おはよ。
昨夜は、お通夜でした。
姉の嫁ぎ先のお母様が亡くなられました。
我が家を代表して一人で行くつもりでおりましたら、父が「私も行く」と言いまして、二人で知多市の葬儀場まで出かけました。
読経が始まり、焼香を済ませ、やがてお坊様が退席をされますと、案内の係りの人から「よろしければ、仏様のお顔とご対面をしてください」と促されまして、四角い箱に眠る仏のお顔を拝見し、お別れをしたのでありました。
死に化粧をされたお顔は穏やかでありました。
手を合わせて、心経を唱えながら、ふと、
「生と死のはざまはどこにあるのだろう?」
との思いが浮かんできたのです。
この仏は、本当に死んでいるのか?
もしくは、この人が死んだ・・・と言えるのか?
私が死んだと思うから死んでいるだけで、生きていると思えば生きられるのではないか?
体はいずれなくなくなるとして、その血脈は、子供から孫にわたってまでも、今なお生き続けているではないか?
それをもって、生きているということも言えるではないか?
・・・
心経一巻の間に、グルリグルリと頭の中でいろいろな思いが巡ったのであります。
そして、最後のお別れと、仏のお顔に向かって、手を合わせて頭を垂れたときに、つい口から出てきた言葉は、
「ありがとうございました」
でありました。
・・・
姉や孫たちの涙は、清く尊い涙でした。
昨夜は、お通夜でした。
姉の嫁ぎ先のお母様が亡くなられました。
我が家を代表して一人で行くつもりでおりましたら、父が「私も行く」と言いまして、二人で知多市の葬儀場まで出かけました。
読経が始まり、焼香を済ませ、やがてお坊様が退席をされますと、案内の係りの人から「よろしければ、仏様のお顔とご対面をしてください」と促されまして、四角い箱に眠る仏のお顔を拝見し、お別れをしたのでありました。
死に化粧をされたお顔は穏やかでありました。
手を合わせて、心経を唱えながら、ふと、
「生と死のはざまはどこにあるのだろう?」
との思いが浮かんできたのです。
この仏は、本当に死んでいるのか?
もしくは、この人が死んだ・・・と言えるのか?
私が死んだと思うから死んでいるだけで、生きていると思えば生きられるのではないか?
体はいずれなくなくなるとして、その血脈は、子供から孫にわたってまでも、今なお生き続けているではないか?
それをもって、生きているということも言えるではないか?
・・・
心経一巻の間に、グルリグルリと頭の中でいろいろな思いが巡ったのであります。
そして、最後のお別れと、仏のお顔に向かって、手を合わせて頭を垂れたときに、つい口から出てきた言葉は、
「ありがとうございました」
でありました。
・・・
姉や孫たちの涙は、清く尊い涙でした。