萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第86話 花残 act.19 side story「陽はまた昇る」

2021-04-14 23:23:19 | 陽はまた昇るside story
唯ひとつの場所へ 
英二24歳4月


第86話 花残 act.19 side story「陽はまた昇る」

ざわめく花、風におう宵。

「あと40分ほどで閉園ですが、よろしいですか?」
「はい、」

頷いて微笑んで、チケットがちゃりゲートを通る。
踏みこんだ都会の森ざわめいて、桜そっと英二にふれた。

―懐かしいな、桜

額ふれる風に花が舞う、ほら懐かしい。
だって記憶が囁く、唯ひとつの声。

『きれい…』

髪なびいて梳かれて香る、あまい深い気配。
もう黄昏ふくんで湿る風、踏みこんだ森は薄暮にそまる。
やわらかな馥郁かすかな温もり、こんな空気は切ない、なつかしくて。

『おとうさんが眠っている枕元に、花びらおりて…泣いているおかあさんの肩にも、花が、』

花香る月の下、君は泣いた。
その理由はこの花園にある、もう近くなる日の去年が軋みだす。

『桜、今日、満開になったんだ…ね、英二?やっぱり今日だから咲いてくれたかな、』

去年あの日、桜が満開になる意味。
この意味に自分も君へ肯いた。

「…お父さんの亡くなった日だからだって、俺も思うよ?」

ほら記憶が唇なぞる、あの日が近くて。
あの日もこうして桜を歩いた、こんな夕暮より日が高い時間、君は制服姿だった。

『英二がそう言ってくれると、嬉しいな?』

黒目がちの瞳は微笑んで、その制帽ふわり風が攫った。
あの瞬間と同じ桜が舞う、けれど逢えるかなんてわからない。
それでも今日この街に君がいるのなら、今ここで逢えると思ってしまう、願って、ただ記憶の足跡たどらせる。

『…あまね、だったの?俺の名前、』
『出生届を出す直前になって、あのひとが『太』を付けたい、って言いだしたのよ、』

そう告げて君の母親は微笑んだ、この桜から待ち合わせた場所で。
君の父親が眠る墓前、君の名前の意味を教えてくれた。

『心の器が大きい人になるように。そんな意味を籠めてね、あのひとは『太』を付けてくれたの、』

あの意味を文字でも知っている、自分は。
君が知らないアルバムを見たから。

“ひろく晉くを歩む佳き人生を祈って”
“佳き馨のように周くを歓ばせる人生を祈って”

隠されていたアルバムの詞書、記された君の祖父と父親の命名由来。
その二つ「晉く・周く」どちらも「あまね」という意味は共通していた。

―だから馨さんは周太ってつけたんだ、一文字くわえて、50年の連鎖を超えることを祈って、

たどる想いに胸もと握りしめる、ワイシャツ透かして鍵ふれる。
輪郭ふれる右掌かすかに温かい、この合鍵が自分を今に連れてきた。

「…馨さん、50年の連鎖を終わらせましょう、」

唇ひそやかな声、かすかな風にとけていく。
やわらかな馥郁しずかに花が散る、進む小径に呼吸そっと呑んだ。

ーあの角の先だ、

あの角、常緑の梢おおらかな木下闇。
あの大木のもとベンチひとつ知っている。

君は、そこにいるだろうか?

「花を見せたいんだ…周太、」

ほら声になる、願って願って、唯ひとつ。
君だから願っていると告げたい、もし赦されるのなら。

…ざりっ、ざっ、

レザーソール道を踏む、都会の真中なのに土が底ふれる。
この道を馨も歩いたろう、そして今この時を君は歩いたろうか?

―逢いたいよ周太、俺はただ、

心裡もう軋みだす、ただ逢いたい。
あいたくて会いたくて、逢いたくて、それだけの願い鼓動を敲く。

―俺はただ隣にいたいんだ、だから、

敲く鼓動に想い奔る、右掌ふれる合鍵が熱い。
歩くレザーソールふれる土、かすかな風やわらかな香、薄暮しずかな梢が白い。
暮れてゆく空おおう花あわく光る、こんなに桜は光り香るものだったろうか?

とくん、かたっ、

ほら鼓動が敲く、レザーソール急きたてる。
昏い白い道もう誰もいない、それでも常緑の蔭へ道を曲がった。

「っ、」

呼吸ひとつ、あのベンチ。

「…、」

見つめる真中ベンチひとつ、薄暮やわらかに包んで沈む。
常緑樹の蔭もう昏い、それでもベンチ佇む輪郭が。

「…っ、」

声呑みこんで踏みだす、駆けだす。
レザーソール敲く鼓動にじんで桜が白い、やわらかな闇あわくなる。
まっすぐ見つめて駆けて翳かすかに薄れて、描かれた輪郭ふわり振りむいた。

「…えいじ?」

呼んでくれた、君の声だ。

※校正中
(to be continued)
七機=警視庁第七機動隊・山岳救助レンジャー部隊の所属部隊

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