けふも大学にいた。なにをしているのかというと、学会の勉強会の資料づくりである。毎日、毎日ごくろうなこってすよ。根がいい加減な性格であるから、こんなに勉強しているってぇなことは、わが生涯で初めてですなぁ。こんなふうに高校生くらいから勉強していたら、こんなじいさまにならなかったんではないかとひそかに思っているんだが。
そんなことを思っているのはオレだけだけど。ははははははは。
最近、消滅する大学とか、なんとかとかいろいろマスコミがやかましい。そんな本も売れていて、さっそく図書館でかりてみた。そしたら、まぁ、びっくりした。つぶれない大学は、偏差値順なんである。こんなんじゃぁ、オレでも書けるホンだと思ったが、ま、現役大学生としては黙っていたほうがよろしいんでしょうなぁ。あまりにもつまらんから、借りてその日のうちに返してしまった。自分で買ったら、即ごみ箱行きである。捨てるのは得意であるから。
しかしである。学校の建物とか、偏差値とか、就職率だけで自分の母校を選んでいいのかな?・・いいのか。それでもって自己満足じゃと思っている人もいるんだろうからなぁ。人は人である。どう思っても、それはそれでいいのである。好き勝手にしていればいいのだと思うのである。
ある意味、自己満足も捨てたものではないと思っているから。オレ自身も自己満足じじぃであるからねぇ。
だって、オレの場合は「自己評価が極端に低い」からである。全ての面において、自己を最低の人間として自己規定をしてしまうと、後は実に楽だ。生きているだけで、「加点法」になるからである。これって、生き延びるコツでもあります。まさにオレの場合は、悪の巣窟がオレの心だからなぁ。リンゴも食ったし、姦淫のこころも持っているし、そりゃ法律違反はしたことないが、原罪を背負っていることは間違いないと思う。聖書に書いてあるようなモンが。
さらに、オレの場合は、生涯学習だからまったく別の視点であるから、比較にはならないのだが。就職も関係ないし、あえて言えば教えてくださる先生がおられるかというその一点ですわなぁ。それに自宅から近くないといかんです。ひとり暮らしはもう無理。ひとりでアパートで暮らしていたら、死ぬ。間違いなく。大都会で生きていくなんて、オレにはもうできない。田舎でのんびり暮らして61年たったのだ。無理、無理。
教えてくださる先生を求めて、ジプシーのように流浪することもできないし。もうねぇ。決定的にそれは無理である。流浪するなら、出家でもしたいが、それも体力的には無理である。修行ができない。煩悩の塊であるからねぇ。とてもとても悟りすまして、ウインクしながら、聞いている方々の反応を見ているなんて、やれるかもしれないけど、無理、無理。
無理を重ねているといけない。無理は疲れる。疲れは体力を消耗する。消耗はよくない。そして、疲れたら癒すことである。それから限界まで頑張ることである。
自分にご褒美をあげることも大切である。
ある程度の成果をあげたら、自分にご褒美を差し上げることである。これがコツである。
だから、明後日の今ごろ、オレは飛行機で空を飛んでいる。石垣島に行くのである。4日ほどいなくなる。何しにいくのか。はははは。うまいものを食いに行くのである。むろん「石垣島と民俗学」というファイルも作った。300枚ほどのを。柳田国男の民俗学と一蓮托生である。例の「海上の道」である。常識である。民俗学をやるものには。
もっともオレには常識ないけどねぇ。
ははははははは。
あ、3月の2日に居住地の文化会館にかの有名なる柳田邦夫先生が、生と死を考える会の講師でこられる。死生学のグループが存在したのだ。知らなかった。不勉強である。さっそく、電話で問い合わせて参加させていただくことにした。こんな田舎にまぁ、よく来られるもんである。
大病院があるから、わが居住地も違うもんである。これもあれか?・・偏差値がかかわるのか?・・そんなことはないと思うのだが。まさかとは思うが、柳田邦夫先生は、柳田国男先生とは違う人ですよん。お間違いなく。生きておられるほうですよん。がん回廊の明日とかで有名な方。NHKにもかなり出ておられるから。
そんなことはわかっておるって叱られそうだけど。
そうだ、明後日乗る飛行機の便が「自己満足号237便」だったらどないしよう。自己満足のなれの果てですなぁ。最低の人間だから、オイドンは。
じゃぁ。
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