?あらためての感想に先輩はちょっと笑った。
「マジメもいいが息詰まらせるなよ、たまにはデートでもしてこいよ?」
この男も、こんなこと言うんだな?
意外でつい笑ってしまった。
「言うからには黒木さん、たまにはデートしてるんですか?」
この堅物男がデートする?
ありそうにもない想像と親しみの真中、シャープな眼もと微かに笑んだ。
「まあ…気をつけて行ってこい、」
意外な反応だ?
新宿駅の改札ぬけて、なつかしい。
流れる雑踏にレザーソール踏んで、角には花屋。
あの花屋で初めて花束をつくった、あの初めては君のためだ。
『…ありがとう…英二、』
呼ばれた名前は、優しかった。
あの声に逢いたい、でも、いまさらだろうか?
―奥多摩まで追いかけてくれた周太は…でも俺はまだ迷っている、
雪ふる山まで君は来た、この自分を捕まえてくれた。
ほんとうは嬉しくて嬉しくて、けれど抱きしめられない。
“愛しているなら、彼の自由も愛せる”
一昨日、海辺で聴いた祖母の声。
あの言葉は本当だろうか、一昨日あの雪山に何度も考えた言葉。
この言葉を答えとける時など来るのだろうか、こんな自分でも?
―俺は周太を本当に大切にできるのかな…周太の自由を、
天使みたい、だと言われたことがある。
あの言葉そのまま「優しい人間」だと君は信じてくれていた、でも今はどうだろう?
『またちゃんと話すね、…聴いてくれる?』
雪の森この背中で君が言った、あの言葉は嘘じゃない。
だから君は「ちゃんと話す」だろう、この自分に聴かせてくれる。
その瞬間、君の瞳は君をどんなふうに映すだろう?
―今はもう前のままじゃない…周太のなかの俺は、
今朝、自分が隣室の同僚にやったこと。
たいしたことじゃない、でも「優しい人間」がすることじゃないだろう?
―服装で決めるのもどうかと思うけどな、って俺の言訳かな?
心裡ひとり呟きながら、雑踏アスファルトを踏んでゆく。
賑わう人混み、埃が匂う緩い風、この空気があたりまえだった。
その感覚もう今は遠くて、それくらい自分は山に生きていたい。
そのくせ今この服装ごと街並になじんで、だから新しい隣人も自分も苛立つ?
―でも生まれは変えられない、佐伯の芦峅寺も、俺が世田谷なのも、
芦峅寺出身、それは自分にとって憧れ。
けれど憧れから来た男は自分を嫌っている、その感情を理解できてしまう。
だって今この自分もこの都心の雑踏、こんなふうに遠く傍観しながら歩いている。
―奥多摩に生きたからだ、俺も、
たった1年間、それが青梅警察署で過ごした時間。
たった1年だ、それでも遭難事故と自殺者どれだけ自分は見てきたろう?
―今すれ違う人かもしれない、奥多摩で…死ぬかもしれないんだ、
新宿、その先の東京からも、電車ひとつで繋がる場所。
ふらり電車に乗れば行きついてしまう、それが奥多摩の現実を生んでいく。
こうして歩く雑踏のなか疲れきったまま乗りこんで、降りたホームすぐの登山口へ呑まれてしまう。
または雑踏の街と同じまま山へ入りこんで、迷い、凍え、方角も時間も解らずに体ごと命を落とす。
―俺だって警察学校に入るまでは同じだった、でも佐伯は、生まれた時から山で生きている…光一と同じように、
佐伯啓次郎、あの男は自分のザイルパートナーとある意味で同類。
だからこそ佐伯も自分を嫌うのだろう、あの「山っ子」のザイル繋がりたいと願うから。
―俺が佐伯だったら許せないだろな、あのザイルを知ったらなおさら、
ほら、納得してしまう。
それだけ山っ子のザイルは惹きつけられる、あの底抜けに明るい眼と笑いたい。
どれだけ厳しい山にも真直ぐ立っている、あの背中に、駆けぬける爽快に、どうか共に立ちたい。
あの感覚を感情を、もし佐伯が知ったなら、この自分をなおさら許せないだろう?
―でも光一は警察を辞めたんだ、佐伯とザイルを組む可能性はあまりない、か、
レザーソール鳴る足もと、思考に街が流れる。
流れこむ街角、街路樹、ひとつの店が記憶そっと敲きだす。
―時計を買った店だ、周太と一緒に、
最初のクライマーウォッチは、あの店。
山岳救助隊を目指す、そう決めてクライマーウォッチを買いに来た。
まだ警察学校にいた週末、外泊日どうしても一緒に「最初」をしてほしかった。
記憶の君にふれてゆく。
排気ガスくすんだ苦い、ぬるい風かすかに頬ふれる。
3月末の雑踏はアスファルト冷たい、そのくせ生ぬるい風に一点、色が見えた。
「っ、」
薄紅やわらかな頬、ちいさな横顔。
「…周太?」
くせっ毛やわらかな黒い髪、ダークスーツくるむ肩。
それから真直ぐ先を見つめる、あの黒目がちの瞳。
「っ…しゅうたっ!」
声になる、ずっと呼びたかった名前。
走りだすレザーソールの足、雑踏すべて音が消える。
あの横顔、ただ花びらひとつ、春。
※校正中
(to be continued)
七機=警視庁第七機動隊・山岳救助レンジャー部隊の所属部隊
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