So was it when my life began 梯の軌跡
文学閑話:虹の人
先日、松谷みよ子さんが亡くなりました。
彼女は児童文学者として有名ですが、民話や伝承の研究でも著名な方です。
『龍の子太郎』
『ももちゃんとあかねちゃん』シリーズ
この二つが代表作と言われて多くの受賞もされています。
が、自分にとっては松谷さんの著作でインパクト強いのは、
『松谷みよ子のむかしむかし』全10巻
小学校の図書室に全巻あって一冊ずつ楽しみに読みました。
昔話から伝説をまとめた本ですが『古事記』『日本書紀』にある神話も載せられています。
また昔話は『御伽草子』など今は古典文学と言われる本が、人々のあいだに昔話として語り継がれたものです。
ようするに、同じ伝説などが原点になっているけれど、
貴族や武士、僧侶など知識階級により書籍化されたものが、古典文学作品として残り
噂話のように人々が口伝えで語り継いでいった口承文芸が、昔話として親しまれている
ってカンジですが、どちらが原典に近いか?というと、
口伝えは伝言ゲーム=物語が変化しやすい、なので昔話は変化してしまった物語になります。
たとえば一つ目小僧、
あれは『日本書紀』などの神話では天目一箇神アマノヒトツカノカミという鍛冶屋の神でした。
鍛冶屋は炉の炎を片目で見つめ続けます、そのために片目を痛めて隻眼=一つ目になることも少なくありませんでした。
また火を熾すフイゴを片脚で踏み続けるため脚が曲がってしまう=片脚だけが真直ぐなことも多かったと言われています。
そのため鍛冶を司る神である天目一箇神は、片目+片脚は折れ曲がったすがたで描かれます。
ようするに職業病が神格化されたような神です。
で、鍛冶屋は使う金属が採れる鉱山の傍に住むことも多かった。
そして一つ目小僧も山からやってくる妖怪+その姿も天目一箇神の変形バージョン、一つ目で一本足なワケです。
こういう原典&原点、神話と昔話にどんな関係があるのか?
っていうのを考えることになった最初が、自分には『松谷みよ子のむかしむかし』でした。
この本を読んで『古事記』『御伽草子』『今昔物語集』などに興味がでて古典文学全集を読み、大学にも行くことになったわけです。
物語が変化する、それはヒトの生活の反映です。
生活が変われば気分も変わる、その変化した気分=心が文章にも表れますよね?
それと同じことが古典×昔話でもあるわけです、貴族と庶民では生活も心のあり方も違うから物語も変わるってことになります。
そういう変化は今も作られてゆく小説にも当然のことあるわけです。
たとえば同じ医者の話でも、200年前なら薬草学がメインですが今なら外科手術が多かったりする。
200年前と現在では医者の社会的地位も全く違います、そういう時代の違いが物語にも現れてくるわけです。
なんていうことを学んだから今、ここで自分は小説を書いています。
こういう今の自分の原点は『松谷みよ子のむかしむかし』だから自分にとって彼女は梯になってくれた人です。
My heart leaps up when I behold A rainbow in the sky :
So was it when my life began,
So is it now I am a man
So be it when I shall grow old Or let me die!
The Child is father of the Man :
And I could wish my days to be Bound each to each by natural piety.
