ROAD TO OKU 敬愛をこめて
キーン先生が亡くなられた、
松尾芭蕉「奥の細道」を読むんなら?って訊かれたら、
ドナルド・キーン訳『おくのほそ道 THE NARROW ROAD TO OKU』がおススメと自分は答えます。
講談社学術文庫から『英文収録 おくのほそ道』として発刊されているんですけど、ソレです。
たとえばタイトル『奥の細道』を「Road to OKU」にしているトコ。
これが「Road of OKU」じゃないってトコが日本語というか・やまとごころってヤツの表現がすごいなと。
たとえば「光」を表現するにも「beam」にするのか「gleam」なのか「shine」なのか?
この3つは光の風景が全く違うワケで・ソレをちゃんと訳してくれている。
そうした訳し方から「奥の細道」の情景がはっきりわかる、
ソレダケではなく講談社学術文庫『英文収録 おくのほそ道』はキーン先生の解説も載っているのでカナリ解りやすい。
この一冊からだけでもキーン先生の日本愛がナマハンカじゃないんだなってコトが伝わってきます。
「日本語と日本文学を正しく教えられる人が育ってほしい」
そんなふう仰っていたキーン先生はまた、日本の大学入試問題にも疑問を呈されていました。
たしかに・センター試験からして文学力を問うというよりクイズみたいになっちゃってるし、笑
そーゆー試験問題に自分も受験生当時おんなじ疑問を持ったので、そこらへんも親しみカンジます。
キーン先生は太平洋戦争のとき、日本兵の手紙をチェックする担当を務めたそうです。
そこに綴られている日本兵の想いに、当時ご自身も青年だったキーン先生は上官の命令に背いたのだとか。
本来は処理しなくてはいけなかった手紙たちを、密かに保管して隠していたそうです。
手紙を遺していった誰かの父親で息子で夫で恋人たち、その想いを宛先に届けたいと。
その手紙はキーン先生が任務中の隙に発見され、処分されてしまったそうです。
そのことを「今も心残りだ」と日本に帰化された時の講演でも話されていました。
太平洋戦争後、日本は敗戦国として様々な日本否定に曝されたんですけど、
そんな中でも日本文学を愛し日本を助けようとしてくれた学者サンもいました。
学問を通して救済と敬愛に平和を願おうとした研究者たち、その姿こそ学者の本分だと。
ノーベル博士の目指したコト鑑みても、ノーベル文学賞はそういう学者たちに贈られるべきだろー思います。
そんな一人だったキーン先生の死は、大先輩で恩人で恩師が消えた空虚感です。
そうしてまた、懐かしくなります。
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文学閑話:鬼怒鳴門 キーン ドナルド博士
キーン先生が亡くなられた、
松尾芭蕉「奥の細道」を読むんなら?って訊かれたら、
ドナルド・キーン訳『おくのほそ道 THE NARROW ROAD TO OKU』がおススメと自分は答えます。
講談社学術文庫から『英文収録 おくのほそ道』として発刊されているんですけど、ソレです。
たとえばタイトル『奥の細道』を「Road to OKU」にしているトコ。
これが「Road of OKU」じゃないってトコが日本語というか・やまとごころってヤツの表現がすごいなと。
たとえば「光」を表現するにも「beam」にするのか「gleam」なのか「shine」なのか?
この3つは光の風景が全く違うワケで・ソレをちゃんと訳してくれている。
そうした訳し方から「奥の細道」の情景がはっきりわかる、
ソレダケではなく講談社学術文庫『英文収録 おくのほそ道』はキーン先生の解説も載っているのでカナリ解りやすい。
この一冊からだけでもキーン先生の日本愛がナマハンカじゃないんだなってコトが伝わってきます。
「日本語と日本文学を正しく教えられる人が育ってほしい」
そんなふう仰っていたキーン先生はまた、日本の大学入試問題にも疑問を呈されていました。
たしかに・センター試験からして文学力を問うというよりクイズみたいになっちゃってるし、笑
そーゆー試験問題に自分も受験生当時おんなじ疑問を持ったので、そこらへんも親しみカンジます。
キーン先生は太平洋戦争のとき、日本兵の手紙をチェックする担当を務めたそうです。
そこに綴られている日本兵の想いに、当時ご自身も青年だったキーン先生は上官の命令に背いたのだとか。
本来は処理しなくてはいけなかった手紙たちを、密かに保管して隠していたそうです。
手紙を遺していった誰かの父親で息子で夫で恋人たち、その想いを宛先に届けたいと。
その手紙はキーン先生が任務中の隙に発見され、処分されてしまったそうです。
そのことを「今も心残りだ」と日本に帰化された時の講演でも話されていました。
太平洋戦争後、日本は敗戦国として様々な日本否定に曝されたんですけど、
そんな中でも日本文学を愛し日本を助けようとしてくれた学者サンもいました。
学問を通して救済と敬愛に平和を願おうとした研究者たち、その姿こそ学者の本分だと。
ノーベル博士の目指したコト鑑みても、ノーベル文学賞はそういう学者たちに贈られるべきだろー思います。
そんな一人だったキーン先生の死は、大先輩で恩人で恩師が消えた空虚感です。
そうしてまた、懐かしくなります。
撮影地:富士山×山中湖@山梨県山中湖村2013.10、八島湿原@長野県2018.8
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ヨレヨレの『百代の過客』が持つ光が強くなりました。
ここではない世界で生きて出会えない人々と出会い話に花が咲いていらっしゃればいいなあと思う今です。
勿論英語なんて分かりません。一緒に行った従妹とイヤホーンの日本語で。トホホ
日本と日本文学について熱く語られ、先生の人柄そのものを素敵だと思いました。
日本人になられた時も、「やつぱり」と感激しました。もっともっとお元気でいてほしかったです。有難うございましたの気持ちでいっぱいです。「英文収録おくのほそ道」買います。
自分が聴いたときはキーン先生も日本語でした、おかげで解りやすかったです、笑
自分もあのとき「ああ先生らしいなあ」と。
遠く及ばない後輩として日本人として、ただ感謝です。
ありのままに向きあう誠実は学者の大切な素質ですが、そのままのキーン先生だなと。
ただ感謝からご冥福を祈ります。