萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第56話 潮汐act.5―another,side story「陽はまた昇る」

2012-10-03 22:14:10 | 陽はまた昇るanother,side story
所縁、潮騒にかさねて



第56話 潮汐act.5―another,side story「陽はまた昇る」

オレンジの香が手元から瑞々しい。

薄くスライスしていく刃元から、柑橘の芳香さわやかに甘く昇らす。
その向こう手馴れた白い手は卵を泡立てていく、その手並み鮮やかで見惚れてしまう。
バターに砂糖、チョコレート、かすかなコアントローとグランマニエの芳香、様々に香あまいキッチンは幸せになる。

「周太さん、オレンジをスライスしたら、このお砂糖をまぶしてくださいね、」

穏やかなアルトヴォイスが微笑んで、ブルーの砂糖壺を置いてくれる。
皺の刻まれた白い手は優しい、嬉しくて周太は青紫の瞳に笑いかけた。

「はい…菫さん、厚みは、これ位で大丈夫ですか?」
「ええ、ちょうど良いです。とても上手ですね?全部きちんと同じ幅で、カット面もきれいで、」

穏やかな笑顔で褒めながら、菫はココア色の生地にメレンゲを混ぜ込み始めた。
こういう時間は懐かしさが優しい、本当はこんな時間が好き、そんな自覚は幸せが温かい。
けれど、こういう時間は減っていく、その現実は今朝もう「異動」という貌で告げられた。
この現実が冷たく心を撫でて、周太は小さく呼吸した。

…もう泣かない、人前では

心に勇気ひとつ見つめて、窓の外に目を向け微笑んだ。
ガラスの向こう広がる青い海と空まばゆい、テラスに木洩陽きらめいて潮風ゆれる。
ほら、世界はこんなに美しくて明るい。ふわり光景に寛いだ足元を、やわらかなノックがふれた。

「あ、海?…来てくれたんだ、」

笑いかけた膝の隣、キャメルの尻尾を振ってくれる。
見上げる黒い瞳は「だいじょうぶ?」と訊いてくれているみたい?
もしかして今、すこしだけ落ちこんだのを気づいてくれたのかな?嬉しくて微笑んだ周太に、低く美しい声が笑いかけた。

「周太くん、とっても上手ね?お家でもお台所、よくするの?」

声に顔をあげると、涼やかな切長い目が快活に笑ってくれる。
どこか懐かしい目が嬉しくて、素直に周太は微笑んだ。

「はい、父が亡くなってから僕が家の事してて…あ、」

まだ父の事は、英二の祖母には話していなかった。
それとも英二がもう話しているだろうか?すこし申し訳ない気持ちになりかけると、顕子は笑ってくれた。

「英二から聴いたわ、周太くんのお母さんが羨ましくなるわね?でも、今こうしてケーキを手伝ってくれて、嬉しいわ」
「なんか恥ずかしいですね…でも、ありがとうございます、」

気恥ずかしさに羞みながら、ほっと周太は微笑んだ。
やっぱり英二が幾らか話してくれていた、そう思うと気が楽になって訊きたかった事に口を開いた。

「ここ、良い街ですね。ずっと住んでいるんですか?」
「6年前までずっと世田谷に居たわ、英二の実家の近所よ。主人が亡くなって、ここに移って来たの、」

気さくに答えてくれながら、顕子は生クリームをボールにあけた。
泡だて器を慣れたふう動かしだす、軽やかな音がリズミカルにキッチンへ響きだした。

カシャ、カシャ、カシャ

音に空気がクリームをふくらませ、なめらかになっていく。
とても上手な手並みを見つめながら、オレンジをボールに移すと周太は訊いてみた。

「あの、湯原斗貴子という人を知りませんか?…旧姓は榊原で世田谷に居たはずなんです、北斗七星の斗に貴いって書く斗貴子です」

問いかけに涼やかな睫があげられて、切長い目が周太を見た。
穏やかな眼差し見つめてくれる、その温もりに誘われるよう周太は言葉を続けた。

「僕の祖母なんです、でも祖母のことを何も知らないんです。だから、もし少しでも知っていたら、お話を聴かせてくれませんか?」

少しでもいい、家族の事を知りたい。
自分の血縁はもう母しか生きていない、この二人きりが本当は寂しくて。
だから家族の事を知りたい、たとえ亡くなっている家族でも、その温もりを辿りたい。
どうか想い出の欠片を分けてほしい。そんな願いに見つめた、父そっくりの切長い目は温かに微笑んだ。

