公然の秘密ってヤツですが、折口信夫はアカデミックハラスメントの推奨者でした。
折口信夫、歌人としての名前は釈超空。
日本民俗学を提唱した『遠野物語』編者、柳田國男の弟子としても知られています。
柳田圀男は官僚時代に見聞した山村の昔語りを再評価し、日本に民俗学という学問分野を開拓したんですけど、
「折口君のアレは困る、」
「折口君それは間違っている、」
そんな発言いくつも記録に残っています。
それほど問題なんども起こしては隠匿してきた折口信夫なんですけど、
「学問は肉体関係により正しく伝授される」
という阿呆な論拠で学生にセクシャルハラスメントしまくった事実が折口にはあります。
その被害者の学生たちは男です。
フィールドワーク=実地調査旅行の宿で無理強いしたり、
書生として世話すると経済的事情+学閥の立場につけこみ男妾にしていたんだとか。
その学生たちは望んで関係を結んだわけではありません、訴えたくても「やむをえず」口を閉ざされていました。
古来、日本は男同士の肉体関係は「有り」だった歴史があります。
友情や忠義を互いに確認しあう至高の愛情ともされ、古典文学にも残されています。
ですが明治時代の開国期、近代国家になる政策上の理由から同性愛はタブー視されていました。
なぜタブー視されたのか?
西洋諸国はキリスト教国、当時はキリスト教において「同性愛は神への冒涜」として認めない傾向にありました。
そうした西洋諸国に近代国家として認められる=西洋の思想に倣う必要がある、
という明治政府の方針に則り、同性愛をタブー視する政策が施されたワケです。
男同士の肉体関係は「鶏姦」と蔑視され、近代国家に相応しくない野蛮な風習とされました。
ようするに男同士の関係は「至高」から「堕落」へと、政策的に意識変換されていく時代でした。
学生はエリートを目指す存在です、
それが「堕落」の烙印を受ければエリート街道を外されるだけではなく、誹謗非難の対象となることでした。
当時の学生は今みたいなお気楽モラトリアムではありません、
故郷の代表として「末は博士か大臣か」と称えられ、いつか故郷に錦を飾るべく送りだされた責任がありました。
そうした学生が政府から禁じられた行為で「堕落」したら、故郷の家族親族みんなが苦しい立場となるワケです。
こうした事情が当時はありました、そのため折口の被害者たちは泣寝入りせざるを得なかったワケです。
また折口自身がワリとボンボンで庇護されるバックボーンがあったらしく、なおさら表沙汰になることなく「柳田の弟子」として顔がデカくなりました。
学閥上も法律上も学生の弱みにつけこむ+学問にこじつけ正当化する。
なんてことしていたのが折口という人の実像です。
こうした弟子を師の柳田國男は解っていて、なんども厳しい戒めをしてきたことは有名な話でもあります。
折口君のアレは困る、折口君それは間違っている、
そんな発言いくつも記録に残されているから有名なんですけど、
それほど問題なんども起こしては隠匿してきた、っていう黒歴史を遺した折口です。
そういう考え方する人間なので「論は師匠に準拠」たいした独創性もないけれど名前はヤタラ有名です。
民俗学でも歌壇でも師匠に随従している、だから引き上げられやすい・言ってしまえばスポークスの名人でした。
で、なんで折口の話なんか書いたのかというと、
笹井夫人の記事を読んだからです。
STAP細胞の研究不正と論文不正。
2014年~2015年にかけて世論を騒がせた事件ですけど、
2018年になった今、どれくらい憶えている方いますか?
