と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

慎みて 学校生活を

2009年11月25日 18時01分59秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
・品性と学力ということで考えていることがあります。それは優先順位がどうなっているのかということであります。

・今日はのっけからちょっと難しい話になるかもしれませんが、本当に品性を重視していかないと、私的なことだけ優先する学校秀才を出してそれで終わりになってしまう可能性があります。それでは、まことにつまらんことになると思うからであります。

・詐病というのがあります。これは経済的に非常にロスの多い大人になってからの、損失であります。学校では仮病という言い方もされますでしょうか。インターネットの世界には、仮病マニュアルというのも存在していて、わたくしはそういうのを興味深く拝見させていただいております。そして直ちに傾向と対策を構築いたします。教員も35年もさせていただいておると、あの手この手で対策ができてしまいます。ステレオタイプの思考方法が一番いけません。独自性がないからです。

・さて、品性に戻りますと、この言葉は人格とも呼ばれます。学校教育の根幹はここにあってしかるべきであり、学力向上も究極には品性や人格の向上であるわけです。

・それでは完成した品性というのはどの程度を言うのでしょうか。つらつら考えてみるに、それは生涯をかけて追求していくべきことでありましょう。まさか、俺は、アタシは、人格者だと自分からいう方はおられないでしょう。そんなのは偽者であります。わたくしだって、冗談にもそんなことは言えませんし、言ったこともありません。言う資格すらない。

・そして、自分だけの幸福を追求するのではなく、他への慮りを大切にすることのできる人間になりたいものです。このこともわたくし生涯の追求課題であります。

・うそをつくというのもそうです。保護者の方や、先生方を騙すという古典的手法も、騙されるのは保護者や先生方が悪いのではありません。騙されるのは、信じているからであります。ちょっとおかしいなと思っても、信じているからあたたかく包んであげるわけであります。

・そういう期待を、信ずることを裏切ってはなりません。

・人から与えていただいた期待や、信頼に応えるようにすることが、若人に与えれられた義務であります。そこに努力が必要になるわけです。多少つらくても、耐え忍ぶというような生きる力が必要となります。

・路傍に咲く雑草にも尊いいのちがあるように、自然万端を大切に思っていくようなこころこそ育成したいものであります。

・餓鬼という言葉があります。恐ろしい姿をしている古典的な絵もあります。36種類くらいあるそうです。これについては本来触れてはならない分野ですからこれくらいにしますが、わたくしのイメージですと、目が釣りあがり、クチが大きく裂け、怒りの形相をしています。怒りや、妬みもこの餓鬼道への第一歩であります。自分だけのことに囚われるからこそ、うそもつき、怒りや妬み、悪口を言うようなことになってしまうのだと、わたくしは思っております。

・そんなことの無い様に、品性を大事に、学校生活を慎んで送ってください。

・また明日・・・


コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/