「斗貴子さんね、知ってるわ。高校までずっと一緒だったもの、私の2つ先輩よ、」

…知っている人に会えた、

ことん、心に温もりふれて瞳の奥が熱くなる。
ゆっくり睫ひとつ瞬いて、周太は明るく微笑んだ。

「よかった…あの、祖母がお世話になりました、」

知っている人なら、何かお世話になったかもしれない?
そんな想いに頭下げた周太に、顕子は可笑しそうに笑ってくれた。

「逆よ?私が斗貴子さんに、うんとお世話になったのよ。2つ上の斗貴子さんは、とても良いお姉さまだったわ。綺麗で頭も良くって、」

楽しげに切長い目が笑って、泡だて器がリズミカルに動いていく。
その前で周太もオレンジに砂糖をまぶしながら、低く美しい声に耳傾けた。

「斗貴子さんはね、小さい頃から勉強家で優秀で、でも謙虚だったわ。優しい穏やかな人でね、ゆったりした話し方が和やかで。
植物が大好きで、子どもの頃から家庭菜園を作ったりしていたのよ?お菓子作りも上手でね、手を動かす事が好きな、可憐な人でした、」

…なんだか、お父さんと似ているな?

想う感想が温かい、嬉しくて微笑んだ周太を切長い目が笑いかけてくれる。
そして周太の顔を見ながら、低く美しい声は教えてくれた。

「斗貴子さん、本が大好きだったの。外国の文学も詳しくてね、それで東京大学の仏文学科に進学したのよ、」
「…え、」

驚いて周太は手を止めた。
当時、女性で大学進学者はとても少ない。しかも東京大学なら尚のこと稀になる。
そんなに優秀な女性が自分の祖母?そんな想い見つめる向かいから、父そっくりの目は楽しげに微笑んだ。

「周太くんも優秀だって、英二と英理から聴いてるわ。大学も警察学校も首席でしょう?さすが斗貴子さんの孫ね、やっぱり似てるわ、」

そんなこと言われると気恥ずかしい。
けれど最後に言ってくれた言葉が温かで、羞みながら周太は訊いてみた。

「あの、僕はそうでもないんです、がり勉なだけで…でも僕、祖母と似ているんですか?」
「ええ、よく似ているわ、」

優しい眼差し微笑んで、ボールに鳴る音が止まる。
なめらかな白いクリームがボールに充ちて、泡だて器から長い指はクリームを掬うと口にして微笑んだ。

「うん、おいしいかな。周太くんも良かったらどうぞ、」
「はい、」

素直に頷いて、指にクリームを掬いとると味見した。
とろりミルクがひろがりバニラの香が優しく甘い、嬉しくて周太は微笑んだ。

「ん、いい香…おいしいです、」
「ほら、その話し方のトーン、そっくりね?」

楽しそうに涼やかな切長い目が笑ってくれる。
その笑顔が嬉しくて微笑んだ周太に、顕子は話してくれた。

「周太くん、おでこが広めでしょう?それから眉が凛々しくて、やわらかい髪はすこし癖っ毛ね?きめ細かい肌は透明で。
いま言ったところは全部、斗貴子さんとそっくりよ。それから植物が好きで、お料理が上手なところもね。勉強も好きなのでしょう?」

そんなに似てるところ、たくさんあるの?

心のつぶやきに胸が温められて、込みあげそうになる。
それでも呼吸ひとつに納めこんで、嬉しいまま周太は綺麗に笑って答えた。

「はい…植物の勉強は好きです、それで今、東大の聴講生もしているんです…土曜日だけですけど、」
「あら、斗貴子さんと同じ学校なのね、後輩だわ、」

低く美しい声が笑ってくれる、その眼差しに俤を見つめてしまう。
父とそっくりの目が祖母の事を話してくれる、それが不思議で嬉しくて、周太はもう1つ訊いてみた。

「あの、祖父のこともご存知ですか?湯原晉っていうんです、『すすむ』は普通の普に似ている、片仮名のム2つの古い字です」

祖父の事を、自分なりに調べてきた。
名前で検索をしたら5人、該当しそうな人がいた。そして除籍謄本の死亡地から1人に絞った。
そうして探したフランス語の著書に記された、本人直筆のサインは父と同じ万年筆のインクと、父と似た筆跡だった。