私の心は弾む 空わたす虹を見るとき
私の幼い頃も そうだった
大人の今も そうである
年経て老いた時もそうありたい、さもなくば終焉に発とう
子供は大人の父であり、
そして願えるのなら私の生きる日々は 自然への畏敬に充ちゆく涯と結びたい
William Wordsworth『The Rainbow』
ワーズワースの代表作として知られている詩ですが、松谷さんの本と出逢うたび同じことを想います。
彼女は伝承文学の研究書も多く出しているので学生時代も読んだし、今でも学術文庫版で買ったりするわけです。
そんな時いつも小学校の図書室にならんでいた『松谷みよ子のむかしむかし』が懐かしくて、いわゆる初心になれます。
こんなふうに本を通して学ばせてもらう方はたくさんいて、
その方達がひとりずつ亡くなっていくことは寂しいもんです、が、この寂しさも幸福なのかもそしれません。
こんなふうに感謝と尊敬をむけられる人がいてくれることは何か温かくて楽しいです、それだけに惜しまれます。
第73回 昔書いたブログも読んで欲しいブログトーナメント
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文学閑話:虹の人
先日、松谷みよ子さんが亡くなりました。
彼女は児童文学者として有名ですが、民話や伝承の研究でも著名な方です。
『龍の子太郎』
『ももちゃんとあかねちゃん』シリーズ
この二つが代表作と言われて多くの受賞もされています。
が、自分にとっては松谷さんの著作でインパクト強いのは、
『松谷みよ子のむかしむかし』全10巻
小学校の図書室に全巻あって一冊ずつ楽しみに読みました。
昔話から伝説をまとめた本ですが『古事記』『日本書紀』にある神話も載せられています。
また昔話は『御伽草子』など今は古典文学と言われる本が、人々のあいだに昔話として語り継がれたものです。
ようするに、同じ伝説などが原点になっているけれど、
貴族や武士、僧侶など知識階級により書籍化されたものが、古典文学作品として残り
噂話のように人々が口伝えで語り継いでいった口承文芸が、昔話として親しまれている
ってカンジですが、どちらが原典に近いか?というと、
口伝えは伝言ゲーム=物語が変化しやすい、なので昔話は変化してしまった物語になります。
たとえば一つ目小僧、
あれは『日本書紀』などの神話では天目一箇神アマノヒトツカノカミという鍛冶屋の神でした。
鍛冶屋は炉の炎を片目で見つめ続けます、そのために片目を痛めて隻眼=一つ目になることも少なくありませんでした。
また火を熾すフイゴを片脚で踏み続けるため脚が曲がってしまう=片脚だけが真直ぐなことも多かったと言われています。
そのため鍛冶を司る神である天目一箇神は、片目+片脚は折れ曲がったすがたで描かれます。
ようするに職業病が神格化されたような神です。
で、鍛冶屋は使う金属が採れる鉱山の傍に住むことも多かった。
そして一つ目小僧も山からやってくる妖怪+その姿も天目一箇神の変形バージョン、一つ目で一本足なワケです。
こういう原典&原点、神話と昔話にどんな関係があるのか?
っていうのを考えることになった最初が、自分には『松谷みよ子のむかしむかし』でした。
この本を読んで『古事記』『御伽草子』『今昔物語集』などに興味がでて古典文学全集を読み、大学にも行くことになったわけです。
物語が変化する、それはヒトの生活の反映です。
生活が変われば気分も変わる、その変化した気分=心が文章にも表れますよね?
それと同じことが古典×昔話でもあるわけです、貴族と庶民では生活も心のあり方も違うから物語も変わるってことになります。
そういう変化は今も作られてゆく小説にも当然のことあるわけです。
たとえば同じ医者の話でも、200年前なら薬草学がメインですが今なら外科手術が多かったりする。
200年前と現在では医者の社会的地位も全く違います、そういう時代の違いが物語にも現れてくるわけです。
なんていうことを学んだから今、ここで自分は小説を書いています。
こういう今の自分の原点は『松谷みよ子のむかしむかし』だから自分にとって彼女は梯になってくれた人です。
My heart leaps up when I behold A rainbow in the sky :
So was it when my life began,
So is it now I am a man
So be it when I shall grow old Or let me die!
The Child is father of the Man :
And I could wish my days to be Bound each to each by natural piety.
私の心は弾む 空わたす虹を見るとき
私の幼い頃も そうだった
大人の今も そうである
年経て老いた時もそうありたい、さもなくば終焉に発とう
子供は大人の父であり、
そして願えるのなら私の生きる日々は 自然への畏敬に充ちゆく涯と結びたい
William Wordsworth『The Rainbow』
ワーズワースの代表作として知られている詩ですが、松谷さんの本と出逢うたび同じことを想います。
彼女は伝承文学の研究書も多く出しているので学生時代も読んだし、今でも学術文庫版で買ったりするわけです。
そんな時いつも小学校の図書室にならんでいた『松谷みよ子のむかしむかし』が懐かしくて、いわゆる初心になれます。
こんなふうに本を通して学ばせてもらう方はたくさんいて、
その方達がひとりずつ亡くなっていくことは寂しいもんです、が、この寂しさも幸福なのかもそしれません。
こんなふうに感謝と尊敬をむけられる人がいてくれることは何か温かくて楽しいです、それだけに惜しまれます。
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