境界線そして、現実を
扉を出て、雪が匂う。
「…なつかしいな、」
かすかな甘い空気ほろ苦い、頬ふれて額かすめる冷気の粒。
凍える髪すじ翳ひるがえす、ただ懐かしさ英二は息ついた。
「は…」
吐息ひるがえる白、警察署も駐車場も白くなる。
まだ微かにコーヒー香る息、ほろ苦い甘い現実が軋む。
『もし放置すれば完全な回復が得られないかもしれないんだ、どうか宮田くん、きちんと後藤さんと今の上司の方に相談して治療に務めてください、』
吉村医師に告げられた現実、その言葉ひとつずつ痛い。
きっと回復は出来る、上司の黒木も悪いようにはしないだろう、けれど。
「後藤さんには、きついな…」
ひとりごと零れて、唇そっと雪ふれる。
降りしきる白まだ名残る冬、この町で育ててくれた山の恩人。
あの山ヤの警察官は自分の受傷を知ったら、どんな貌で何を言うのだろう?
―山の経験がない俺を抜擢したのは後藤さんだ、それを否定する人間もいる…佐伯とか、
山岳救助隊は登山経験者から選抜される、それは決して広い門ではない。
発足当時は体力自慢なら志願できた、けれど今、山を職務に生きられる公務員の志願者どれほどいる?
―警察学校で山をかじった俺でも憧れたんだ、ずっと山やってきたならもっと、
消防署と警察署、山岳救助隊を擁する公務員はこの二つ。
そこを目指す山岳部出身者は少なくない、だから不安になる、この自分に代わりたい人間どれほどいるだろうか?
「…運が良かったな、俺、」
想い零れた息が白く舞う。
自分が今ここにいること、それは様々な思惑の錯綜だったと今は知っている。
それすらも自分の幸運だ、山ヤの警察官として生きて幸せだから。
『数ヵ月が、君が山で一生を生きられるかの分岐になるということです、』
吉村医師に告げられた治療時間、その数カ月間もう始まった。
それは治療だけの問題ではないだろう。
「あまくないよな?」
微笑んで見あげる青梅署の壁、見慣れた雪景色に時間が積もる。
この駐車場なんど車を停めたろう?たたずんだ白い空に呼ばれた。
「おーうい、みーやたー、」
すこし掠れる低い響く声、燻銀みたいだ。
この声が誰かなんて知っている、呼吸ひとつ振りむいた。
「後藤さん、朝にお会いするのは久しぶりですね、」
笑いかけて鼓動そっと軋む。
だって今、会いたくなかった。
「おう、国村の送別会は夜だったからなあ、」
雪焼け浅黒い頬ほころばす、この笑顔に今は苦しい。
本音くるんだまま微笑んだ前、雪ふる山ヤが言った。
「なあ宮田、オマエさん右手を痛めてないかい?」
呼吸が止まる、視界せばまる一点。
一点ただ見つめてくれる眼差しは、困ったよう笑った。
「そんな貌せんでいい、ちょいと俺と来てくれんか?」
「…どこへでしょうか?」
応えても声、喉かすかに詰まる。
この自分もこんなふうなるんだ?立ちつくす想いごと、ぽん、背を敲かれた。
「俺はおまえさんの味方だよ、ほれ、」
ぽん、
また敲いてくれる背、平手の熱そっと包みだす。
硬くなっていた肌すこし緩んで、英二は微笑んだ。
「俺、今そんな警戒した貌していますか?」
「おうよ、冷える前に行こうや、」
燻銀の声いつもどおり笑ってくれる。
その眼差しも変わらなくて、白い息ひとつ歩きだした。
※校正中
(to be continued)
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英二24歳4月
第86話 花残 act.29 side story「陽はまた昇る」
扉を出て、雪が匂う。
「…なつかしいな、」
かすかな甘い空気ほろ苦い、頬ふれて額かすめる冷気の粒。
凍える髪すじ翳ひるがえす、ただ懐かしさ英二は息ついた。
「は…」
吐息ひるがえる白、警察署も駐車場も白くなる。
まだ微かにコーヒー香る息、ほろ苦い甘い現実が軋む。
『もし放置すれば完全な回復が得られないかもしれないんだ、どうか宮田くん、きちんと後藤さんと今の上司の方に相談して治療に務めてください、』
吉村医師に告げられた現実、その言葉ひとつずつ痛い。
きっと回復は出来る、上司の黒木も悪いようにはしないだろう、けれど。
「後藤さんには、きついな…」
ひとりごと零れて、唇そっと雪ふれる。
降りしきる白まだ名残る冬、この町で育ててくれた山の恩人。
あの山ヤの警察官は自分の受傷を知ったら、どんな貌で何を言うのだろう?
―山の経験がない俺を抜擢したのは後藤さんだ、それを否定する人間もいる…佐伯とか、
山岳救助隊は登山経験者から選抜される、それは決して広い門ではない。
発足当時は体力自慢なら志願できた、けれど今、山を職務に生きられる公務員の志願者どれほどいる?
―警察学校で山をかじった俺でも憧れたんだ、ずっと山やってきたならもっと、
消防署と警察署、山岳救助隊を擁する公務員はこの二つ。
そこを目指す山岳部出身者は少なくない、だから不安になる、この自分に代わりたい人間どれほどいるだろうか?
「…運が良かったな、俺、」
想い零れた息が白く舞う。
自分が今ここにいること、それは様々な思惑の錯綜だったと今は知っている。
それすらも自分の幸運だ、山ヤの警察官として生きて幸せだから。
『数ヵ月が、君が山で一生を生きられるかの分岐になるということです、』
吉村医師に告げられた治療時間、その数カ月間もう始まった。
それは治療だけの問題ではないだろう。
「あまくないよな?」
微笑んで見あげる青梅署の壁、見慣れた雪景色に時間が積もる。
この駐車場なんど車を停めたろう?たたずんだ白い空に呼ばれた。
「おーうい、みーやたー、」
すこし掠れる低い響く声、燻銀みたいだ。
この声が誰かなんて知っている、呼吸ひとつ振りむいた。
「後藤さん、朝にお会いするのは久しぶりですね、」
笑いかけて鼓動そっと軋む。
だって今、会いたくなかった。
「おう、国村の送別会は夜だったからなあ、」
雪焼け浅黒い頬ほころばす、この笑顔に今は苦しい。
本音くるんだまま微笑んだ前、雪ふる山ヤが言った。
「なあ宮田、オマエさん右手を痛めてないかい?」
呼吸が止まる、視界せばまる一点。
一点ただ見つめてくれる眼差しは、困ったよう笑った。
「そんな貌せんでいい、ちょいと俺と来てくれんか?」
「…どこへでしょうか?」
応えても声、喉かすかに詰まる。
この自分もこんなふうなるんだ?立ちつくす想いごと、ぽん、背を敲かれた。
「俺はおまえさんの味方だよ、ほれ、」
ぽん、
また敲いてくれる背、平手の熱そっと包みだす。
硬くなっていた肌すこし緩んで、英二は微笑んだ。
「俺、今そんな警戒した貌していますか?」
「おうよ、冷える前に行こうや、」
燻銀の声いつもどおり笑ってくれる。
その眼差しも変わらなくて、白い息ひとつ歩きだした。
※校正中
(to be continued)
七機=警視庁第七機動隊・山岳救助レンジャー部隊の所属部隊
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