…Yuharaのスペルがそっくりだった、書斎と同じブルーブラックで書いてあって

東大の図書館で見た、古典ブルーブラックの筆跡。
あの筆跡に見つめた確信は正解だろうか?そう見つめる前から低く美しい声は答えてくれた。

「もちろんよ、東大の仏文科の教授をされていたわ、」

東京大学仏文学科教授 湯原晉博士 

あの立派なひとが、あの小説を書いた人が祖父?
あのブルーブラックは祖父が書いた筆跡だった?

「…パリ第三大学の先生もしていたんですよね?ソルボンヌ・ヌヴェールに留学して、」
「ええ、そうよ。パリ大でも名誉教授よね、晉さん。東大で開いた研究室は、人気が高かったみたいよ?留学生も多く来て、」

さらり答えて指に生クリームを掬うと、顕子は微笑んだ。
また口にしながら周太にも勧めて、彼女は口を開いてくれた。

「斗貴子さんは彼の研究室に入って、恋に墜ちたのよ。年の差が15歳あったけれど、とても素敵な恋愛結婚だったわ、」
「あ…先生と教え子だったんですか、」

…学問で、出逢ったんだ

すこし驚いて聴いた声に、かすかな潮騒が重なる。
キッチンの向こうリビングを風は通りぬけ、開かれたテラスの窓から潮騒は響く。
祖父と祖母の出逢いは学問の最高峰だった、そんな想いと波の音に佇んだ前、顕子は楽しげに笑ってくれた。

「そうよ、学問で結ばれた恋ね?菫さん、今の聴いたでしょう?」
「はい、」

優しいアルトヴォイスが微笑んでくれる。
周太の掌からオレンジのボール受けとりながら、青紫の瞳は温かに微笑んだ。

「周太さんは、馨さんの息子だったのですね?だから初対面だと思えなかったのかしら、」
「菫さん、父を知っているんですか?」

息を呑む想いに見つめた瞳は、優しく笑ってくれる。
そして穏やかな声は、楽しい種明かしのよう教えてくれた。

「一度お会いしています。このケーキは馨さんも食べたんですよ?さっきのsconeもです、今と同じように私と一緒に作ってね」

…おなじ、

ぽつんと心こぼれた単語に、ゆっくり融けだすものがある。
父もこうして菫とケーキを作った、そんなふうに親しく父は宮田家に行っていた?
そう気がついた意識に何か、もどかしいまま引っ掛るものがある。けれど出てこない。

…なんだろう、もう少しで解りそうなのに

「さっき周太さん、sconeを『スコン』と発音しましたね?日本の方は『スコーン』と伸ばす方が多いのに、」

アルトヴォイスの声に意識もどされ、周太は青紫の瞳を見た。
見つめた先で菫は白い手を動かして、チョコレート豊かな生地を焼型に満たし微笑んだ。

「sandwichも『サンウィッチ』とd音が小さいでしょう?散歩中もWordsworthの詩を話しましたけれど、cut glassの発音でした。
今はイギリス人でもReceived Pronunciationを話す人は少ないです、だからcut glassに驚いたのですが、馨さんの息子なら納得です」

言われた通り、周太の英語発音の癖は日本人では珍しい。
これは小さい頃に父から教わったまま定着していて、中学校の授業で指摘されて珍しいと初めて気がついた。

…だから英二が『Wordsworth』を同じ発音で読んでくれて、うれしかったな

なぜ英二が同じ発音なのか?それは菫が理由だろう。
そんな予想と一緒に周太は尋ねてみた。

「僕の英語、父に教わったんです…あの、英二の英語は菫さんが教えたんですか?」
「はい、そうです。英理さんも、それから啓輔さんにもね。馨さんにも一度だけ教えました、」

