このところずっと「フォークロア」関係の記事だか、感想文だかなんだかわけのわからないものを書いていた。だから問題なのである。何が?自己を語りすぎるのである。そんなもん誰もおもしろくないだろうにねぇ。はははは。もっとも、愚生のブログとか、ツイッターとか、Facebookなんとかというのは自己満足的落書きだから、誰も読むわけはないのだが。
しかし、愚生には問題がある。論文体ではないからである。論文は自己を語って主観的なものであってはならないと思っているので、(間違っているかもしれないけど) 知らず知らず影響されている。だからたまには、読者を意識しない記事を書かないといかんと思っているのだが。これがけっこう困難である。ついつい自分の思ったとおりに書いてしまう。いけないなぁと思うのだ。
だから、このgooという会社が作っているブログを利用して、パスワード設定のカテゴリーを作って、そちらには読み手を意識しない駄文を書いている。これはけっこういい。後で検索がきくからである。ノートの代わりになる。もう、ノートをとって勉強している時間がないのである。若くないのである。いつ死ぬかわからないのである。常にあと何時間、何日、何年間生かされているのだろかという切迫感との戦いであるからだ。おたおたして生きているわけにはいかないのである。
時間の使い方という点では、愚生はうまいかもしれない。すけべぇ根性がないし、誰にもごまをする必要もない。昨日なんか、配偶者に塾も辞めなさいよと言われてしまった。楽しみで行っているっちゅうにねぇ。微々たる稼ぎではあるが。マジに。収入を言ったら馬鹿じゃん!ってせせら笑われますですわん。金がほしくて塾にまで行っているって言われますって、配偶者の言い方であります。そりゃ金はありゃあるだけありがたいが。確かに、もう働く必要はないし。(働きたいって言ってもそんな場所もないけど。。。とほほ)道楽で塾で働いているってぇのが正解ですなぁ。
昨日もちゅーぼーと数学やりながら、図形の移動ってやつをやっていて、楽しく楽しく勉強していた。これがなんとも良寛さんのようでいいのだよん。いつも水曜日に愚生の担当している男の子だけど、石垣島に行くからって、先週は別の先生から教わったのだそうな。そしたら、今週はと~ま君せんせで良かったとマジに言うのだ。これがうれいしいのだ。こういうふれあいが楽しいのである。
雰囲気というものの持つ教育的叡智を馬鹿にしちゃいけない。このことを、11000字の論文にしてある大学に提出するために書いたのだ。それで午後からずっと担当の教授と原稿の校正作業をしていたのだが。その教授と話していて、まさに教育的雰囲気というのは重要だなぁということになった。終わってからコーヒーをいただきながら、しゃべっていた。楽しいものである。ソクラテスのいうところの、対話である。
ま、それはそれでいい。
昨日の塾でずっと勉強していて、くだんのちゅーぼーが「と~ま君せんせ、14日は?」と聞くのである。14日は「空の上にいたなぁ」って言ったら、「違う、違う」と言う。「チョコレート」・・?・・「いくつもらった?」
そんなもんまったくかんけぇねぇよんと申し上げた。沖縄ではパインばっかり食っていたよん、とびきり美味かったなぁって言ったら、「あああ、安心した。僕にも来なかったから」・・・かわいそう。
この「つぶやき」のカテゴリーなら、日常的なつまらんことでも書けますなぁ。
(笑)