STAP細胞の研究不正と論文不正、有能な研究者を何人も失墜させ、また自殺にも追いこんだ事件です。
その原因を作りだした本人は博士論文から不正があり、当然ながら博士号の剥奪奪処分を受けました。
本来なら公的研究資金を不正使用した罪や職務に対する背任罪など問われるところです。
ですが未だに罰せられることはなく、手記を出版して印税を儲けたりしています。
その手記に対して、事件で自殺された笹井博士の夫人が想いを吐露されています。
それを読んで「あー小保方っておばちゃんは折口信夫みたいなヤツなんだなあ」と思いました。
能力より自分をデカく見せることが得意、責任転嫁OK・大言壮語したほどの実力ないから責任とれない。
悲劇のヒロインに酔うことが人生の至高、自分は誰からも愛される存在だと思い込みたい。
っていうカンジなんですけど、妄想性障害の特徴だなあと。
こういう輩ってなぜか同類の崇拝者がいて、ソレでよけいに増長して悪化したりするんですよね。
そうやって考えると、本人「だけ」の責任とも言えないかもしれないけれど・責任を許せば同じ哀しい結果はナオサラ生まれるだけで。
で、思うんですよね、
柳田圀男が折口信夫を破門→文学界からも民俗学学会からも追いだしておけばよかったのに。
セクシャルハラスメント、アカデミックハラスメント、
どれも犯罪行為で、それを適正に罰さなかったというお手本があるから、次の勘違い=加害者が起きてくる。
なんでも初めが肝心と言うけれど、そういう意味で柳田圀男は有罪なんだろうな、と思う。
ついでに言えば『遠野物語』も柳田圀男は作者ではなくあくまで「編者」です。
あの伝説集はすべて、昔語りを記憶して繋いできた佐々木喜善はじめ、遠野郷の語り部たちが紡いだ作品です。
それを官僚インテリだった柳田が面白がって聴きまとめ、趣味として知人に配った冊子が『遠野物語』の初版でした。
あの『遠野物語』があったから日本の民俗学が生まれた、それは事実で柳田の功績です。
けれど語り部たちがいなければ柳田の名声もありませんでした、
多くの土台あってこそ、名声も学術も生まれたワケです。
名前も残らない、でも土台に多くの人生が存在している。
それはどんな学問でも、学問以外の全てに言えることだろうと。
そういう無名だった土台から声をあげたのが、今回の笹井夫人でもあるなと思います。
有数の研究者だった夫の土台になっていた女性、その夫がなぜ死ななくてはいけなかったのか?
その疑問に小保方氏は何ひとつ答えもせず、主観どっぷり悲劇ヒロインちっく手記で稼いでいる。
せめて、その印税を笹井博士の遺族はじめ・迷惑をかけた相手に慰謝料として払えばいいのに?
不祥事どころか日本の科学的信頼を失墜させた事件、
原因はどうあれ、その中核で責任をとるべき立場に小保方氏はいたワケで。
責任分だけ金も支払われ名誉も権限も与えられていた、その土台なっていた多くの人生に小保方氏は責任がある。
自殺された笹井博士も無責任とは言えません、
小保方氏みたいな人間に値しないポジションと権限を与えてしまった、その責任は大きいです。
その結果として日本という国家が培ってきた学問的信頼を失墜させた、そして日本人研究者全体に不信感が向けられた。
その責任は笹井博士にも当然あります、そうした責任を受けとめた結果として笹井博士は自殺に追いこまれてしまったのだろうと。
小保方氏に死ねとは思いません、生きて責任を償ってほしいとこです。
もっと言えば笹井博士こそ生きて、より素晴らしい研究成果をもって責任を償ってほしかったです。
研究で償うことは才能と努力を惜しまない学者にだけ可能な方法です、それを笹井博士は出来る可能性があったと思います。
逆に言えば小保方氏にソレは不可能だろうなと、
もし出来るなら事件から2年の間に何らかの論文を出しているだろうから。
あれだけ金も権限も与えられ研究するに相対する人間なら、出来るはずのことです。
そういうポジションの土台には多くの人生があり、その人生たちに負う責任を償う誠意が小保方氏には無いのだろうか?
