萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第86話 花残 act.23 side story「陽はまた昇る」

2021-10-12 23:56:20 | 陽はまた昇るside story
深淵より捜して、
英二24歳4月


第86話 花残 act.23 side story「陽はまた昇る」

風ふれる頬、洗い髪が梳かれて凍える。
かきあげる指冷たく髪からんで、その涯に英二は月を見た。

「…なんだろな、俺?」

零れた声に月が映る。
雲流れゆく光の夜、凭れた鉄柵も冷たく硬い。
もう4月になった、それでも冷えてゆく夜の屋上に煙草咥えた。

かちっ、

かすかな金属音、火が燈る。
風ゆれる光そっと近づけて、吸いこむ香ほろ苦い。
苦いまま含んで、ふっと息吐いて煙が昇る。

『正義感と恋愛感情、どちらの為に僕といてくれたの?』

君に言われたこと、ずっと考えている。
考えて考えて、考えて、おかげで夕飯なんだったのかも憶えていない。

「…周太、夕飯はなに食べた?」

呼びかけた声、あわく月光とける。
もし君と食べたなら憶えていたろうか、幸せだった時間のように。
けれど「幸せ」だったのは、自分だけなのかもしれない。

『正義感で僕を護ろうとしなくて、もういいんだよ』

正義感で君といた、そんなふうに思っているんだ?
だから君は問いかけてくれた?

「正義感、か…」

くゆらす煙に月が滲む。
ほろ苦いくせ離さない香、こんな依存に自分が可笑しい。
こんな自覚ごと煙草の右手、かつん、鉄柵かすめて疼いた。

「…っ、」

痺れ奔る、人差指ゆるんで紙巻おちる。
はたり灯は落ちて、一点の朱が足もと揺れた。

「痺れか、」

声にして左手が右手ふれる。
指ふれる肌に感触なぞらす、ゆるく動かす関節なめらかに動く。
なにも変わらない自分の右手、それでも小指ひとつ感覚が無い。

「なぜだ?」

動く右小指、でも感覚が無い。
そして打ちつけた瞬間、右手ごと感覚が消えた。

―すぐ戻ってはいる、でもこれが山でなったら?

声なく自問する聲、その答えは自明だ。
それは山に生きる者なら当然で、見つめるまま煙草を拾った。

「動くんだよな…」

声こぼれた視線、くすぶる朱色が耀く。
ちいさな灯ごと携帯灰皿に埋めて、かたん、金属音が聞こえた。

「宮田くん?」

昏い屋上、おだやかな朗らかな声が徹る。
この声すこし前まで嫌いだった、けれど今はほっと笑った。

「浦部さん?こんばんは、」
「こんばんは、帰ってたんだね?」

答えながら近づくシルエット、肩ひろやかに美しい。
均整とれた姿勢すぐ並んで、鉄柵もたれて微笑んだ。

「夕飯にいなかったろ?どうしたのかと思ったよ、」

憶えていないのではなく、食べていなかったんだ?
言われて気がついた自覚が可笑しくて、呆れる自嘲と微笑んだ。

「ご心配すみません、」

微笑んで頭下げて、携帯灰皿そっとポケットに隠す。
まだ紫煙かすかな屋上の空、袋ひとつ差しだされた。

「おにぎり入ってるよ、食べて?」

受けとって袋まだ温かい。
今作ってきた、そんな温度に先輩が笑った。

「食堂のおばさんに預かったんだよ、あのイケメンくん来ていないから持って行ってってさ?ほんとモテるよね、」

言われる言葉に開けた袋、ほの甘い香が芳ばしい。
作りたて届けてくれた、そんな香と温もりに微笑んだ。

「ありがとうございます、いただきます、」
「あったかいうちに食べるといいよ、なんなら今どうぞ?」

笑いかけてくれる瞳は穏やかなくせ明るい。
言われながら月光の下、素直に一つ取りだしてラップ剥いた。

「ぉ、」

ほおばって一口、濃やかに甘辛い。
ほどける食感と味に先輩が笑った。

「焼肉が入ってるだろ?今夜の献立だよ、若い男なら肉は食べたいでしょ言ってたよ、」

言われながら噛みしめて、海苔と胡麻に弾力が濃い。
こういう具材もあるんだな?ものめずらしい味すなおに笑った。

「うまいです、初めての味ですけど、」
「おいしそうだよね、確かに。俺も作ってもらえば良かったかな、」

笑ってくれる目もと、涼やかに切長い。
この貌が前は嫌いだったな?まだ近い記憶に先輩が訊いた。

「宮田くんさ、言いたいことあったら言いなよ?」

穏やかな声さらり告げる。
その言葉ながめながら咀嚼して、飲みこみ微笑んだ。

「今すぐ言いたいのは、お茶が欲しいですね?」
「お、正直でいいね、」

切長い瞳が笑って、ぽん、瓶ひとつ手渡してくれる。
受けとって熱い、そのラベルに笑った。

「お茶にしてはアルコールのパーセント高いですね?」
「寒い夜にはいいだろ?」

かちり、蓋を外して先輩が笑う。
ほころばす目元は楽しげで、懐かしくて笑いかけた。

「浦部さんて、思ったより国村さんと似ていますね?」
「ん?」

ワンカップ口つけて振りむいてくれる。
どこか大らかな仕草が可笑しくて、つい笑って言われた。

「まあ、山ヤってとこは同類だしね。あの人に似てるなら山ヤとして光栄だよ、」

朗らかなトーン応えて、熱いガラス瓶かたむけて笑う。
こんな貌する男だと少し前は知らなかった。

『山で誤魔化してたら死ぬだけだ、』

昨夜、そう言った男が酒に微笑む。
こんなふうに山の男は生きるのだろうか、見つめる想い零れた。

「誰かと一緒にいたいのは、なぜでしょうね?」

※校正中
(to be continued)
七機=警視庁第七機動隊・山岳救助レンジャー部隊の所属部隊

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