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(この写真は平成11年に私事旅行で萩に行ったときのものです)
・吉田松陰先生は、長崎で勉強中に一日二冊の書を読み、抜き書きを作ることを日課とし、さらに得たことを文章にしておられたそうであります。
・うなりました。さすがに碩学。これほどの天才が、これほどの努力をされておられることに。
・萩の松陰神社から購入してきた先生の書籍が校長室にあります。最近、あちらの頁、こちらの頁と読んでおります。その志操の高さに、惹かれるものを感じます。師道ということも言われています。懶惰な凡人のわたくしに、それは厳しい石打ちのような激励でもあります。
・特に今日は、学問をするのもいいが、ただ眺めているだけでは本屋と変わらぬ。どれだけ自分のためになるかということが重要だと言われていることを知り、ほんとうにそうだなぁと感動をしておりました。況んや、それすらやらんようでは生きる意味もなし。実践あっての学問でありましょう。もっともこれは自分自身にいちばん当てはまります。もう人生の残り時間も折り返しを過ぎているはずであります。これまでに学んだことまことに少なく、本当に生涯学習をこころがけるしかないようであります。
・しかしながら、生きておられたら、松陰先生はわが日本の現状をどのように憂いておられますでしょうか。特に教育の分野において。申し訳ないという思いで一杯であります。
・今日は、貝塚茂樹先生の孟子(講談社学術文庫)を入手しました。
・孟子は松陰先生の愛読書であります。むろん松陰先生は、原文のみで勉学なされました。これは実にいい本です。だいたいにおいて明るい。実践が主体となりますが故に。
・実は、祖父や実母に仕込まれた論語の解釈がよくわからず、小学生の時に発売された中央公論社の世界の名著の貝塚茂樹先生の論語をそっと読み、何食わぬ顔をして、わかったようなことを返答していたのを思い出しました。高校に入っても授業で先生方に専門的な質問をして困らせた覚えがあります。懐かしく思いました。他の出版社から出ている論語ともまったく肌触りが違います。実になじみのある文章であります。いわく言い難しであります。要するに好きな先生なのですね。それにひきかえ、祖父はただただ恐ろしい存在でありました。いつも厳しい表情をしていて、刀を磨いておったし、悪いことをしたらならんぞ!という声が今でも聞こえてきます。
・ところで、今朝は、学校に着くなり校門のあたりを歩いていた生徒に「校長先生、おはようございます」と手を振ってあいさつをされました。大きく手をあげ、「おはようございます」と返事をしました。ありがたい限りであります。さわやかなマナーのよい生徒たちであります。
・ですから、できるだけ優しい表情と、明るいあいさつをしていこうと思っているわけです。経験上。わたくしも祖父と同じような雰囲気だそうですから。
・もっともこれも松陰先生に知られたら、なんとおっしゃるのでしょうか。情け無いと激怒されるのでしょうか。そんなことはないのではないかと勝手に思っているのですが。松陰先生は実に弟子には優しい方であったそうですから。
・ではまた明日。明るい表情と、あいさつで登校してきてくださいね。