無名に見える多くの人生、でも無名=無形ではなく不存在じゃない。
有形で存在しているからこそ土台になれる。
そういう土台と上物の関係は、家族社会学校どこにでもある。
たとえば今・大学受験をしている学生サンたちにも保護者や勉強を教えてくれた沢山の土台がある。
そういう自覚しっかり感謝で勉強つらぬいて・入学後にも怠けない人には、良縁の大学に道つけてもらえる。
そういう自覚×土台への感謝を失くしたとき、人は増上慢の虜になって、折口氏や小保方氏みたいに誰でもなる。
物理的に考えても・どんなに高い山も最高峰も、土台の麓が崩れたら美しい山頂も崩れてしまう。
感謝は悟りを得るはじめ、という言葉があるけれど・勘違い増上慢から救われる道だろうなと。
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折口信夫、歌人としての名前は釈超空。
日本民俗学を提唱した『遠野物語』編者、柳田國男の弟子としても知られています。
柳田圀男は官僚時代に見聞した山村の昔語りを再評価し、日本に民俗学という学問分野を開拓したんですけど、
「折口君のアレは困る、」
「折口君それは間違っている、」
そんな発言いくつも記録に残っています。
それほど問題なんども起こしては隠匿してきた折口信夫なんですけど、
「学問は肉体関係により正しく伝授される」
という阿呆な論拠で学生にセクシャルハラスメントしまくった事実が折口にはあります。
その被害者の学生たちは男です。
フィールドワーク=実地調査旅行の宿で無理強いしたり、
書生として世話すると経済的事情+学閥の立場につけこみ男妾にしていたんだとか。
その学生たちは望んで関係を結んだわけではありません、訴えたくても「やむをえず」口を閉ざされていました。
古来、日本は男同士の肉体関係は「有り」だった歴史があります。
友情や忠義を互いに確認しあう至高の愛情ともされ、古典文学にも残されています。
ですが明治時代の開国期、近代国家になる政策上の理由から同性愛はタブー視されていました。
なぜタブー視されたのか?
西洋諸国はキリスト教国、当時はキリスト教において「同性愛は神への冒涜」として認めない傾向にありました。
そうした西洋諸国に近代国家として認められる=西洋の思想に倣う必要がある、
という明治政府の方針に則り、同性愛をタブー視する政策が施されたワケです。
男同士の肉体関係は「鶏姦」と蔑視され、近代国家に相応しくない野蛮な風習とされました。
ようするに男同士の関係は「至高」から「堕落」へと、政策的に意識変換されていく時代でした。
学生はエリートを目指す存在です、
それが「堕落」の烙印を受ければエリート街道を外されるだけではなく、誹謗非難の対象となることでした。
当時の学生は今みたいなお気楽モラトリアムではありません、
故郷の代表として「末は博士か大臣か」と称えられ、いつか故郷に錦を飾るべく送りだされた責任がありました。
そうした学生が政府から禁じられた行為で「堕落」したら、故郷の家族親族みんなが苦しい立場となるワケです。
こうした事情が当時はありました、そのため折口の被害者たちは泣寝入りせざるを得なかったワケです。
また折口自身がワリとボンボンで庇護されるバックボーンがあったらしく、なおさら表沙汰になることなく「柳田の弟子」として顔がデカくなりました。
学閥上も法律上も学生の弱みにつけこむ+学問にこじつけ正当化する。
なんてことしていたのが折口という人の実像です。
こうした弟子を師の柳田國男は解っていて、なんども厳しい戒めをしてきたことは有名な話でもあります。
折口君のアレは困る、折口君それは間違っている、
そんな発言いくつも記録に残されているから有名なんですけど、
それほど問題なんども起こしては隠匿してきた、っていう黒歴史を遺した折口です。
そういう考え方する人間なので「論は師匠に準拠」たいした独創性もないけれど名前はヤタラ有名です。
民俗学でも歌壇でも師匠に随従している、だから引き上げられやすい・言ってしまえばスポークスの名人でした。
で、なんで折口の話なんか書いたのかというと、
笹井夫人の記事を読んだからです。
STAP細胞の研究不正と論文不正。
2014年~2015年にかけて世論を騒がせた事件ですけど、
2018年になった今、どれくらい憶えている方いますか?