楽しげなアルトヴォイスの答えに、周太は軽く首を傾げこんだ。

「けいすけさん?」
「啓輔は、英二と英理の父親ですよ。菫さんはガヴァネスでもあるので、勉強もみてくれたの。今は私のレディ・コンパニオンね、」

低く美しい声で答えて、顕子はエプロンを外した。
ブルーの生地を軽く畳みながら周太を見、涼やかな切長い目は教えてくれた。

「晉さん、とても綺麗なRPだったのよ。それを教わって馨くんはイギリスに行ったから、発音が磨かれたのでしょうね?」
「お父さん、イギリスに行っていたんですか?」

意外な事実に、周太は訊き返した。
でも思いだせば湯原晉博士の経歴に、オックスフォード大学に招聘された時期がある。

「そうよ、晉さんオックスフォード大学に招かれてね、4年間むこうで暮らしたの。それで馨くんも一緒にイギリスに行ったのよ。
斗貴子さんが亡くなって四十九日が済んでから、渡英したの。その前に一度だけうちに遊びに来てくれてね、啓輔とも会っているのよ」

思っていた通りの回答に、気がつかなかった所縁が知らされる。
英二の父親と自分の父には面識があった、その50年近く昔の事実に周太は訊いてみた。

「そのころ父は7歳くらいですよね?…英二のお父さんも、それくらいですか?」
「啓輔の方が2つ上よ、でも啓輔は覚えていないと思うわ。周太くんの家に行った時も気付かなかったようだし、ごめんなさいね、」

周太の聴きたかったことを答えて、顕子は謝ってくれた。
こんなふうに言わなくても気付く所も、英二と顕子は似ている。
この祖母と孫の近似と二人の切長い目がノックして、静かに答の扉が開きかける。けれど周太はただ微笑んだ。

「いいえ、おふたりに沢山聴かせて貰っていますから…あの、父は祖父と祖母、どちらに似ていますか?…家には写真も無くて」

この質問の解答次第では、今、開きかけの扉から答が現われる。
その予兆と見つめた涼やかな切長い目は、温かな眼差しに笑いかけてくれた。

「斗貴子さんに似ていたわ、話し方とかもね、」

…やっぱり、

ことん、心に納得が墜ちた。
この納得に、ここに連れて来てくれた英二の意図が解かる。
けれど疑問もある、もし納得の通りなら、なぜ顕子も英二も「答」を言わないのだろう?

「さ、私はテラスの怠け者をちょっと見てくるわ。よく眠っちゃってるみたいだしね、」

低く美しい声に意識もどされて、周太はひとつ瞬いた。
瞬いてみた視界の向こう、涼やかな切長い眼差しは温かい。

…お父さんと同じ、この目が好き…この人はきっと、心から信じられる

見つめた眼差しに響く想いに、そっと信頼を積み上げる。
この女性とその孫が「答を言わない」には理由がある、それは周太の為を思っている。
だから秘密を探る必要もない、信じられると決めた相手なら信じていればいい。その想いへと周太は綺麗に笑いかけた。

「英二、昨日は忙しかったのに、今朝も早かったから…ケーキ焼けたら呼びに行きますね、」
「ええ、お願いね?あとね、周太くんに、もうひとつお願いしていいかしら?」

すこし、おどけたよう涼やかな切長の目が笑いかけてくれる。
なんだろうな?そう小首傾げた周太に、低く美しい声は温かく微笑んだ。

「私のこと、おばあさま、って呼んでくれる?」

…そんな優しいお願い、してくれるの?

優しい声の提案に、瞳の奥を熱が撫でた。
ゆっくり瞬いて熱を納める、その向こうで涼やかな切長い目は綺麗に微笑んだ。

「私ね、周太くんみたいに素直で可愛い子がほしかったの。英二の婚約者なら本当に孫になるわけだし、そう呼んで?」

そう呼んでみたい。だって自分こそ本当は、祖母という人を呼んでみたいから。

学校の友人達が話す「お祖母さん」の話は幸せそうで、けれど自分に祖母はいなかった。
だから今日も祖母を知りたくて、すこしで良いから祖母の想い出を分けてほしくて、ここに来た。
自分のものでは無い想い出、それでも誰かに「うちのお祖母さんはこんな人、」と話せる幸せが欲しかった。
この聡明な老婦人を祖母と呼べたら、きっと嬉しい。けれど自分の立場をわきまえている、その自覚に周太は問いかけた。

「よろしいんですか?…あの、僕が英二さんの婚約者で…男が英二さんの妻になっても、本当によろしいんですか?」

この上品な老婦人たちに英二の背景を想う、本当なら釣合う女性を花嫁に願って当然の家だと解かる。
英二の母に自分は否定されて当たり前、その自覚が尚更に自責となって傷んでしまう。
だから今ふたりに聴いてほしい、同性婚の現実に向き合って後悔のないようしてほしい。
その覚悟へと呼吸ひとつして、周太は口を開いた。

