萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第86話 花残 act.21 side story「陽はまた昇る」

2021-07-28 22:11:15 | 陽はまた昇るside story
君の声、隣で 
英二24歳4月


第86話 花残 act.21 side story「陽はまた昇る」

桜が匂う、風昏くなるくせ甘い。
それから君の声。

「…英二、」

薄暮やわらかな声が呼ぶ、君の声。
すこし固いけれど穏やかで、ただ懐かしく英二は見た。

「なに?周太、」

応えて振りむいた真中、黒目がちの瞳が澄む。
まっすぐ見つめて逸らさない、この眼差しに自分は救われた。
ただ「自分」を見てくれるから。

「どうした、周太?」

呼びかけて唇が熱い、君の名前だ。
あの雪嶺あの現場、雪崩の瞬間ごと君を抱きしめた。
あの時もう一つの手もと掴んだハーケン、そこに古木の命を見た。

―ブナの芽だったな、あの大木は、

立て籠もり犯を狙撃する、その現場は雪崩の巣窟だった。
だから雪崩に流されない楔が欲しくて、古びた切株にハーケン撃ちこんだ。
そうして発射の衝撃に崩壊する雪面、呑まれる瞬間に見た手元の芽。

“ああ生きているんだ”

渾身に掴んだハーケンの手もと、小さな萌黄色は生きていた。
あの切株はまだ生きて根を張って、だから自分も周太も今ここにいる。

「英二、」

ほら君が呼ぶ、生きた声が。
今このとき呼んでくれる、その瞳が英二に告げた。

「英二…けんか、しよう?」

君がそんなこと言うんだ?

「ケンカって、言った?周太?」

つい訊き返してしまう、意外で。
けれど懐かしい言葉ひとつ、君が微笑んだ。

「ん…けんかしよう、英二?」

微笑んでくれる言葉が記憶にふれる。
こんなこと、君は憶えているのだろうか?
あの夜、怒鳴りあってしまった警察学校の夜。

『俺は絶対に警察官にならなきゃいけない理由があるんだ』

君が叫んだ、あれは慟哭だったと今なら解る。
あの夜ぶつかりあった聲、それから生まれた二人の時間、それから。

「ケンカするって周太、本音で話をしようって意味で言ってる?」

笑いかけて懐かしい、喧嘩に生まれた時間たち。
そして本音で話すことを知って、君の隣が心地良いと知って、それから。

「そう、本音で…僕ずっと英二に言いたかったんだ、ちゃんと、けんかしよう?」

見あげてくれる穏やかな静かな声、その黒髪やわらかに花が降る。
あわい紅色そっと音もない、薄墨ひそやかな樹影に微笑んだ。

「ケンカしたいんだ、周太?」
「ん、ちゃんと話して聴きたい、」

肯いて見あげてくれる瞳、黒目がち澄んで自分を映す。
あの夜も見つめてくれた、あの言葉まだ忘れられない。

『望まなくても、俺とお前はパートナ―なんだから』

警察学校の課題のパートナー、それだけの意味。
それでも鼓動そっと敲かれたのは自分。

「聴きたいって、俺のことを?」

ほら?訊き返して鼓動ふるえる、忘れられない。
ケンカして、謝って、勉強の夜を共に過ごしてくれた君。

「ん、英二のこと聴かせて?」

あの夜のまま瞳まっすぐ見つめてくれる。
あの翌朝、ノート広げたまま目覚めたベッドでも見つめた瞳。
この眼差しずっと見たいと願って、隣が心地いいと知って、それから、

「俺も聴きたいよ、周太…これからのこと、」

それから、この初恋。

※校正中
(to be continued)
七機=警視庁第七機動隊・山岳救助レンジャー部隊の所属部隊

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