先日出かけたサイクリングで最初に越えた峠が松の木峠。
現代だと高山市清見町と荘川町の境となるところなのですが江戸時代の郷村制の時代だと大原郷と白川郷の境だったところです。
そのことを私が知ったのは斐太後風土記の飛騨國大野郡白川郷の項を読んだ時、白川郷を構成する村が荘川町と白川町にある地名が書かれていたのを読んだ時です。
今の時代、白川郷は白川村のことを言っているので新鮮でした。
新たに得た知識を、知人に白川郷は松の木峠を越えた荘川からだと話をしたら。
あっさりと違うだろうと、否定されました・・・。
そう言われても斐太後風土記に書かれているんだけなぁと思いつつも、そんなことで議論したくないので、納得はしていませんでしたが知人の意見に同意をし、その場をやり過ごしました。
そんなことを松の木峠を越える時に思い出したので久しぶりに斐太後風土記を取り出し白川郷の記述のところを読み返しました。
確かに荘川町の地名も書かれているのですが、今荘川のことを白川郷と言わないし、荘川の人に聞いても白川郷に住んでいる思っている人はいないでしょう。
そもそも、今の時代、郷村制でないので「郷」そのものが存在しないので〇〇郷というのは単なる俗称でしかないのです。
だから荘川から白川郷だ!なんていうこと事態意味がないよな~と思います。
ただ、地域の歴史や文化を考える時には重要なこととも言えます。
「じゃぁ、お前はどうなんだ!」と問われれば白川郷とは高山市荘川町と大野郡白川村と答えますが世間一般的には受け入れられないだろうな~と思います。(管理人)
斐太後風土記の記述。飛騨のことを知っている人が見ると荘川の地名が書かれていることがお分かりいただけると思います。
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現代だと高山市清見町と荘川町の境となるところなのですが江戸時代の郷村制の時代だと大原郷と白川郷の境だったところです。
そのことを私が知ったのは斐太後風土記の飛騨國大野郡白川郷の項を読んだ時、白川郷を構成する村が荘川町と白川町にある地名が書かれていたのを読んだ時です。
今の時代、白川郷は白川村のことを言っているので新鮮でした。
新たに得た知識を、知人に白川郷は松の木峠を越えた荘川からだと話をしたら。
あっさりと違うだろうと、否定されました・・・。
そう言われても斐太後風土記に書かれているんだけなぁと思いつつも、そんなことで議論したくないので、納得はしていませんでしたが知人の意見に同意をし、その場をやり過ごしました。
そんなことを松の木峠を越える時に思い出したので久しぶりに斐太後風土記を取り出し白川郷の記述のところを読み返しました。
確かに荘川町の地名も書かれているのですが、今荘川のことを白川郷と言わないし、荘川の人に聞いても白川郷に住んでいる思っている人はいないでしょう。
そもそも、今の時代、郷村制でないので「郷」そのものが存在しないので〇〇郷というのは単なる俗称でしかないのです。
だから荘川から白川郷だ!なんていうこと事態意味がないよな~と思います。
ただ、地域の歴史や文化を考える時には重要なこととも言えます。
「じゃぁ、お前はどうなんだ!」と問われれば白川郷とは高山市荘川町と大野郡白川村と答えますが世間一般的には受け入れられないだろうな~と思います。(管理人)
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