「おふたりは英二さんの子供に会いたいですよね…でも、僕では子供を産めません、男の僕には叶えられないんです。
男同士だと今の日本では、法律上も正式な結婚は出来なくて養子の形になります。だから戸籍にも同性愛者がいると残ります。
偏見も沢山あります、差別されて職場で居ずらい話もあるそうです。だから英二さんの出世にも僕は邪魔になるかもしれません。
これが僕が英二さんと一緒にいることの現実で、リスクです。それでも…本当に僕が英二さんと結婚しても、よろしいんですか?」

この聡明な女性と優しい青紫の瞳もつ人。
この優しい人たちに後悔してほしくない、苦しんで欲しくない。
この願いに見つめた周太へと、英二の祖母は率直に言ってくれた。

「英二をマトモに出来たのは周太くんだけよ?周太くんだから良いの、あの子のお嫁さんになってあげて?そして私の孫になって頂戴、」

うれしい、

唯うれしくて、幸せが温かい。
その温もり浸されて瞳の底から熱が迫り上げてしまう。
もう泣かないようにと想った、けれど幸福の涙はあふれて、ゆっくり頬ひとすじ伝って笑顔こぼれた。

「はい、ありがとうございます…おばあさま?」

呼びかけた向こう、涼やかな切長い目が幸せに微笑んだ。
ミントグリーンきれいなシャツの腕が伸ばされて、肩が包まれていく。
優しい香ふわり頬撫でて、低く美しい声が心から嬉しそうに笑ってくれた。

「そうよ、おばあさまですよ?私が周太くんの、おばあさまです、」

やわらかなトーンが微笑んで、見つめてくれる。
ゆるやかに抱かれた温もり嬉しくて、さっきの想いは正しいと確信が温かい。
この信頼と温もりに綺麗に笑いかけた周太に、顕子は楽しげに言ってくれた。

「ほんと可愛いわ、素直で上品で、きれいで。斗貴子さんそっくりね?でも目が違うかな、」
「目は、母とそっくりと言われます…あの、でも僕、あまりきれいじゃなくてすみません」

嬉しいと気恥ずかしいが一緒になって、首筋から熱が昇りだす。
こんなこと今までにないこと、すこし途惑ってしまう。

「あら、きれいよ?他でも言われるでしょう、透明な肌の感じも、やわらかい髪も瞳も、とってもきれいよ?ねえ、菫さん?」
「はい、周太さんは綺麗ですよ、Flidaisだもの、」

ふたりの老婦人に言われる言葉に、頬まで熱くなりだした。
きっともう真赤だろう、こんなの困ってしまう?けれど顕子のストレートな褒め方は馴染みを想わせる。
それが何だか可笑しくて笑ってしまう、思ったまま正直に周太は口にした。

「あの、おばあさまと英二は、似ていますね?…ストレートな感じが」
「でしょう?あの子はね、意外と私と似ているんですよ。ちょっとワルなとこもね、」

顕子も可笑しそうに笑って、そっと周太を抱きしめてくれる。
そして涼やかな切長い目でじっと見つめて、綺麗な笑顔が懐かしく切なくほころんだ。

「周太くん、馨くんとも似ているわ。眉と、話し方と、口許と。でも馨くん、亡くなったのね?」

涼やかな切長い目に、ゆっくり水が紗をかける。
ゆるやかに水の紗はひとすじ煌めいて、白皙の頬を伝いおち想いがこぼれた。

「ごめんなさいね、何も知らなくて。斗貴子さんのご両親、馨くん達がイギリスに居る間に亡くなったの。それで音信不通になって。
だから馨くんのことも7歳までしか知らないの、亡くなったのも今、英二に聴いたのよ。何も知らなくて、何もしないで、ごめんなさい」