STAP細胞の研究不正と論文不正、有能な研究者を何人も失墜させ、また自殺にも追いこんだ事件です。
その原因を作りだした本人は博士論文から不正があり、当然ながら博士号の剥奪奪処分を受けました。
本来なら公的研究資金を不正使用した罪や職務に対する背任罪など問われるところです。
ですが未だに罰せられることはなく、手記を出版して印税を儲けたりしています。
その手記に対して、事件で自殺された笹井博士の夫人が想いを吐露されています。
それを読んで「あー小保方っておばちゃんは折口信夫みたいなヤツなんだなあ」と思いました。
能力より自分をデカく見せることが得意、責任転嫁OK・大言壮語したほどの実力ないから責任とれない。
悲劇のヒロインに酔うことが人生の至高、自分は誰からも愛される存在だと思い込みたい。
っていうカンジなんですけど、妄想性障害の特徴だなあと。
こういう輩ってなぜか同類の崇拝者がいて、ソレでよけいに増長して悪化したりするんですよね。
そうやって考えると、本人「だけ」の責任とも言えないかもしれないけれど・責任を許せば同じ哀しい結果はナオサラ生まれるだけで。
で、思うんですよね、
柳田圀男が折口信夫を破門→文学界からも民俗学学会からも追いだしておけばよかったのに。
セクシャルハラスメント、アカデミックハラスメント、
どれも犯罪行為で、それを適正に罰さなかったというお手本があるから、次の勘違い=加害者が起きてくる。
なんでも初めが肝心と言うけれど、そういう意味で柳田圀男は有罪なんだろうな、と思う。
ついでに言えば『遠野物語』も柳田圀男は作者ではなくあくまで「編者」です。
あの伝説集はすべて、昔語りを記憶して繋いできた佐々木喜善はじめ、遠野郷の語り部たちが紡いだ作品です。
それを官僚インテリだった柳田が面白がって聴きまとめ、趣味として知人に配った冊子が『遠野物語』の初版でした。
あの『遠野物語』があったから日本の民俗学が生まれた、それは事実で柳田の功績です。
けれど語り部たちがいなければ柳田の名声もありませんでした、
多くの土台あってこそ、名声も学術も生まれたワケです。
名前も残らない、でも土台に多くの人生が存在している。
それはどんな学問でも、学問以外の全てに言えることだろうと。
そういう無名だった土台から声をあげたのが、今回の笹井夫人でもあるなと思います。
有数の研究者だった夫の土台になっていた女性、その夫がなぜ死ななくてはいけなかったのか?
その疑問に小保方氏は何ひとつ答えもせず、主観どっぷり悲劇ヒロインちっく手記で稼いでいる。
せめて、その印税を笹井博士の遺族はじめ・迷惑をかけた相手に慰謝料として払えばいいのに?
不祥事どころか日本の科学的信頼を失墜させた事件、
原因はどうあれ、その中核で責任をとるべき立場に小保方氏はいたワケで。
責任分だけ金も支払われ名誉も権限も与えられていた、その土台なっていた多くの人生に小保方氏は責任がある。
自殺された笹井博士も無責任とは言えません、
小保方氏みたいな人間に値しないポジションと権限を与えてしまった、その責任は大きいです。
その結果として日本という国家が培ってきた学問的信頼を失墜させた、そして日本人研究者全体に不信感が向けられた。
その責任は笹井博士にも当然あります、そうした責任を受けとめた結果として笹井博士は自殺に追いこまれてしまったのだろうと。
小保方氏に死ねとは思いません、生きて責任を償ってほしいとこです。
もっと言えば笹井博士こそ生きて、より素晴らしい研究成果をもって責任を償ってほしかったです。
研究で償うことは才能と努力を惜しまない学者にだけ可能な方法です、それを笹井博士は出来る可能性があったと思います。
逆に言えば小保方氏にソレは不可能だろうなと、
もし出来るなら事件から2年の間に何らかの論文を出しているだろうから。
あれだけ金も権限も与えられ研究するに相対する人間なら、出来るはずのことです。
そういうポジションの土台には多くの人生があり、その人生たちに負う責任を償う誠意が小保方氏には無いのだろうか?
無名に見える多くの人生、でも無名=無形ではなく不存在じゃない。
有形で存在しているからこそ土台になれる。
そういう土台と上物の関係は、家族社会学校どこにでもある。
たとえば今・大学受験をしている学生サンたちにも保護者や勉強を教えてくれた沢山の土台がある。
そういう自覚しっかり感謝で勉強つらぬいて・入学後にも怠けない人には、良縁の大学に道つけてもらえる。
そういう自覚×土台への感謝を失くしたとき、人は増上慢の虜になって、折口氏や小保方氏みたいに誰でもなる。
物理的に考えても・どんなに高い山も最高峰も、土台の麓が崩れたら美しい山頂も崩れてしまう。
感謝は悟りを得るはじめ、という言葉があるけれど・勘違い増上慢から救われる道だろうなと。
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