父そっくりの目から涙ひとすじ零れていく。
唯ひとすじ頬に軌跡えがく涙、その煌めき見つめる想いに、顕子は言ってくれた。

「何もしてあげられなくて、ごめんなさい。何も出来なくて、ごめんね…ごめんなさい、」

静かに涙ながしながら、ミントグリーンのシャツが周太を抱きしめる。
この温もりに、さっき想った確信と信頼が温められて、周太の瞳から涙ひとつだけこぼれた。

「ありがとうございます…おばあさま?だいじょうぶです、だから泣かないで?」

切長い目に笑いかけて、そっと指で白皙の頬を拭う。
優しい涙は指ふれて、父と同じ目は綺麗に微笑んだ。

「ありがとう、周太くん。こういうとこもそっくりね?…馨くんもこうして、私の涙を拭いてくれたわ、」

懐かしげで切なくて、けれど愛しげな眼差しが周太を見つめてくれる。
そっと白い指が周太の涙も拭って、顕子は綺麗に笑いかけてくれた。

「本当に可愛い孫だわ、大好きよ?ずっと仲良くしてね、周太くん、」

低く美しい声の言葉が素直に嬉しい。
うれしくて周太は正直な想いのまま、綺麗に笑いかけた。

「はい、仲よくしてください…僕も、おばあさまが大好きです」
「うれしわ、私たち、相思相愛の祖母と孫ね?」

楽しげに笑って、優しく抱きしめてくれる。
そして腕をほどくと踵を返し、顕子はリビングを通ってテラスの方に歩いて行った。

「くん、」

優しい鼻の音に気がついて、周太は膝元を見た。
キャメルの尻尾をふって黒い瞳が見上げてくれる、その目の言葉に微笑んで菫に笑いかけた。

「あの、菫さん、泡だて器のクリーム、すこし海にあげても良いですか?」

笑いかけた先、青紫の瞳は雫を宿し微笑んでいた。
その瞳が朝露ふくんだ花のようで、綺麗で見惚れた周太へと優しい笑顔はほころんだ。

「もちろん。お砂糖すこしだから、大丈夫ですよ、」

アルトヴォイスの声に微笑んで、周太は泡だて器のクリームを掌に載せた。
片膝ついてキャメルの犬と向き合うと、行儀よく座ってお手をしてくれる。
その手を軽く握って周太は、つぶらな瞳へと囁いた。

「…ありがとう、海?これは嬉しい涙だから、大丈夫なんだ…」
「くん、」

優しい鼻音に答えて海は、そっと周太の頬を舐めてくれた。
それに微笑んでクリームの掌を差し出すと、黒い瞳は嬉しそうに周太を見、鼻面を掌に向けた。



ほろ苦くあまい香がキッチンに充ちて、周太はレシピのメモから顔をあげた。
その隣で白い働き者の手は万年筆を奔らせ、最後のスペルにピリオドを打つ。

「はい、こっちがsconeのレシピです。昔、馨さんにあげたのと同じですよ、」
「ありがとうございます、」

嬉しくて周太はメモに微笑んだ。
昔、父が作ったのものと同じ菓子を、これで母に食べさせてあげられる。
きっと喜んでくれるだろうな?そんな想像とメモを畳んで、貰った封筒に納めた。

「周太さん、ケーキが焼けました。英二さんと顕子さんに声をかけて貰えますか?」
「はい…あの、カップとかを運んでもいいですか?」

封筒を持って立ち上がりながら尋ねてみる。
もうセッティングしたトレイを渡してくれながら、アルトヴォイスは楽しげに微笑んだ。

「お願い出来ますか?あと、テラスでゆっくりしてきて良いですよ。空中庭園で、英二さんと話したいでしょう?」

嬉しい提案に、首筋から熱が昇りだす。
気恥ずかしくて、けれど素直に周太は微笑んだ。

「はい…ありがとうございます。海、ちょっと行ってくるね?」

青紫の瞳と黒いつぶらな瞳に笑いかけて、トレイを携えるとリビングに入った。
午前中と同じようテーブルセッティングを済ませると、片隅に置いた自分の鞄に封筒を仕舞いこむ。
それからテラスの窓を開いて、ふわり潮風に髪ゆらせながら木蔭のふたりに笑いかけた。

「英二、おばあさま…ケーキが出来ました、焼きたてを召し上がりませんか?」

声に、切長い目がこちらに笑いかけてくれる。
その眼差しが懐かしい俤に重なってしまう、そして確信と信頼がまた、ゆっくり心を温める。

…きっと、そう…どういう繋がりか解らないけれど、でも、たぶん

祈り見つめる頬を潮風は撫で、遠く潮騒が響いた。





(to be continued)

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